原田(マイライフ) 単語

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原田とは、ゲームプレイ動画パワプロ12決】ごくあく投手マイライフに登場する、架プロ野球選手である。

概要(※ネタバレ含む)

プロフィール等

1986年5月14日生まれ/埼玉県出身/高校-ドラフト6位/右投右打/チーム履歴:楽天-中日-西武-楽天/守備位置:投手/背番号楽天51→中日14→西武33→楽天18

プレースタイル

アピールポイントサイドハンドから投じられるジャイロボールなのだが制球力のさから生き残るために魔球スローボールを多投する・・・
が、序盤はCOMレベルの高さに圧倒されノックアウトされることもしばしば。
彼を変えたのは高めの釣り球だった。
釣り球を使うようになると、奪三振率が急に向上。被打率が低下し、成績は安定した。(これはgoogle先生のおかげとEDで表している)

中日移籍後は制球力の向上により、スローボールではなくストレートを多用。これにより更に奪三振率が向上し、最高クラスの成績を残すようになる。2012年記録した奪三振率12.14は2005年以前の日本記録11.05(石井一久1998年記録)を大きく上回る記録である。

劇場、と呼ばれることが多いが、WHIP(被出塁率とほぼ同義)はほぼ防御率と見合ったものである。また、得点圏被打率がかなり高い(通算被打率.266に対し通算得点圏被打率.316)ことから、「燃える時はよく燃える」投手であるといえる。

ほかにもウェストが上手く、盗塁を決められることは稀である。特に序盤はこれによく助けられた。ルンバ

また、打撃にも定評があり、2軍戦ではホームランを放ったこともある。

原田について

楽天時代の原田

打てない守れない走れないの3拍子そろった暗期の楽天
監督岩隈をはじめ、一部投手を酷使し、せっかく入った新人と助っ人をひたすら干す。
攻撃はロペス殿下こと高須山崎が合格点レベルを打つが、そのほかの打者が足を引っり、得点力はリーグ最下位(原田移籍の前まではずっと)
守備でもロペス(ZSL)、殿下だけが頼りで、ショートへ打球が行ったら劇場率はぐーんと上がる。

1年から抑えとして起用されるが、得点力、投手力ともにリーグワーストで、9回までリードしている可性は低く、出番も少なかった。

3年ごろから先発で起用されるようになり、5年で規定投球回クリアし10勝達成。

FA権を取得する前は楽天に在籍するとコメントしていたが、味方のムエンゴさ、呆れる対応ばかりのフロント想尽かしてしまいついにFA宣言中日へ移籍。

中日時代の原田

6年オフ楽天からFA宣言中日に年俸1億5297万と背番号14で移籍。移籍1年バレンタインチョコの数がチームトップになる。
7年で初のオールスター出場、8月MVP獲得。

8年は抑えとして起用される。後半戦から神話ができる。ついに引退オフと婚約。

9年5月に昨期から続いていた神話が古巣楽天によって崩される。
加えてこの年、監督に酷使されストレートシュート回転してしまうというプロ投手としては致命傷を負ってしまう。

そして迎えた10年
先発転向をすものの、昨年の酷使がき自慢のジャイロボールストレート)を封印。
変化球のみでオープン戦登板するが、が立たず開幕2軍
少し遅れて1軍に復帰するも炎上をくりかえし、西武へトレードされてしまう(山岸とのトレード)。

西武時代の原田

5月29日長男利政(としまさ)誕生。
このままでは家族を支えられないと判断し、魔球スローボール解禁。
成績は一気に安定し先発ローテ入りを果たし順調に勝ちを重ねた。

さらにプレーオフでは3試合に先発し、2勝0敗、防御率1.00、WHIP0.50という圧巻のピッチングを披露。
チーム日本一に大きく貢献した。

11年オープン戦で打たれたものの、久々の開幕1軍。50勝を前にチームメイトより「援護はまかせろ」発言。
しかしムエンゴしょうもない守備、俺達の活躍の3点セットによりなかなか勝てなかった。
5月に入りようやく初勝利&通算50勝を挙げるが、ムエンゴ・守備・俺達はこの後も原田を苦しめる。
シーズン最終登板でぎりぎり2桁勝利を達成するが、防御率は2点台。
いかにツイていなかったかがよく分かる結果である。

この年のオフFA宣言をし古巣楽天へ移籍。

楽天時代の原田(新世代)

古巣で優勝したいという気持ちから西武からFA宣言、2億710万と背番号18で楽天に移籍した。

この頃の楽天原田が在籍していた頃とは大きく変わっていた。
シーズンにはルーキーであるにもかかわらず木がホームラン王、ルロイ首位打者を獲得。
さらに原田と同時にヤクルトから青木FAで移籍するなど、得点力は大幅にアップしている。(ルロイはこのオフで退団)

12年優勝請負人としての選手生活が幕を開ける。
守護神として開幕するが序盤のうちに先発復帰。
今までにないほどのピッチングを披露。さらに安定した中継ぎ投手バックにも助けられ前半戦で12勝をあげる。
後半戦でもペースは衰えず、20勝達成。さらに投手4冠も同時に達成しタイトルを総ナメにした。
チーム原田をはじめとするリーグNO.1の投手力で見事優勝
そのままの勢いで日本シリーズも制覇し、見事日本一を達成した。

成績







S H



















W
H
I
P
2005 4.42 31 0 2 6 5 0 0 36 2/3 60 2 2 17 0 18 18 4.17 1.69
2006 4.62 42 0 4 7 4 0 0 48 2/3 60 6 10 39 1 25 25 7.21 1.44
2007 2.96 46 4 3 17 4 0 0 67 78 6 7 70 0 22 22 9.40 1.27
2008 1.84 40 5 5 8 6 0 0 107 2/3 118 3 5 114 1 23 22 9.52 1.14
2009 2.96 25 10 6 0 0 1 0 140 140 10 5 165 0 47 46 10.61 1.04
2010 3.28 25 8 7 1 0 2 2 131 2/3 138 8 14 148 1 51 48 10.12 1.15
2011 1.95 30 12 5 1 0 4 4 175 2/3 169 6 4 237 0 39 38 12.14 0.98
2012 1.09 48 0 0 29 0 0 0 49 2/3 39 3 4 71 0 6 6 12.87 0.87
2013 1.78 61 1 3 37 0 0 0 60 2/3 53 2 9 66 0 12 12 9.79 1.02
2014 6.75 4 0 1 1 0 0 0 10 2/3 23 1 2 9 0 8 8 7.59 2.34
西 4.16 31 9 4 0 1 3 0 119 151 5 21 135 1 55 55 10.21 1.45

4.37 35 9 5 1 1 3 0 129 2/3 174 6 23 144 1 63 63 9.99 1.52

 2015

西 2.74 32 10 10 0 0 2 1

180 1/3

207 15 18 221 1 57 55 11.03 1.25

 2016

1.60 34 20 3 1 0 5 3

214 

217 7 16 273  1 41 38 11.48 1.08
通算 2.83 449 79 53 108 20 17 10 1341  2/3 1450 74 107 1565 5 404 394 9.71 1.22

タイトル

2013年WBC

2013年に開催されるWBC日本代表選手に原田は選ばれた。
なんだかんだで準決勝まで勝ちあがり、準決勝、決勝とクローザーを務め、世界一に貢献した。
決勝のアメリカ戦では同じ世界で活躍するアノ人とのバッテリーを組んだ。

あと、「酷使されて直球シュート回転するんじゃなかったのか」とかそういうのは気にしない。

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