1960年代にアメリカ三軍(陸・海・空)共通の偵察機+軽攻撃機として開発が決定し、激化しつつあったベトナム戦争に合わせる形で配備が急がれると共に改良も並行して行われた結果、『COIN機(非対称戦用攻撃機)』の傑作機の一つに数えられる機体となった。
本機は最初、海兵隊が運用していたO-1観測機(セスナ170の軍用版)の代替として開発される予定だったが同じ頃にベトナム戦争で近接航空支援に多用していたが旧式化が進んでいたA-1、B-26の代替を望んでいた空軍と、自前の近接航空支援用固定翼機を欲しがっていた陸軍の計画が合流して開始された。
但し陸軍は空軍との管轄争いから降り、当初の発案元である海兵隊を所管する海軍が開発を仕切る事になった。
全長13.4m、全幅12.2mの本機の外観は外側に張り出したキャノピー[1]を備えた機首胴体の両側面に垂直尾翼が備わったターボフロップエンジンポッドを長方形状の主翼で繋げると共に垂直尾翼を水平尾翼で繋げた外観になっている。
そして胴体の後部は貨物室になっており操縦士・観測員とは別に空挺兵6名もしくは担架に固定した傷病兵2名+衛生兵、または1.4t程度の貨物輸送が可能だった。
一方で固定武装は7.62㎜機関銃4丁を胴体左右に2丁1セットに分けて装備していたが必要に応じて70㎜7連装ロケット弾ポッドを最大4基+M134ガトリング銃ポッド1基もしくは増加燃料タンクの同時装備が出来た。なお、場合によっては227㎏航空爆弾4発、AIM-9空対空ミサイル2発の装備も可能だった。
そして胴体部分には装甲板が備わり、キャノピーも防弾仕様になっていて乗員の生残性を高めている。
そして本機は空虚重量(機体のみ)3.1t、前述の貨物室+武装などを含めても最大6.5tの重量で運用されると共に降着装置に強度の高いものが使われていた事から未整備の滑走路、極端な例では田舎道からの離発着に加え、航空母艦からカタパルト+拘束装置なしでの離発艦が結果的に可能になっていた[2]。
だが前述のとおり本機の任務は敵の航空機+防空火力が低い状況下においての味方地上部隊の支援であり、最高速力は463km/hと第2次世界大戦前の戦闘機程度の速力しか出せないため戦闘機としての運用は考えられていなかった。
1968年からアメリカ軍での運用が開始された本機はベトナムでの試験運用の経験から攻撃+偵察用センサーや装備パイロンの追加が実施されてより実用的な機体になった。
しかしその用途は軍用ヘリコプターの領域に侵食するものだった事もあり1995年までにはアメリカ軍での運用を終了しNASAの実験機やカリフォルニア州の森林火災対応消防隊の偵察機として運用されている。
一方でインドネシア、フィリピンといった密林地帯での対ゲリラ戦の需要がある軍では運用が続けられている。
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最終更新:2024/12/24(火) 00:00
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