酒井忠晴(さかい ただはる、1970年6月21日-)とは、埼玉県三郷市出身の元プロ野球選手(内野手)である。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスのコーチを務める。
東北楽天ゴールデンイーグルス #87 育成守備走塁コーチ | |
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酒井忠晴 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県三郷市 |
生年月日 | 1970年6月21日 |
身長 体重 |
178cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 二塁手、三塁手、遊撃手 |
プロ入り | 1988年ドラフト5位 |
引退 | 2006年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
修徳高校から1988年のドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。同期入団に今中慎二、大豊泰昭などがいる。
中日では3年目から内野のバックアップ・守備要員として一軍に定着したが、打力に難がありレギュラーを奪うまでには至らなかった。1995年オフ、星野仙一監督の就任に伴うチーム改造の一環として、樋口一紀・平沼定晴・前田幸長との3対3の交換トレードで仁村徹・山本保司とともに千葉ロッテマリーンズへ移籍。
ロッテでも移籍当初は内野のバックアップとして起用されたが、1998年の後半からフリオ・フランコを指名打者に回して二塁のスタメンで起用される機会が増える。
1999年には初芝清を一塁・指名打者に回して三塁のレギュラーを確保。2000年は堀幸一の打撃不振で二塁のレギュラーを確保し、2001年まで小坂誠と鉄壁の二遊間を組んだ。
2002年、堀幸一に二塁のレギュラーを奪い返され出場機会が減り、オフに波留敏夫との交換トレードで中日に復帰。
しかし二・三・遊に荒木雅博・立浪和義・井端弘和が君臨する中日では出場機会はさらに少なく、川相昌弘の加入した2004年はルーキーイヤー以来の一軍出場なしに終わり、オフに戦力外通告を受ける。
トライアウトで田尾安志監督の目に留まり、新設球団の東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍する。
2005年は前半戦は遊撃レギュラーで活躍。沖原佳典に遊撃レギュラーを奪われてからは二塁・三塁のバックアップとして105試合に出場、いぶし銀の守備でチームに貢献した。
2006年、若手主体への切り替えにより出場機会が激減し、オフに戦力外通告。プロ野球からは引退し、翌年からは茨城ゴールデンゴールズで2011年までプレーした。
2012年から、福井ミラクルエレファンツの監督に就任。2014年まで監督を務めた。
2015年からは楽天の二軍内野守備走塁コーチに就任。2019年は一軍内野守備走塁コーチ、2020年は二軍内野守備バントコーチ、2021年からは育成守備走塁コーチを務める。
内野守備力の評価は非常に高く、ロッテ時代の小坂誠との二遊間は投手陣からも絶大な信頼を寄せられていた。フリオ・フランコから「守備だけならメジャーでも通用する」と太鼓判を押されたこともある。
通算:16年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1034 | 2371 | 2087 | 195 | 517 | 12 | 181 | 13 | 119 | 11 | 141 | 13 | 372 | 52 | .248 | .298 |
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最終更新:2024/12/23(月) 15:00
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