篠原貴行 単語

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篠原貴行(しのはら たかゆき1976年9月7日-)とは、福岡県出身のプロ野球選手投手)である。現在横浜DeNAベイスターズスカウトを務める。

概要

三菱重工長崎から、福岡ダイエーホークスを逆名し1997年ドラフト2位で入団。

ダイエー・ソフトバンク時代

1998年(1年)から51試合に登板中継ぎとして頭を現すと、1999年セットアッパーに定着。「解っていても打てない」と言われたキレキレの速球を武器に、驚異的な勝ち運を積み重ね、中継ぎ登板のみで14連勝松坂大輔最多勝を争った。また勝率10割達成も前だったが、カズ山本の現役最終打席ホームランを打たれて敗戦投手となり、最終的には14勝1敗で最高勝率タイトルを獲得防御率も1.25という神がかった成績であり、吉田修司藤井将雄ペドラザと強力リリーフを形成してチーム日本一に貢献した。

2000年は前年ほどの直球のキレがく、セットアッパー吉田修司に譲るが、相変わらずの勝ち運でチーム最多タイの9勝を挙げ優勝に貢献。

2001年先発転向を志願したが故障で失敗し成績が大幅に悪化する。

最大の武器であった直球のキレを失ったため、スライダーを軸とした投球スタイルに転換して、2003年の後半戦に復活岡本克道ダブルクローザーを組んで日本一に貢献した。

しかしその後は2年間を故障で棒に振り、2006年以降はワンポイントでの起用が多くなる。ところが、若手時代からの制球の悪さやスライダー一辺倒の投球もあって、左投手なのに左打者からの被打率の方が高いという状態だった。

2009年は一軍登板なしに終わり、オフ戦力外通告全盛期投手コーチとして導を受けた尾花高夫が新監督となる横浜ベイスターズに移籍した。

横浜・DeNA時代

2010年ワンポイントでの起用が中心となり、何度か手に打ち込まれ、20試合で2勝2ホールド防御率11.70に終わったが残留。

2011年、崖っぷちだった中でまさかの復活を遂げる。開幕一軍こそ逃すがすぐに昇格すると、ルーキー大原慎司とともに左の中継ぎとしてシーズンを通してフル回転。シーズン終盤にはワンポイントながら要所でのセットアッパー的な役割も任されるなど、35歳にして自己最多の67試合に登板、1勝0敗17ホールド防御率1.84と1999年に次ぐ好成績を残した。FA権を取得したが、「横浜に拾ってもらった身」とFA宣言して残留した。

2013年は、一軍での出場機会が一度も与えられず二軍生活になり、9月30日引退を表明。若手のもっとうまくなってやろうという必死さに「若手には勝てないな」と引退を決断。先に肘を故障し「リハビリで投げられるようになったけど自分のボールが投げられなくなった」とも語り、9月の頭には引退を考えていたという。9月29日イースタンリーグでの北海道日本ハムファイターズ戦にて16年間のプロ野球生活に幕を下ろした。

引退後

2014年からはDeNAコーチとして第二の人生を歩み始める。

2019年からはDeNAスカウトを務める。

成績

通算投手成績

通算:13年 登板 先発 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 496 0 0 0 33 19 17 61 .635 468.2 158 372 179 171 3.28

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