八田正(はった ただし)とは、元プロ野球選手である。故人。
OB | |
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八田正 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県鳴門市 |
生年月日 | 1936年10月5日 |
没年月日 | 2018年8月19日 |
身長 体重 |
170cm 71kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1955年 |
引退 | 1971年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
鳴門高等学校に進学。チームの主力として活躍し、3年時には春の甲子園大会に出場して、ベスト8まで勝ち進んでいる。
入団初年度の1955年、38試合に出場。
1956年、ショートのレギュラーに抜擢され、103試合に出場。打率.267、3本塁打、20打点、7盗塁を記録。
1957年はレギュラーを外されてしまい出場機会が減少。球団が吸収合併され、大毎ユニオンズ所属となった1958年も控えとして過ごした。
1959年、葛城隆雄がサードに転向したことからショートのレギュラーとして起用され、126試合に出場。打率.278、5本塁打、37打点、20盗塁を記録。
1965年、打率.275、10本塁打、31打点、21盗塁とキャリアハイの成績を記録。
1967年以降は控えに回った。1969年、阪急ブレーブスへ移籍。
阪急では守備固めや準レギュラー格の選手としてプレーし、1970年には、74試合に出場して、打率.280、1本塁打、18打点を記録。
引退後も阪急に残り、スコアラーやスカウトを務め、1980年には二軍守備コーチも務めた。
堅実なプレーと巧みな守備を武器に活躍したいぶし銀。阪急移籍後は、古巣・東京オリオンズ相手に猛威を奮った。
右投げ左打ちの先駆けとも言える選手である。
通算:17年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1549 | 4795 | 4373 | 498 | 1148 | 56 | 360 | 117 | 101 | 19 | 283 | 18 | 363 | 47 | .263 | .310 |
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最終更新:2024/12/23(月) 15:00
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