児玉源太郎とは、明治時代の大日本帝国陸軍の軍人である。最終階級は陸軍大将。
日露戦争時は紆余曲折の後、参謀本部次長となり当時の満州軍総司令官の承認のもと乃木大将の指揮権に介入し陸戦において日本を勝利に導いたとされている(後述)。
嘉永5年(1852年)に周防国都濃郡徳山村(現・山口県周南市)に中級武士の長男として生まれる。陸軍には軍曹として入隊し、熊本鎮台参謀副長、歩兵第2連隊長等を歴任。日露戦争前は内務大臣であったが、前述の通りなんやかんやで参謀本部次長(事実上の降格人事であったが)に就任し、陸戦に於いて日本を勝利に導く。
そして、日露戦争終結から8ヵ月後の明治40年(1907年)に脳溢血により死去。
但し、児玉が台湾総督だったときの台湾総督府民生長官だった後藤新平による暗殺ではないかとも言われている。(2010.2.15追記:信憑性に問題あり。創作の可能性が大)
児玉は日露戦争に於いては当時旅順攻略中だった第三軍総司令官乃木希典大将の指揮に介入し、旅順要塞陥落の立役者とも言われている。但し、児玉が指揮権に介入したという物的証拠は無い(現場に督戦に現れたのは事実ではあるが)。
このエピソード知られることになったのは司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」であるが、これは創作である可能性が高い。
日本による植民地時代の台湾の様子を紹介していると思われる動画で児玉源太郎も出ている。
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最終更新:2024/12/23(月) 00:00
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