伏見天皇 単語

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伏見天皇(1265年1317年)とは、第92代の天皇である。諱は煕仁(ひろひと)。

時代背景

鎌倉時代後期。

・皇統(朝廷)が二つに分かれ、閥争いが化していた。

 (持明院統)

┌後深天皇─伏見天皇┬後伏見天皇

│          │

┤          └花園天皇

│(大覚寺統)

亀山天皇─後宇多天皇┬後二条天皇

           │

           └後醍醐天皇

※伏見天皇は持明院統の天皇

略歴

1275年、幕府の名により、いとこの後宇多天皇皇太子となる。

1287年、後宇多天皇の譲位により即位。後深上皇院政を行う。

1289年、後深上皇院政を停止。伏見天皇が政を始める。

同年、息子の胤仁(たねひと)王を皇太子とする。

後深上皇ワシが決めた」

幕府「ワシが認めた」

大覚寺統「は?次の位はこっちだろ!?

亀山上皇「……」(ショックで出。)

1290年、浅原為頼子が御所を襲撃する事件が起きる。(浅原事件)

1298年、胤仁王(後伏見天皇)に譲位。院政を始めるが…。大覚寺統は猛反発。

1301年、幕府の裁定により、後伏見天皇は在位3年足らずで退位。後二条天皇が即位。パパ伏見院政を停止。後多が院政を始める。

幕府「バランス取らねえとなぁ」

1308年、後二条天皇が崩御。花園天皇即位。皇位は7年ぶりに持明院統へ。伏見上皇院政復活

1313年、出院政息子の後伏見上皇が引き継ぐ。

1317年、崩御。宝算53。

書聖

歴代天皇随一…どころか、日本の歴史上でも屈(書道の達人)。様々な書を使いこなし、特に「上代様」においては「三」の一人、藤原行成以上の腕前といわれた。

在位当時から現代に至るまで、あらゆる書や専門に絶賛され「書」と称されている。

補足

院政中「十三ヶ条の新制」を定め、政治の刷新や門閥の打破に腐心。ただの飾りの上皇ではない。

鎌倉幕府を嫌っていた。たびたび幕府に反抗していたので、倒幕の噂が立ったこともある。

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