井原慎一朗 単語

イハラシンイチロウ

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井原慎一朗(いはら しんいちろう)とは、元プロ野球選手である。

概要

1952年1月2日生まれ。愛媛県川之江市(現:四国中央市)出身。

卒業後、丸商業高等学校に進学。3年時にエースとして春の甲子園大会に出場し、2回戦まで勝ち進んでいる。

卒業後、日本鉱業日立に入社。1971年都市対抗野球大会日立製作所の補強選手として出場し、リリーフ投手として活躍。

1969年ドラフト会議にて、ヤクルトアトムズから3位名を受け入団。同期入団には八重樫幸雄大矢明彦らがいた。

1972年にはリリーフを中心に17試合に登板して、プロ勝利を挙げ、防御率2.63と好成績を残したが、翌年以降は二軍暮らしが続いた。

1975年先発ローテーションに入り、7勝7敗、防御率3.39という成績を残したが、翌1976年は2勝9敗、防御率4.50と大きく負け越してしまう。

1977年中継ぎ投手に回り、41試合に登板して防御率3.80という成績を残した。

1978年抑え投手として起用され、オールスターゲームにも監督推薦で初出場。58試合に登板して10勝4敗4セーブ防御率3.38という成績を残し、チームセ・リーグ優勝に大きく貢献。日本シリーズでも1勝を挙げている。

1981年先発投手に再転向し、9勝9敗、防御率4.58という成績を残したが、以降は登板数が減少。

1984年、肩を故障し、同年限りで現役引退

引退後はサラリーマンとして勤務していたようである。

人物・エピソード

150km/h前後の重い直球武器に活躍した右腕。イニングを跨いでの登板が多かった。

ともにヤクルト投手力であった鈴木康二朗とは仲がよく、「ヤクルトの弥次さん、喜多さん」と呼ばれていた。

趣味読書と飲読書文学作品だけでなく、思想に関するものや集、相対性理論を題材にした物理学の本に至るまでジャンル問わず読むという。飲に関しては「遺伝子めているから抵抗できない」と語るほどのである。

通算成績

投手成績

通算:15年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 314 8 3 42 45 15 --- .483 852.0 321 536 420 381 4.02

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