三宅正治 単語

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三宅正治とは、フジテレビジョンアナウンサーである。現在同社役員待遇エグゼクティアナウンサー

概要

1962年広島市出身。早稲田大学商学部卒業後、1985年フジテレビに入社。アナウンサー同期軽部真一長野智子(現:古プロダクション所属)がいる。

アナウンサーとして長年スポーツ中継の実況を担当している。プロ野球競馬バレーボール女子プロレスF1格闘技柔道など、数多くの名勝負実況を行っていた。 

2000年4月に「プロ野球ニュース」のメインキャスターに就任し、翌年には後継番組の「すぽると!」も2011年3月まで担当した。

2012年4月に、白血病の治療のために降する大塚範一に代わり、「めざましテレビ」のメインキャスターに就任した。このために、前までにすべてのスポーツ実況からも身を引くこととなった。
一方で、ワイドショーなどの情報番組メイン三宅とは接点の少なかった同期軽部とは、この番組で初共演となった。 

現在でも名実況として語られていて、未だに各スポーツファンからは実況復活を望むがやまない。

スポーツ実況でのエピソード

プロ野球

同郷の広島東洋カープファンで、自らの実況日本一間を伝えたいがあるものの、彼が入社する前年の1984年を最後に日本一にはなっておらず、いまだ実現していない。

競馬

フジテレビを志望した理由が「日本ダービー実況したい」からだったが、1996年にようやく実現する。その後2002年を除いて2004年まで日本ダービー実況を務めた。
また、2005年から2011年まで有馬記念実況を務めた。 

F1

19901999年まで担当。
1992年モナコGPでは、終盤までナイジェル・マンセルが他を圧倒する速さを見せたが、残り数周でタイヤトラブルピットインし、2位アイルトン・セナに抜かれてしまう。しかしマンセルが圧倒的な速さで追いつき、残り3周からフィニッシュまでバトルを演じるも、セナブロックしきって優勝した。「ここはモナコ・モンテカルロ絶対に抜けない!」の名言はこのレース
本来は古舘伊知郎が担当する予定だったが、都合がつかず三宅が担当。まさかの名勝負に、古日本GP前の番組で口惜しがっていた。

しかし、1994年サンマリノGPで、セナタンブレロコーナーに直撃するクラッシュを演じるシーン実況レースシーンは録画であったが、急きょ生中継に切り替わり、解説今宮純川井一仁とともに彼の死を伝えることとなった。その中でも三人は号泣した。 

主な出演番組

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