ここでは、日本にある、被葬者の名前が判明していないロシア人の墓を中心に述べる。
日本各所、特に日本海側の沿岸部に本名が書かれていないロシア人の墓が点在する。中でも「ロシア人の墓」という碑文になっているものが、新潟県佐渡市両津住吉にある。
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https://twitter.com/unipudding/status/1398953372686770191
漠然とした名前であるため、「Kの墓」や「トム・リドルの墓」のようなイメージで語られることがあるが、こちらは描き方自体に問題がある前2つとは異なり、本名を特定することが困難であるためにやむを得ず「ロシア人の墓」という名前になっている。
これらの墓は、1904~1905年(明治37~38年)の日露戦争で死没したロシア人を弔うために作られている。戦場の1つとなっていた日本海で遺体が漂流・漂着したものが多く、名前がわからないために「ロシア人の墓」や「ロシア水兵の墓」、「露国軍人碑」等の碑文が書かれている。
〈正面〉日露戦役露艦戦士之墓
〈右側〉明治卅八年五月廿七日の日本海々戦にて多くの尊い人命/が失われた このとき当浦に漂着したロシア兵士数名の遺/体を葬り 恩讐を越えて 一仏浄土の思いで 回向し続け/て来たやさしい人情を偲び冥福を祈りて建立す
なお、上記以外にも愛媛県松山市や大阪府泉大津市など、一部の都市で局所的にロシア人の墓が多く作られている。こちらは捕虜として日本に着いた後も存命していた人物たちであるため、本名が書かれているものが多い。
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最終更新:2024/12/23(月) 00:00
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