Another One Bites The Dust (邦題:地獄へ道づれ)とは、イギリスのロックバンドQUEENの楽曲である。1980年発表。アルバム「The Game」(ザ・ゲーム)に収録、のちにシングルカット。作詞・作曲はベースのジョン・ディーコン。
概要
背景
これは、当時の日本で発売されたシングル盤のジャケットにプリントされた煽り文句である。ダサい。
この頃QUEENはアメリカ市場への進出を目論んでおり、それまでのアルバムで聴かれた重厚で煌びやかなサウンドから脱却し、アメリカ志向のポップで軽いリフ主体の音楽性へと移行している状況にあった。
その中でジョン・ディーコンは、ギターのブライアン・メイがハードロック志向であるのに対し、ファンクやソウルといった黒人音楽を趣味としていた。ジョンは、当時のアメリカのディスコチャートを賑わせていたバンドChicの「Good Times」に触発されて、今までのQUEENに無かったファンクというジャンルを持ち込んだわけである(※厳密には1978年にドラムのロジャー・テイラーもファンクナンバーを書いている)。
つまり、今までのQUEENの路線から考えると斬新すぎた楽曲だったのである。納得の煽り文句。
演奏拒否
前述の通り、これ以前のQUEENの楽曲と比べると異色の作品に仕上がっている。ジョンはこの楽曲において、ギターの効果音からドラムの音創りまで、かなりの部分で注文をつけたそうである。しかも、曲中で聴かれるギターのリズミカルなカッティングはブライアンではなくジョンの演奏である。
実際、ロジャーはジョンによるドラムの音創りに難色を示し、ブライアンはジョンによるギターのカッティングを「難しい」と言ってライブで演奏するのを嫌がった。ああ、隠れた鬼畜コンポーザー、ジョン。
そしてフレディはと言うと、こちらも黒人音楽大好きとあって、ジョンの肩を持っていたそうだ。もちろん、ブライアンとロジャーは屈しましたとさ。
シングル化まで
メンバーとの間で紆余曲折ありつつも、1980年6月30日発売のアルバム「The Game」に収録。しかしながら、この時点ではシングルとして発売する予定はなく、完全にアルバム曲扱い。アルバム発売と同時に始まった北米ツアーでも当初は演奏されていなかった。
転機は1980年7月のツアー中。8/9/11/12日にロサンゼルス・フォーラムで行われたライブ(のいずれか)にマイケル・ジャクソンが足を運び、楽屋を訪ねた。マイケルはラジオで楽曲を聴いており、このときQUEENに「この曲はシングル発売すべき」と強く助言した。ちなみにこの時の写真が数枚残っている。
このマイケルの助言から1ヶ月後、8月9日。公演のためにダラスにいたQUEENはこの曲のためにPVを撮影。さらに11日後、北米ツアーも半分終わった8月20日になって初めて演奏された。いかに当時QUEENがこの曲に対して関心が無かったかが伺える。
アルバムが発売されて2ヶ月近く経った8月22日、ついにシングルが発売された。
「ヒット」へ道づれ?
アメリカでのチャート初登場は67位スタートだった。しかし、これがラジオで繰り返しオンエアされると、ラジオ曲に問い合わせが殺到。
チャートに登場して翌週には50位、さらに翌週は28位、23位、9位、3位と順調に上り詰め、そしてついに1位を獲得した。
最終的にQUEENはこのシングルで、アメリカのチャートにおいて3週連続1位の快挙を成し遂げる。また、10位以内に15週、100位以内に31週チャートインした。
1981年1月30日に行われた「第8回 American Music Awards」において、バンドは「最優秀ポップ/ロック・バンド/デュオ/グループ賞」にノミネートされ、楽曲は「最優秀ポップ/ロック・シングル賞」を獲得した。
こうしてアメリカを初め、カナダ、アルゼンチン、そして日本でも1位を獲得。世界で700万枚を売り上げるという華々しい記録を打ち立てたQUEEN。
しかし、音楽性の明らかな方向転換によって、皮肉なことにイギリスではそっぽを向かれて最高7位止まり。しかも10位以内に3週、100位以内に9週しかチャート入りしていない。
なお、現在流通しているQueen前期のベストアルバム『GREATEST HITS』では「Bohemian Rhapsody」に続く堂々の2曲目を飾っている。現代においては完全に代表作として認知されていると言えるだろう。
ちなみに、映画「ボヘミアン・ラプソディ」では、バンドの内紛をジョンがおもむろにこの曲のリフを弾き出して場を収める、という場面で使われている。
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