今冬に劇場版「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女」が公開される予定です。 しかし、公開を前に不安な事があり、それら本作は「UC」「NT」と関わりがないかです。 自分は「UC」と「NT」が嫌いです。何故なら、それまでの宇宙世紀シリーズをぶち壊したからです。 宇宙世紀シリーズといったら、「初代」から「V」までの本伝を富野由悠季監督が作り、設定や世界観を富野監督が構築しました。「0083」や「第08MS小隊」などの富野監督が関わらない作品もありましたが、それらはアムロやカミーユが加わらない裏側の出来事を描いた外伝で、まだ許容範囲がありました。バスクやハマーンが登場してもゲスト出演程度でした。 ところが「UC」「NT」は富野監督がノータッチにも関わらず、本伝にガッツリ関わった上、ミネバもブライトも重要人物として登場させて、好き勝手な作りが目立ってました。 特にニュータイプの描写は納得いかず、富野監督のニュータイプは「宇宙に進出した事で感覚が鋭くなったが、それ以外はただの人間」として描かれ、初代でも「神様になれない」と断言してました。 なのに「UC」では、それまで避けるしか対処法が存在しなかったコロニーレーザーをユニコーンとバンシィだけで受け止めるわ、連邦とネオ・ジオンの武装を全て無効にするなど、ニュータイプを神様扱いしてやりたい放題でした。 「NT」に至っては、ニュータイプの力で死者を蘇生出来る可能性が浮上して、もう滅茶苦茶でした。 富野監督のガンダムでも、死者の魂を吸って機体の性能を倍にしたり、地球の引力圏に入ったアクシズを引き離すなどのファンタジーな要素は見られたものの、これらは犠牲が伴う諸刃の刃として描かれたので何とか許されました。事実、カミーユは精神崩壊を起こし、アムロとシャアは消息不明となりました。 ですが「UC」では、非現実な現象を起こしたバナージとリディは五体満足で帰還してしまいました。これにより、カミーユとアムロの犠牲の意味が分からなくなりました。 さらにタチ悪いのは、「UC」「NT」が人気作となってしまった事です。 宇宙世紀シリーズは本伝・外伝問わず、「F91」や「V」のような制作時に最も未来でない限りは「初代」「Z」「逆襲のシャア」などの人気作を基盤にする事が暗黙のルールとなりました。 「UC」「NT」が人気作となった事により、今後の宇宙世紀シリーズの新作は「UC」らが基盤となる事が義務付けられてしまいました。 最近まで放送された「GQuuuuuuX」ですら、「UC」の用語やキャラは登場しなかったものの、ゼクノヴァやキラキラなどの「UC」「NT」を意識したファンタジー要素が見られました。 本題に入りますが、「閃光のハサウェイ」といえば、宇宙世紀0105年が舞台です。つまり「NT」から8年後が舞台で、映画版は「UC」「NT」の続編として扱われそうで怖いです。 村瀬修功監督はインタビューで「原作と異なる展開にする」と言ってました。 第1章は幸いにも出だしという事もあってか、「逆襲のシャア」の続編である事を除いて原作に忠実で、登場キャラもハサウェイ・クェス・シャア・アムロだけでした。 しかし第2章である「キルケーの魔女」から、Ξガンダムをユニコーン4号機の設定にしたり、死亡したクェスを甦らせたり、バナージやヨナみたくハサウェイとギギを神様にしそうで怖いです。 特にリディは、「UC」本編後は連邦軍を退役して父であるローナンの秘書となりました。つまりハサウェイの敵である連邦政府側の人間となったので、リディを再登場させて「UC」との関わりを強めないか不安です。 イアゴだって、ケネス同様に第2次ネオ・ジオン抗争に参加した過去があるので、それ繋がりでイアゴを再登場させて「NT」要素も絡めそうで怖いです。 やはり映画版「閃光のハサウェイ」も、「UC」「NT」の続編として公開される事は避けられないのでしょうか?