秀吉の妻のおねは事務とか実務とか政務も結構やってた出来る女だったらしいですが、淀君ってそういう有能逸話ありますか? ただ血筋と外見だけの女ですか?

日本史 | 一般教養131閲覧

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>秀吉の妻のおねは事務とか実務とか政務も結構やってた出来る女だったらしいですが、 いえそういった史料はないですし、そのイメージはエンタメからです 死去前の秀吉から「正室から引退」を遺言されています >淀君ってそういう有能逸話ありますか? どういった事をもって有能というのかはわかりませんが、今の淀殿のイメージもエンタメからと言えますね 淀殿は北政所と違い武家の娘としての教育もされています 通説と違い秀頼が成人するまでの淀殿が当主代行していた時は家康へ臣従を進めていました 秀頼への教育も家康の昵懇公家衆の一人なので家康から斡旋してもらっていたと思われます つまり淀殿が当主代行の時は徳川とは上手くいっていたんですよ その徳川(家康)は、関ケ原後自家家臣団で領地運営出来ない豊臣家を徳川家臣団を配置し年貢の面倒まで見ています 元々家康には豊臣家を滅亡させようという考えはありませんでした >ただ血筋と外見だけの女ですか? いいえ違います 北政所よりもうまく豊臣家を(徳川に依存しながらですが)運営していました

>秀吉の妻のおねは事務とか実務とか政務も結構やってた出来る女だった それを証明するような資料はありません。 ただ、秀吉の下級武士だった時代から、夫を支え続けていたので、 家臣たちから人望が高かった事から、過大に評価されているのです。 淀殿は生まれた時から、お姫様育ちですから、 そんな才能は、端からありません。

はい。 豊臣が徳川に負けたのも、淀君のせいと言っても過言ではありません。