ロシアのウクライナ侵攻で、プーチン大統領が特別軍事作戦という名目で、開戦したのは正式に宣戦布告(戦争する。

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キエフ制圧までは一ヶ月でも2週間でもなく2月28日予定ですね。ベラルーシ側からアントノフ空港まで攻撃しているので当初はかなり早く制圧されるだろうという見方でしたね。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230221/k10013985891000.html そして制圧した5月にはモルドバ侵攻の予定だったと言われていますね。元々5月に侵攻というのは決定事項だったようでモルドバでの電波塔などの爆発事件も予定通り行われたと考えられます。 https://www.google.com/amp/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220504/amp/k10013610961000.html 興味深いのはトランプ就任がわかってからの、ここ最近のモルドバのドニエストルに対するガス供給停止ですね。ウクライナの失敗をモルドバで取り返すつもりかどうかという所です。

2014年のクリミアの再現をしようとして大失敗、ですね。 2014年に「特別軍事作戦」と言ってクリミアに派兵、親露派政権を作りました(2014年2月26日~3月18日条約署名)。 首都キエフ制圧に向かったのは北部軍ですね。 今回はウクライナが徹底抗戦に出たため、北部軍は即撤退。戦争をするつもりなら、北部軍に物資・武装・兵員を送り込む兵站線の構築が必要です。 北部軍の経路はベラルーシを通る長い経路でした。 兵站線の構築を考えていなかった、戦争の準備をしていなかった。という事だと思います。本来戦場には出さない、1年間の訓練中の徴兵を全戦に大量投入、これがクソ弱かった。 東部・南部ではウクライナに前線を大きく後退させられたところで、砲弾飛びかう激戦となる。後方にロシア正規軍がいた。東部はロシアに接していて、南部は2014年に要り取ったクリミアまで道路・鉄道を敷設していました。鉄道は大量の物資・武装などを送り込めます。戦車を大量に運んでましたね。 短期制圧が出来ずに戦争になってしまい、西側の介入を許した、という事かと思います。ウクライナも苦しい、ロシアも苦しい、という状況になってますね。ロシアの戦術は物量での力押しなので兵士と兵器の損耗も激しく、北朝鮮に頼ってますね。戦争資金も厳しい。 侵攻する側は宣戦布告しないのでは。湾岸戦争の原因はイラクが突然クウェートに侵攻して制圧した事で起りました。西側は、基本的に国連決議で最終通告を行いますね。イラク戦争は国連決議無く、アメリカが集団的自衛権として最終通告。

>ロシアが正式にワグネルと共に親ロ派側に加勢した のなら、親ロ派が多い東部地域だけに侵攻すればいい話で、親ロ派が少ないキーウに侵攻した理由がありません。 単なるKGB一職員だったプーチンが大統領にまでなったのは自作自演したアパート爆破をチェチェンのせいにしてチェチェン侵攻をして成功したから。 この成功体験が、クリミア併合とかジョージア侵攻を行った。 で、次の標的がウクラナイナだっただけで、理由はなんでもいいのです。 狂人プーチンに理屈などありません。

ロシアの味方でも、支持してるわけでも無いけど・・情報は正しく伝えるべきだと思いますから・・ まず・・ロシアの侵攻ですが・・ウクライナ全土を侵略する意図はありません。そもそもは、ウクライナ内戦(親NATO勢力vs親ロ勢力;地域的には西側vs東側)が続いていて、ロシアのワグネルが親ロ派の要請で援軍していた。。に対して、ゼレンスキーさんとバイデンさんが新しい米ウ戦略パートナーシップを締結し停戦の約束を反故にして戦争を支持した。事に対し、、ロシアが正式にワグネルと共に親ロ派側に加勢したわけです。。 プーチン氏は確かに、、かつてキーウを二週間で制圧できるとは言ってますが、それは。。2014年の話です。。 https://www.theguardian.com/world/2014/sep/02/putin-russian-forces-could-conquer-ukraine-capital-kiev-fortnight ただ・・米英の政府筋が、この事を利用してロシアがキーウを陥落し、ウクライナ全土を侵略する様なプロパガンダを討ったわけです。。 https://www.timesofisrael.com/us-warns-russian-invasion-could-see-kyiv-fall-in-days-cause-50000-casualties/ 侵攻初期に、ベラルーシでの軍事演習で部隊をベラルーシに移動させていたロシアは。。そのまま南下したのは、キーウを襲う振りをして、、目的とする東部固めの為でしょう。。実際、南下して直ぐに侵攻を止めています。 また・・クリミアを併合したとか奪ったみたいにもプロパガンダされましたが・・もともと、クリミアはウクライナとの関係が薄く、ウクライナ人はクリミアを割譲された後に移り住んではいますが。。二割程度しか居ませんし、クリミアはウクライナ本土とは違う憲法を持ってクリミア自治共和国としてウクライナの中にありました。。が・・いよいよ、独立してクリミア共和国となり、ロシア連邦に加盟しています、、 現在、ロシアは。。親ロ派の多数をしめる東部の硬い防衛線を敷いていて、、東部を守っている状況・・ウクライナの侵攻を止めています。。 この事からも・・ロシアがウクライナ全土を侵略する。また、キーウを陥落させる意図が無かった事が見受けられるところです。。

↑の人が・・なんかいちゃもん付けてくれたので・・加筆すれば。。 ウクライナは、もともと、、西部と東部では、、心情が二分されていたのです。。 https://en.wikipedia.org/wiki/Ukrainian_presidential_elections これに。。1991年からのウクライナ大統領選挙結果がありますが・・ 各選挙年をクリックすれば、、選挙結果の地図が出て来ます。。 その色分けを見れば・・西と東の二分される事が解ります・・ その二分された状況で、東側が勝って大統領になった者を。西側がクーデターによって追放した事で、、内戦が始まりました。。 その戦争が膠着し、東側はワグネルに援軍を依頼し加勢された。。 その内戦に対して、停戦が合意されたわけですが・・ゼレンスキーさんも立候補時には停戦を促進する公約を掲げていました・・まあ、この時の選挙では、クリミアや東部の一部

1ヶ月どころか3日でキーウは陥落し、ネオナチなゼレンスキー倒せば、ウクライナ国民たちはロシア軍を歓迎すると思ってたようですよ。 1週間もあれば、終わると思ってたから特別軍事作戦なんでしょう。 正式に宣戦布告しようとしたら、議会通して、賛成してもらわないといけませんし、在ウクライナのロシア大使が証書をウクライナ政府に渡さねばなりません。 そんなことしてたら、奇襲攻撃にならず、ウクライナ側に対応する時間を与えてしまうことになります。 扉を蹴破りさせすれば、ウクライナ全土は支配下になると思ってたんでしょう。 ナチス・ドイツがポーランドへ攻め込んで、電撃戦でパリへ進撃、フランスも手に入れたようにウクライナ全土制圧したかったのでしょう。 でも実際には空港確保に失敗して、キーウ攻略は頓挫、ウクライナの激しい抵抗に遭い苦戦。 モタモタしたから経済制裁を各国から食らい、ウクライナへの武器支援で反撃されて、現在に至るですね。 ヒトラーもソ連は扉を蹴破りさえすれば、占領出来ると思ってた。 ナポレオンも冬将軍に敗けた。 プーチンは都合のよいところだけ、歴史に学ぼうとして、都合の悪いところは学んでなかった。