韓国のsnsなどを見ていると「日本は百済の属国だった」「日王(天皇陛下)は百済の血を引いている」「日王は純粋な韓国の血」「日本語は韓国語の影響を受けている」などのコメントをよく見ます。

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. 韓国人が天皇陛下を日王と呼ぶ理由。 1990年代以降、韓国では天皇陛下について話題にするとき「天皇」という呼称の代わりに「日王」と呼んでいます。これは、「皇」よりも格下の「王」という位を意図的に使っているのです。 古来より朝鮮は中華王朝の朝貢国でした。中華王朝の統治者(天子)は周辺国に君臨する「皇帝」であり、朝鮮の統治者はその中のひとつの国を統治する「王」でしかありませんでした。 すなわち、「皇」は中国王朝に限って許された呼称で、韓国から見ると自分より「格上の存在」という認識です。 韓国人は、中華思想の「華夷秩序」に基づく序列意識が強烈で、彼らからすれば中国から遠く離れた日本は、侵略的で野蛮な "人らしきもの"が跋扈する文化果てる夷族の地です。 そんな韓国より格下であるはずの日本の統治者が、中華王朝と同等の「皇」を名乗り自分達より位が高くなることは、絶対に受け入れられません。

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事実だとしても、韓国は関係無いです。 あり得ない事ではありますが、もし日本の先祖が 「何故か都合よく半島の先っちょから以外渡ってこなかった」 と言う事を事実だとしても、それはつまり、 「半島から追い出された人が逃げて来た」 と言う事でしか無いです。つまりは、 「今朝鮮半島を占領しているのは別の民族」 ということになり、尚更今の韓国と関係は無いです。 その理論が通じるなら、中国は一度大部分がモンゴルに占領 されてほぼほぼ民族ぶっ殺されて祖先はモンゴル人です。 つまり現在の中国は全てモンゴル人の国と言う事になります。 それなら中国人を主張する事に何か意味があるんですかね? それと同じで、事実だったとしたら本当に韓国は関係なくなり ますし、事実は違います。 既に5000年前に人類は帆船の原型を作って海洋航海をしている 事は知られていますし、4000年前には日本の黒曜石がウクライナ に輸出されていますし、同時期には日本本土から八丈島に人が入って います。 それなのに、日本に来る奴が頑なに陸を歩いて態々半島縦断して 近くまで来てから船作って渡って来るとか、不合理もいい所です。 そんな事をする位なら最初から東南アジアとかサハリンとかから 船使って海流に乗って流れて来る方が遥かに早いです。

日本語と韓国語とはそれぞれ独立して生まれた言語であり、共通の祖先 (祖語)から生まれたわけではありません。 ↓「英語とドイツ語」、「中国語とチベット語」は「同じ系統」の言語、しかし「日本語と韓国語」は「全くの別系統」の言語だそうです。 ↓日本語と韓国語の共通点と違いは?似ている単語や発音を紹介 https://korean-learning.com/language_kor_jpn/ ↑日本語と韓国語の大きな違いは「発音」 ↑日本語との大きな違いはズバリ発音です。両者には「もともと共通の言語だったのでは?」という学説もありますが、発音体系があまりにも異なることを理由に否定する学者も多いんです。 ↑言語学的にはそれぞれ独立して生まれた言語であり、共通の祖先 (祖語)から生まれたわけではないという説が広く受け入れられています。 ↑韓国語と日本語が似ているのは大きく4つの理由があります↓。 ------------------------------------ ●漢字から作られた単語が多い ●日本から持ち込まれた単語が多い ●語順が同じ(主語→目的語→動詞) ●敬語や助詞など、文法が似ている ------------------------------------ ↓日本語と韓国語を比べてみよう。【滋賀大学】 https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/10/3/eml-kouenkai/lecture/LE20180709.html ↑金 廷珉(麗澤大学外国語学部准教授) 言語学の分野で,2つまたはそれ以上の言語を対照することによって,共通点や違いを見出し, それらに対して説明を加える,対照言語学という分野がある(類似した術語に,「比較言語学」という分野があるが, こちらは英語とドイツ語や,中国語やチベット語という同じ系統に属する言語同士を比較することになる). 日本語と韓国語(英語だとKoreanであり,北朝鮮でも話されているのだから,「韓国・朝鮮語」と称すべきなのかもしれないが, 今回の対象は韓国で話されている題材につき,韓国語と呼ぶ)の両者は,文法的にはかなり類似しているのだが, 細かい部分を精査していくと,同じ系統であるとは言えないというのが現在の定説である.というわけで,比較言語学ではなく, 対照言語学の話となる. ↓日本語と朝鮮語の比較『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%A8%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E8%AA%9E%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83 ↑日本語は日琉語族に属しており、朝鮮語は朝鮮語族に属している。地理的に近い言語である両言語は、言語類型の語法と形態については似ているが、語彙などの一致は少ない。また、異なる文字(かな、ハングル)を用いるものの、いずれも中国の漢字に由来している。日本語では漢字が正書法の一部だが、朝鮮半島で伝統的に使用されてきたハンチャ(한자)は歴史上のものとなっている(大韓民国では、部分的に漢字が使われることがあるが、朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)では漢字は建国時点で全廃されている)。言語の類似と朝鮮の日本の文化への影響を観察した多くの言語学者は、両言語は語族的な関係があるという仮説を立てたが、ほとんどが確証が無いか、多くで信用されていない仮説の一部を取ったものが多かった。計算言語学と考古学的証拠によって裏付けられたロベーツらによるトランスユーラシア語族仮説(新アルタイの提案)など、系図上のつながりの可能性を復活させた新しい研究もあったが、この見解は厳しく批判されている。 「日本語」と「韓国語」とは「文法・語順」が同じであると言って、両者には関係があると主張される方がいらっしゃいますが、関係はありません。 そもそも「SOV」は世界で一番多い文法です(言語数が多いという意味で、一番話されている言語という意味ではない)。 イギリスでも、古英語(700~1100年)においては、日本語と同じ「SOV」で普通に話されていたのです。 ------------------------------------------------------------ We theod-cyningas thrym gefrunon. = 私たちは民の王たちの誉れを聞いた。 We = 私たちは theod-cyningas = 民の王たちの thrym = 誉れを gefrunon = 聞いた ------------------------------------------------------------ ↑このように、日本語と古英語の語順はとても似ていて、完全に一致することもありますが、両者の間に深い関係はありません、その種明かしとなるのが、格かく (case) 変化という名詞の語尾変化です。簡単に言ってしまえば、日本語で語順が自由なのは、「男は」、「使いの者を」という「てにをは」がついているからです。専門的な文法の理屈は違いますが、古英語でも同じようなことが起きていたわけです。 日本語の「てにをは」に考え方は似ていますが、文法上の分類としては、日本語と古英語はまったく異なります。古英語のような特徴を屈折言語くっせつげんご (fusional language; inflected language) といいますが、日本語は、「てにをは」のような要素を膠にかわのようにくっつけることから膠着言語こうちゃくげんご (agglutinative language) と呼ばれています。 ・現代英語=英語では事実上SVOで固定です←言語の自由度が失われたため ・古英語=古英語(700~1100年)の段階においては日本語型のSOVがごく普通にあった。 【↓根拠(エビデンス)】 ↓英語の歴史(こんなに違う古英語の文法) https://www.rondely.com/zakkaya/his/old_gra1.htm ↓なぜ英語はSVOの語順なのか? https://www.kenkyusha.co.jp/uploads/history_of_english/series/s11.html

根拠のない「デマ」ですね。 今の「天皇家」と「血」がつながるのは「継体朝(継体天皇)」からという事になる。「継体朝(継体天皇)」の祖先(出自)は全くの「不明」である。 「日本」は、教科書にも書かれている(邪馬台国については畿内説と九州説があるが)ように ----------------------------------------------------------------- 「弥生時代」の「ムラ」の集落から多数の「小国」へ、その「小国」が連合を組んで「邪馬台国」へ、そしてそれが「ヤマト王権」に繋がり「大和朝廷」に至ったらしい。 注:邪馬台国の九州説の場合は若干異なる。 ----------------------------------------------------------------- と考えられています。 ↓ヤマト王権の遷移 ----------------------------------------------------------------- 【邪馬台国~ヤマト王権の黎明時代】 「ヤマト王権」の黎明期である、「邪馬台国」の女王「卑弥呼」は「邪馬台国連合(倭国連合:卑弥呼の時は約30ヶ国)」の「合議」で選ばれ「共立」された「(倭国連合の)女王」である、わかりやすく言えば、倭国連合(約30ヵ国)の「選挙」によって「王」が選ばれていた。 ----------------------------------------------------------------- 【ヤマト王権時代】 「倭の五王」の時代、「倭の五王」は「讃・珍・済・興・武」、「血縁関係の無い王族グループ」が「複数」存在し、その中から王権の継承が行われていた。 ----------------------------------------------------------------- 【ヤマト王権から大和朝廷へ】 「継体朝(継体天皇)」以降を指す、世襲(血統による選出)を開始し今に至る。 ↑今の天皇制 ----------------------------------------------------------------- 「継体朝(継体天皇)(在位507年~531年)」の直前で「今の天皇家」との血縁が切れている可能性が非常に高いと考えられているのです。 今の天皇家と血が途切れるのは「継体朝(継体天皇)」の前あたり、「継体朝(継体天皇)」の祖先は、どこの誰だか「完全に不明」で、少なくとも政権は取っていない、もちろん「継体朝(継体天皇)」の前にも王はいたが、今の天皇家とは「赤の他人」である可能性が非常に高い。 「継体朝(継体天皇)」の祖先が何者かは全く「不明」です、豪族だったかどうかすら「不明」です。 同じように「倭の五王」も何者かも全く「不明」です。 --- 「記紀(古事記と日本書紀)」には「継体天皇(継体朝)」以前の繋がりが記載されておらず、「継体天皇(継体朝)」以前の繋がりについては「上宮記」に記載されているが、「上宮記」に記載された内容は極めて疑わしいという事になる。 ↓上宮記『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%AE%AE%E8%A8%98 ↑この「凡牟都和希(ホムツワケ)王」が誰の事かというと、「記・紀」に垂仁天皇の皇子として記録される(全く同じ名前の「ホムツワケ」である)「誉津別(日本書紀)品牟津和気命(古事記)」の事である、とする。 つまり、継体は当初「上宮記一云」では垂仁天皇の皇子の五世孫を自称していたのに、のちの時代において、応神天皇の五世孫の自称に改変した、というのである。 このように継体の出自の系譜が定まったものでなく、時代の設定によってコロコロと変化し、応神自身も実在が疑わしい人物であること事から、そもそも継体が本当に遠い傍系の王族なのかも極めて疑わしいというものである。 --- ↓皇位が世襲制になったのはいつから? https://gendai.media/articles/-/87179 ↑継体天皇は実名を男大迹王といい、近江国(現在の滋賀県)を拠点とする彦主人王と越前国を拠点とする振媛の間に生まれた。継体は応神天皇5世の子孫と称し、母の振媛も垂仁天皇の子孫とされるか゛、それらの系譜の信頼性は乏しく、近江から北陸を勢力範囲とする事実上の地域勢力て゛あったと考えられる。 --- ↓イチから分かる天皇の歴史 古代~現代まで【日本経済新聞】 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44138660U9A420C1000000/ ↑26 継体(けいたい)507~531---現在に続く天皇の実質的な祖先とされる --- ↓【第47回】いつから天皇制が始まったのか? https://shinsho.kobunsha.com/n/n327b3251985a ↑中国の『漢書』によれば、紀元1世紀頃、「倭」と称された日本列島に百ほどの小国があった。『後漢書』によれば、2世紀頃の「倭」の国々は乱れて互いに争い、統治する者はなかった。その争乱状態を終わらせるために諸国が祭り上げた最初の「倭王」が、邪馬台国の女王・卑弥呼である。『三国志』によれば、238年、卑弥呼は当時中国で最も強大な魏に使者を送り「親魏倭王」の称号と金印を得た。しかし、卑弥呼の死後、再び「倭」は混乱した。 ↑『宋書』には、5世紀に5人の倭王(讃、珍、済、興、武)の使者を迎えたと記載がある。これらの5カ国を平定し、6世紀、専制的な「倭国」を建国したのが継体天皇である。この国は欽明天皇に引き継がれ、世襲制が成立した。 天皇家と朝鮮半島との関係は、「高野新笠様」の件の↓以下のわずか1件しかありません。 「高野新笠様」の件 ↓宮内庁 http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html ↑天皇陛下 日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。 ---------------------- 桓武天皇の母親の高野新笠様の系図 武寧王(461年日本生まれ第25代百済王(在位501-523年)) 純陀太子---在日1世 斯我君-----在日2世 法師君-----在日3世 雄蘇利紀君-在日4世 和史宇奈羅-在日5世(和氏に改名して日本に帰化) 和史粟勝---在日6世 和史浄足---在日7世 和史武助---在日8世 和史乙継---在日9世(娘を天皇家に嫁がせて高野姓を賜る) 高野朝臣新笠---在日10世―桓武天皇[第50代天皇(在位781-806年)] 桓武天皇の母親の高野新笠様は10代前に渡来し、6代前に日本に帰化した百済系10世。高野新笠様の百済系の割合は1/(2^10)=0.00098。パーセントにすると0.098%となり、125代の天皇陛下(今上天皇)との関係を計算すると、 「0.0000000000000000000000000013%」となります、つまり「DNA」の最少単位となる1塩基にも足りず、→血統としては「0」となります。

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それは「嘘(ウソ)」ですね。 遺伝子の最新研究によって「日本人(大和民族)」の「DNA(核ゲノム)」の「約70%」は「黄河流域人(漢民族の祖先)」と判明しています。 「日本人のルーツ」の「日本人の三重構造(起源)」の「調査結果」は3者から出されています。 ・国立遺伝学研究所(斎藤成也教授)【2015年】 ・金沢大学、鳥取大学、ダブリン大学トリニティ・カレッジ 【2021年】 ・理化学研究所 【2024年】 ↑上記3つをまとめてみると↓以下となります。 ---------------------------------------- 元々古くから日本に「縄文人」がいたが、「紀元前10世紀(今から約3000年前)~弥生時代後期」までに「渡来系弥生人」が日本に渡来し本格的な水稲稲作を持ち込み、「縄文人」と「混血」化を繰り返しながら、だんだんと「九州→関東→東北」に広まっていった、これが「蝦夷(元は日本全国であった)」である。 その後、「弥生時代晩期~古墳時代」までに中国から「漢民族(中国人の祖先)」が大量に「日本列島中央部(関西、四国など)」に渡来し、既存の日本人と混血化しながら、だんだんと「九州←関西→関東東北」に広まって「今の日本人(大和民族)」が形成された。 ---------------------------------------- ↓わかりやすく説明すると -------------------------------------- 「ホモ・サピエンス」の「出アフリカ(今から6万5千年~7万年前)」以降、早ければ今から約5万年前に、初めて東アジアに到達した現生人類が「縄文人の祖先」の模様です、また、「日本列島」には、今から約3万5千年前に渡来した模様です。 「縄文人」 「紀元前10世紀(今から約3000年前)~弥生時代後期」に「渡来系弥生人」が日本に渡来して、本格的な水稲稲作を持ち込んだ。 「縄文人」+「渡来系弥生人」=「弥生人」 「弥生人」=「蝦夷人」(弥生時代は日本全国に展開、その後東北など) 「弥生時代晩期~古墳時代」に中国から「漢民族(中国人の祖先)」が大量に「日本列島中央部(関西、四国など)」に渡来した。 「弥生人(蝦夷人)」+「漢民族(中国人の祖先)」=「関西人」 「関西人」=「朝廷」(古代四国近畿など、その後全国に展開) -------------------------------------- ↓全ゲノム解析で明らかになる日本人の遺伝的起源と特徴【2024年4月18日 理化学研究所】 https://www.riken.jp/press/2024/20240418_2/index.html ↓古代ゲノミクスは、日本の集団の三者起源を明らかにする【2021年9月16日 金沢大学論文】 https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abh2419#F5 ↓パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造【2021年9月16日 金沢大学】 https://www.ous.ac.jp/common/files/295/202109171705250321416.pdf ↓日本人の祖先、3系統か https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1375266 「日本列島人形成の三階層渡来モデル」という基本的な考えを最初に提唱したのは国立遺伝学研究所の「斎藤成也教授」となります。 国立遺伝学研究所の「斎藤成也教授」の↓「日本列島人の歴史(2015/08/28出版作)」に、以下に示す記載があいます。 http://www.nig.ac.jp/nig/ja/2015/08/information_ja/%e9%9b%86%e5%9b%a3%e9%81%ba%e4%bc%9d%e7%a0%94%e7%a9%b6%e9%83%a8%e9%96%80%e3%80%80%e6%96%8e%e8%97%a4%e6%88%90%e4%b9%9f%e6%95%99%e6%8e%88%e3%81%8c%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%88%97%e5%b3%b6%e4%ba%ba.html ↑「第5章、9項、日本列島人形成の三階層渡来モデル」より ---------------------------------- 「縄文人」+「渡来人A」=「蝦夷」 「蝦夷」+「渡来人B」=「現代日本人」 「斎藤成也教授」は「渡来人A」と「渡来人B」とは(漢民族などと)同じ系列ではあるが「遺伝学上若干異なる」と述べています。 ---------------------------------- ↓日本列島人形成の三階層渡来モデル(斎藤成也教授)より【↓クリックすると拡大できます】 ↓【第一段階】=「縄文人」の渡来 ↓【第二段階】=「渡来系弥生人」の渡来(渡来地は北九州) ↓【第三段階】=「古代黄河人」の渡来(渡来地は近畿、四国)

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「日本人(大和民族)」は「縄文人」と「北京周辺に居住する中国人の祖先に近い系統(渡来人)」との混血民族と判明しています。 ↓国立遺伝学研究所(2016年9月1日) https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2016/09/research-highlights_ja/20160901.html ↓「総合研究大学院大学のプレスリリース(2016年9月1日)」 https://news.mynavi.jp/article/20160901-a074/ ↑三貫地縄文人と東ユーラシア人だけで比較したところ、図1のようになりました。ヤマト人(東京周辺に居住している日本人)が三貫地縄文人と北京周辺の中国人にはさまれた位置にあり、ヤマト人はこれら2集団のあいだの混血であることが示唆されます。

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百済と新羅の戦いは、じっさいはヤマト政権と唐の戦いだよ。 当時の朝鮮半島は日本と中国の覇権争いの場所だった。