智恵袋を初めて14年ですが、かつては素晴らしい回答も多くいただきました。 そういう肉厚な回答をしてくれる人はもういなくなったのでしょうか。 昔を懐かしく想うことも多い今日このごろです。 あなたにも想い出の質問や回答がありますか? ・・・ 一例:質問 こういう子を見たことがあるようなので探しています。 お近くにいませんか?・・・・ 駆け抜ける天使、時に留まるが捕まえようとすれば すり抜け逃げる、その眼差しにあるもの、それは愛 であるのか涙であるのか・・・哀しみもある、歓喜もある・・・その目は熱いようで涼しく、悪戯的でもあり、 気高くあるようでもある・・・ この子は一体何なのか? このようなイメージの子を哲学的には何と言うのですか? 補足 今日も運転しながら頭の中のオーケストラを前に 指揮棒を振るったのですよ、私は。 すっごく気持ちよく汗だくだくになりますよ、いつも。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1288700307 一例:回答 自分の頭の中で、ものを作り出すことができない子供なのだと思います。だからこそ子供なのです。 「神は言葉である」という場合の「言葉」とは、単に文字列だけのものではなく、人の営為の一切にあるものであり、音楽としてもあるものだと思います。 預言者たちが「言葉として聞くことができ、それゆえに預かったもの」を、音楽という形で預かり、それを形にしてきた子供なのだと思います。 「ある瞬間、ある場面、あるきっかけで、言葉として聞き、それゆえに言葉を預かることができ、形にできる者」は多いでしょう。 しかし、「生きている限り、その言葉をいつでも聞くことができ、預かることができる者」は、きわめて少ないだろうと思います。 その子供は、そんな中の一人だったと思います。 自分の頭の中では何も作り出せず、ただ預かり続け、それを形にし続けた者。 だからこそ、「AMADEUS(=神に愛された者)」なのです。 http://www.youtube.com/watch?v=LLTpdYog4FY&feature=related 10:45からは、それを知る者たちが次々に翼を広げ、飛翔していく姿が示されます。そうしてそれは、冬の冷えた早朝の海、水平線の彼方に昇る朝日の姿でもあるのです。 http://suesue201.blog64.fc2.com/blog-entry-396.html ・・・ 是非想い出の投稿読ませてください。
シニアライフ、シルバーライフ | クラシック・1,606閲覧
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