流れとしては
ヘンリー8世は最初に兄の未亡人『キャサリン・オブ・アラゴン』と結婚。
しかし彼女は20年間流産・死産を繰り返し育ったのは娘のメアリーだけ、王子の欲しかったヘンリー8世は聖書に「兄の妻と結婚してはならない」やキリスト教で結婚できない親戚関係なのをローマ教皇に特別許可をもらい結婚したことを理由に「結婚無効(カトリックは離婚できないので)」を求めました。
当然ローマ教皇には認められず、怒ったヘンリー8世は勝手にイングランド国教会をつくって強引に離婚。
キャサリン王妃を事実上の軟禁状態にして『アン・ブーリン』と結婚しましたが、またも流産などで女の子1人しか生まれずわずか2年で不義密通などの容疑で処刑してしまいます。
その次に腹心の部下の娘『ジェーン・シーモア』と結婚し今回はすぐエドワード王子が生まれましたが、ジェーンは出産直後に死亡。
さらに3年後『アン・オブ・クレーヴズ』と結婚しましたが顔が好みに合わなかったようでたった半年で離婚。とはいえさすがに「王の妹」格で遇しその後も関係は悪くなく6人の王妃の中で最も幸せな生涯を送った女性とも言われています。
5番目に2番目のアン・ブーリンのいとこ『キャサリン・ハワード』を王妃にしましたが王妃は前の恋人たちとの不義密通が疑われ処刑。
最後の『キャサリン・パー』は他の男性と結婚するはずだったのを王がみそめて強引に王妃にしました。
しかし6人の王妃の中で最も教養高く賢い女性だった彼女は庶子として扱われていたメアリー・エリザベスを王女の地位に戻し、幼いエドワード王子やエリザベスを教育、3人の子供たちに慕われて病身の夫を献身的に看病しヘンリー8世に穏やかな最後をおくらせ死別しました。
なので処刑したのは2番目の『アン・ブーリン』と5番目の『キャサリン・ハワード』ですね。一応名目は不義密通や反逆罪です。
他の離婚した2人は単に王家や名門の出などで処刑できなかっただけかもしれませんが、アン・ブーリンに関してはジョーン・シーモアと結婚するためだったということはたしかなようで処刑2週間後に結婚、とはいえ王子出産は結婚1年半後なのでその時は多分妊娠はしていないと思いますが。
ヘンリー8世がなぜ次々結婚したのかといえば、イングランドは女王は認められていましたがそれまでは女王で国内が安定したことがなく、夫に乗っ取られる危険があったりでどうしても王子が欲しかったからだそうです。