明治天皇と南朝イデオロギー

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさまありがとうございます。教えていただいたことをヒントにさらに調べてみたいと思います。ところで南朝正統が公定して以来、北朝である天皇の正当性は「三種の神器」の有無にあると教育されていた昭和天皇にとって、米軍が伊勢湾に上陸すれば国体護持は難しいと天皇が独白録で述べられたことは実に興味深いです

お礼日時:2007/2/5 21:59

その他の回答(2件)

少々特異ですが  明治天皇替え玉説、あるいは暗殺説というものがあります。  http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nanboku4.html 明治天皇の父である、孝明天皇については、暗殺説ということが、強く疑われています。 また、当時の状況、そしてその後の展開を考えると孝明天皇の暗殺という説にはかなりの信憑性があると思われます。 明治天皇替え玉(暗殺)説もその延長にあると思われます。 この説が正しいかどうかはわかりませんが、この説の中で、明治天皇とは、孝明天応の皇子の睦仁親王ではなく、南朝の末裔である大室寅之祐であるとしています。 少々、奇抜な説かもしれませんが、ご参考までに。

万世一系の天皇制に於いても、この時期は南朝・北朝に分かれての武力・権力闘争があったことをしっかり知る必要がある。南北朝は、南朝、後亀山天皇が神器を、北朝、後小松天皇に渡し合一される。今の天皇家は、この北朝の系統である。南北朝の正潤については長く論争が行われ、明治の末には教科書論争もあった。 この教科書論争で決着が付けられた。 ↓参照。 www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/nanpokutyouron.htm www.ryomonet.co.jp/p-soft/nanboku/seijyun01.html www.ryomonet.co.jp/p-soft/nanboku/seijyun02.html