ドラゴンクエスト4のデスピサロについて。 ドラクエ4のピサロですが、よく「悲劇の魔王」と評されており、歴代の他の魔王(ラスボス)とは大きく違うような見られ方をしています。また勇者と対比してコインの表裏のような関係だとする意見も散見されます。 ピサロは愛するロザリーを失ったことでその原因を作った人間を滅ぼそうとした悲劇性のある魔王であり、勇者も大切な人(シンシア)を失って魔族と戦うという共通点がある。というような論調です。 まず第一に不思議なのが、ピサロはロザリーが生きている頃から人間界(人類)への侵攻を企てています。その前線拠点であるデスパレスがロザリー存命中から存在する以上、ピサロの人類侵攻とロザリーに直接の因果関係がありません。 人類に対しての侵攻は魔族の王としての責務ですから彼がそれを成そうとすること自体は否定しませんし、そのために障害となり得る勇者を絶やすために誘拐などの工作を行って子供たちを攫っていたことも、魔族の立場では当たり前の事です。 ただ、それであれば過去作の悪の親玉たちと何ら変わらないと思うのです。 また勇者との対比構造(コインの表裏)というのも謎です。 勇者はピサロ(に率いられた魔物)にシンシアを殺されました。またその時点での勇者にはシンシアを守るどころか魔物に対抗する力もなく、さらにどうして自分が狙われるのかも分かりませんでした。 対してピサロですが、ロザリーを亡き者にしたのは勇者ではなく一切無関係のゴロツキです。実際にピサロはゴロツキたちを一瞬で始末しているほど戦闘力も高いですしその気になれば十分に守れます。また強欲な人間にロザリーが狙われている事も知っていました。魔族の王ですからロザリーの防衛体制を整えるくらいやればできたわけです。リメイクだとエビルプリーストに出し抜かれたのかもしれないですが。 このように、対比構造というにはあまりにも立場も能力も状況も違います。 もちろん愛するロザリーを失った点が気の毒だとは思うのですが、抗いようもないどうしようもない事情によってそれが起きた悲劇というよりは、防ごうと思えば防ぎようはあったように見えるので王たるものとしての危機管理能力の無さを感じます。 竜王にしてもハーゴンにしてもゾーマにしても、規模感や実害に差はあれど魔物の事情で人類を攻撃した点はピサロと同じです。ピサロと違って親玉側の視点での描写がないため、已むに已まれぬ事情があったのかピサロと同様に単なる私利私欲(魔物側の勝手な事情)なのかは分かりませんが、少なくとも悲劇的な背景がピサロを人類侵攻に駆り立てたわけではないという点で、普通の魔王と同じではないかと感じるのです。人間界完全支配への橋頭保として表の世界をほぼ掌握していたバラモスを討たれたゾーマの方がよほど悲劇でしょう。ゾーマの力から考えるとさしたる痛手ではなかったかもしれませんが。 ・避けられない運命に翻弄される ・本人の力ではどうしようもない状況に苦悩する ・失ったものや悲劇の原因が外部的かつ理不尽な要因である という悲劇性を持たせるための要素がピサロには無いと思うのです。 仮にピサロが最初は人類侵攻を逡巡しておりロザリー喪失によって人類侵攻に舵を切ったというのならまだしも、ロザリー存命中から人類侵攻を進めておりむしろロザリーに止めてほしいとすら思われている描写もあります。 後に出た久美沙織氏の小説で、氏のロマンス志向によって創作や改変があってピサロが悲劇の主人公であるかのような描かれ方をしているのはあるかとは思いますが、少なくとも原作本編においてのピサロは凡百の魔王とさして変わらないのではないでしょうか。 どう思われますか?