なぜ日本の漫画の主人公はアメコミの主人公と比べて悪人を殺すことが多いんですか?

補足

言い忘れていましたが、パニッシャーというアメコミのヒーローは、家族をギャングに殺された過去を持ち、悪党を処刑するためにパニッシャーとして生まれ変わったキャラです。このキャラは他のアメコミヒーローと違い、悪党を躊躇なく殺しまくる凄いキャラですが、アメコミではパニッシャーみたいなヒーローは異端なんでしょうか?

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それはスーパーマンやバットマンが「ヒーロー」だからです。 アメコミのスーパーヒーロー達は動機・出自は違えど皆「自分たちが暮らしている社会をより良いものにするために」ヒーローとなって日夜戦っています。こうした「社会のために」戦うヒーローというのは日本の漫画ではあまり見られません。「強い奴と戦いたいから」といった個人的な理由だったりもしくはおかしな事件に巻き込まれて仕方なくといった、消極的な理由だったりします。日本の漫画において主人公と「社会」の間には大きな隔たりがあるのです。 アメコミではヒーローは「社会」の一員であり「社会」の為に戦います。では社会において警察でもない裁判官でもないただの一市民が独自の判断で人を殺すようになったらどうなるでしょうか?こいつは生きている価値はない悪人だ、だから殺してもいいと法律上なんの権利もないヒーローが悪人を平気で殺すようになったら社会の秩序が成り立ちません。そうなったらヒーローの意思が新たな社会の秩序となりヒーローが社会の支配者となってしまいます。 ヒーローもまた社会の一員であり好き勝手な活動は守るべき社会を壊す事にも繋がる、そういった理由からアメコミではヒーローの行動にはルールがありその一つが悪人といえど殺さず法の裁きに委ねる事なのです。 以上に述べた理由はアメコミの「スーパーヒーローもの」における暗黙の了解であり「スーパーヒーローもの」以外の作品においてはその限りではありません。例えばフランク・ミラーの「シン・シティ」では主人公は平気で相手を殺します。 アメリカでの暴力表現の規制を問題にしてる方もいますがこの質問の趣旨は「なぜアメコミの主人公は悪人を殺さないのに日本の漫画の主人公は悪人を殺すのか?」であって、「なぜアメコミでは殺人描写が無いのに日本漫画では殺人描写が有るのか?」ではないので的外れですね。実際何十年も前ならいざしらず現在ではアメコミのスーパーヒーローものにおいても殺人描写、暴力描写は山のようにあります。

>スーパーマンやバットマン、スパイダーマン いつのアメコミの話してるんだよ スポーンはどうした

単純に、作者や出版社が無神経だからだよ。 コミックの中だから何してもいいと思って、残酷で無慈悲な本性があらわれたんじゃない? (^○^) だけど、そんなものを読まされて育つ子供たちは現実の存在なんだよね。

日本の精神の中には(流石に根底とまではいえませんが)「因果応報」というのがありますし、「勧善懲悪」が受け容れられていますから、悪は完膚なきまで叩きのめされる傾向が強いですね。

知恵袋ユーザー

2008/2/3 22:21(編集あり)

アメコミのヒーローは、あれはアメリカのために戦っているのです。『キャプテン・アメリカ』なんてもろそのまんまですし、『スーパーマン』『バットマン』もアメリカンドリームを守るために戦っているのです。戦時中にはドナルド・ダックまでナチスや日本と戦っていました。つまり、アメリカの民主主義を守るためのヒーローなので、悪人も民主的に裁かねばならないのです。 アメリカは日本と違って町中に国旗があふれ、何かあるごとに胸に手を当てて国家を歌うような、国家に対する忠誠心がめちゃくちゃつよい国なので、自然とマンガにもそのような感性が現れるのです。 一方日本のヒーローは国家とは無縁です。戦後日本のマンガには、国家のために戦うヒーローは、戦記物の一部を除いて存在していません。彼らはアメリカンドリームでも日本のためでもなく、「強くなりたい」とか「海賊王になりたい」とか「絶対にあいつは許せねえ!」とか、個人的な理由で戦うのです。誰かを守る場合もその対象は国家ではなく恋人とか家族とか仲間とか、「愛する人」ですね。 日本ではマンガ以外でもそうです。時代劇も皆個人的理由で戦うんです。忠臣蔵も、自分の上司の敵討ちという、社会的には許されない個人的感情による行動が英雄談になっているわけです。 (日本のマンガで『キャプテン・ニッポン』なんて名乗って、日の丸模様の服着て敵を倒すヒーローなんて、考えられないでしょう?戦前には桃太郎がアメリカ人をやっつけるアニメなんてのもありましたけどね。のらくろも軍人ですし。) また読者も楽しめればいいので、フリーザみたいな悪いやつは主人公が倒してくれたほうがすっきりするので、それでいいのです。フリーザは国民ではないので裁判で裁かなくていいのです。『ドラゴンボール』とか『幽☆遊☆白書』とか『ONE PIECE』とかのバトルマンガでは、敵が宇宙人だったり妖怪だったりして法で権利が保障された国民ではないし、主人公も国家正義のために戦っているわけではないから殺してしまってもいいのです。 日本のマンガでも、現実の日本を舞台に、敵も人間の場合は殺すのは普通避けます。『るろうに剣心』みたいに。法に触れるからです。宇宙人であるフリーザを殺しても、悟空は法により罰せられないからかまわないのです。『北斗の拳』は相手は人間でも法秩序が崩壊した未来だからかまわんのです。 「アメリカではマンガは子供が見るものだから」という考えも、一応関係はあります。昔アメリカでマンガの暴力描写が問題になりPTAなんかが「有害な」マンガに対する焚書行動まで起こしたことがありました。アメリカでは映画でもマンガでも細かくレート付け(対象年齢制限)がかかっていて、『ドラゴンボール』もテレビ版ではやばいシーン(たとえば人造人間の手がヤムチャの体を貫くシーンみたいなの)はカットされてました。ノーカットのDVD版は「13歳以上向け」と書かれています。『シュレック』とか『カリオストロの城』でさえ「低度の暴力描写」があるとして「保護者の指導下」見ることが推奨されています(Parental Guidance Suggested)。実際に暴力事件が多いアメリカでは過剰に反応するんです。 でもこういうのってアメリカに限ったことじゃないんですよ。日本も戦後すぐのころはキスシーンがあっただけで有害図書扱いされました。いまだったら全然なんでもない手塚さんのマンガも、キスシーンとか女の人の生足描いただけで有害図書でしたからね。「1ページに銃が幾つ出てきている」なんて「重箱の隅をつつくような」非難をされたと手塚さんは語ってましたね。 でも日本ではマンガがPTAなんかじゃ抑えられないほど大きな産業になりましたし、それを読んで育った子が親になるようになってから、容認されちゃったわけです。自分たちも子供のころ読んでたわけだから、「暴力的なマンガを読んだからって暴力的な子供になるとは限らない」と判断されたわけですね。現に暴力的なマンガやアニメは日本のほうがアメリカよりはるかにあふれているのに、犯罪率は日本はアメリカとじゃ比較にならないほど低いですからね。 でも一番大きい理由は、先述のとおり、アメコミヒーローはアメリカのために戦っているから、アメリカの民主主義に反することはしないってところですね。社会正義のためか、個人的感情からか、アメコミと日本のマンガじゃ戦う動機が根本のところで違うんですよ。 長文な上フリーザばっかりの説明ばっかりになっちゃいましたね。すみません。でもアメコミヒーローと日本マンガのヒーローでは上のような違いがあるんですよ。