「親が子供の頑張っている事に応援するのは当たり前だとは思わない」 と夫に言われ、理解不能です。 価値観が違うとまで言われました。

補足

応援しない=虐待、と書きたかった訳では全くありません。虐待は心や体が蝕まれる事だと考えていますので。文章が拙くてすみません。 虐待が存在するように、親から子への無償の愛が当たり前ではない事は理解しているが、 虐待を「それも考え方の1つ」とは思えないように、「子供の頑張っている事を応援するのが当たり前ではない」というのが「考えの1つ」とは思えないということです。 夫は健全な家庭で育っています。 それから、娘が日頃から生活の中心として頑張っている習い事の大会で、5類以降前の時期のコロナ禍にも関わらずソープに通っていて、コロナを持ち込んで娘の努力が水の泡になったらどうしてくれたのか、親が子供の努力の足を引っ張るような事をするなんて、という話しからです。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご意見ありがとうございます。 お金はかかっているので確かにあるかもしれません。

お礼日時:1/7 9:50

その他の回答(9件)

ご主人の言ってることはなんとなくわかります。 こどもが何に頑張っているかにもよりますが、 すべてに応援するのは確かに当たり前ではないと思います。 きっと貴方やママ友さんは その「何か」をわかっているからご主人が意味不明なのでしょう。 親は応援するより見守る立ち位置だと思いますし、 片方が、夢中で熱中しているのなら、片方が少し冷めた意見を いうことはとても良い傾向にも思えました。 時にサッカーや野球のクラブチームなどでは こどもより夢中になっている親御さんをお見掛けしました。 お金をかけ、海外遠征や酸素カプセル、ニンニク注射まで 子供がそのスポーツをやめたいと言ったときに 親のほうが「こんなにお前にかけたんだぞ」という親も たくさん見てきました。 親がお金を注いだ割にスカウトも来ず、就職も失敗し、そのスポーツからも抜け出せず・・・なんてケースはいくらでもあります。 ご主人が言うのは「ほどほど」という意味合いとして取れば とてもストンと入ると思います。 お子さんの小学校以上の感覚で書いていますが お子さんの運動会で誰よりも声をあげる親御さん。 ミスを許さない親御さん。 子供より熱くなってしまう親御さん。 私はどれも間違っていると思います。 子供は自分で経験して学んでいくことで成長します。 「頑張れが」時には負担に 親は平常心で愛情豊かに受け入れ態勢だけを整えておく。 応援すると見守るの違いかなと私は思いました。 3人の子育てを終え、孫を持つ50代の意見です。

「親が子供の頑張っている事に応援するのは当たり前だとは思わない」 はイコール 「そういう考え(虐待)もあるよね」 では無いです 子どもさんの頑張っていることを 応援したい気持ちが 親としてあるのは 分かりますが 例えばその頑張っていることが ダンスや芸術系のことや サッカーなどスポーツなど将来の職業に 結びつきにくい 職が無いわけではないが 最初からかなり難関が予想される場合なら 子どもの将来を見据えて 「ダンスを頑張るのを応援はするが それが当たり前とは思わないで欲しい 親は 勉強して就職するという 大多数の人間が選ぶ さほど困難を伴わない 堅実な道を 子どもの人生に望んでいるので 今はダンスより勉強しろよと 本当は思っている その方が 子どもが幸福になれると 思っているから」 って 親御さんは多いと思います 夫さんがそういうことを言いたいのなら お気持ち私は分かります 応援しないとは言っていないが 勉強など 多数の人が幸せになれる 方向に努力している時 全く別の努力をしている我が子を 応援するのは 親も勇気と胆力が必要で しかもその勇気や胆力が必ず報われるとは 限りません だから応援するのは「当たり前」では ありません そして それを「虐待」とは全く感じません 私のいとこは高校の時芸能界に憧れて 東京へ行きましたが ロクな役も貰えず ロクデナシの男に捕まって 妊娠中絶 別の男性と結婚しましたが離婚して 今は実家で親と暮らしていますが 肺がん宣告されているのにタバコを辞めず 親と喧嘩しまくりで 近所にパトカー呼ばれたりもするようです 子どもの夢ややりたいことを応援するのは いいことかもしれませんが 子どもには無い 親の「大人」の視点で こちらの方向に努力した方がいいのに と感じることは多いです 私は母親ですが 「応援しない訳ではないが それを当たり前とは思わないで欲しい」と 言う人の気持ちは 私は分かります 子どもさんの頑張っている内容にもよるので 全く的外れな回答だったらすいません

当たり前ではないを強調しているので、例えば、子どもが俳優になりたいと言うと反対する親も多いですが、そういうことを言っているのでは。

子供の頑張ってることを無条件で応援する=愛情ではないと思います。むしろそういうのは無責任だと思う。 だから虐待とは全く別の話ですよね。なんでそこで虐待が例に出てくるのかわからない。 子供がやりたいことを応援しないのが、あなたのなかでは虐待と同レベルってことですか??? もしそうなのだとしたら、その方が意味不明で全く理解できません。 全然違う話でしょう。 「応援するのが当たり前ではない」 その通りです。至極真っ当ですし、なぜ理解できないのかわからない。ちなみに小学生の息子が2人いる母親です。 頑張ってることを見守れることもあれば、やめさせたいと思うこと、受け付けられなくて距離をとりたいことなどあるものでしょう。 子供が頑張ってるから応援するのが当たり前ではないです。人に迷惑かけたり嫌悪感を感じたり犯罪すれすれのことや、生活を傾けるくらい散財しても頑張ってることしか残らないようなことでも、あなたは応援するのでしょうか。

えっと… 人に迷惑かけるとか散財するとか、そういう類の事はもちろん全然別物です… 虐待については誤解を招いてしまっているので補足に書きました。書き方が悪くすみません。 子供の習い事の話しです。幼い頃から努力を積み重ねて結果も積み重ね、本人は夢に向かって頑張っています。

母親です。 世間では当たり前だと思われていることでしょうが、それは当たり前ではなく特別なことなんだと思います。 応援してもらえることは幸せなことだし、子供がやりたいことを応援できることも幸せなことです。 事情があり子供がやりたいこと一生懸命にやっていることを断念させざるを得ないもあるでしょう。 「当たり前」「当然」とは違うかなと思います。