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続きです。 このような古英語が12 世紀までに消えた背景には、二つの歴史的事件がありました。一つは、800-1000年に、イギリスが北欧から来襲したデーン人・バイキングに占領され、「古英語」を話していた土着民の女性達と古北欧語を話していたデーン人・バイキングの間にたくさんの混血児が生まれたことです。古英語と古北欧語はともにゲルマン語族に属していて、語彙・文法ともよく似ていたのですが、たとえば名詞の格変化語尾形などの細かな点では異なっていました。そのため、母親の話す言葉と父親の話す言葉から語彙を適当に拾っていた混血児たちは、名詞の格変化を省略してしまったのです。このため、名詞から、主格・与格・対格・前置格の区別がなくなり、そのかわりに、文章内の位置(語順)によって、名詞の機能を判断するという「文法」が生じました。このような言語現象は英語だけでなく、フランス語などのロマンス諸語でも生じています。ロマンス諸語はラテン語を祖語とする言語ですが、ローマ帝国崩壊後、教育システムがなくなってしまった中世の西欧では、人々はラテン語の複雑な格変化を覚えきれず、結局、名詞から格変化を追放し、その代わりに語順で名詞の機能を判断するという文法を作り出したのです。そして、1066 年のへイスティングスの戦いで、イギリスは、そのようなフランス語をしゃべっていた北フランス在住のノルマン貴族たちに支配される国になってしまったのです。これらのノルマン貴族は、ジャンヌダルクによってフランスから追い出される 15 世紀初頭まで、イギリスとフランスの双方を支配していましたが、この間、彼らは、もっぱらフランス語だけを使っていて、英語そのものにはまったく無関心でした。その間、被支配民(庶民)であった土着イギリス人(バイキングとの混血児を含む)のほうは、教育も受けなかったので、支配者のしゃべっていたフランス語の語彙と文法を拝借しながら、自分たちの言葉である英語を自分勝手にどんどんと変えていきました。こうして成立したのが、「中英語」です。「中英語」の代表的な文献は、1390 年頃に書かれた「カンタベリー物語」(著者はChaucer)ですが、He never yet no vileynye ne sayede. He was a verray parfit gentil knyght. は、その一節です。これを現代英語に逐語訳すると、He never yet no villainy ne said. He was a very perfect, gentle knight となり、現代英語として整えると、He never yet said any villainy. He was a very perfect gentle knight (彼はそれまで一度として下品なことを言ったことはなかった。彼こそ本当の完全に紳士的な騎士であった)となります。Chaucer の英語は、現代英語と比較すると、綴りや語順に少々の違いがありますが、その相違は、ちょっと教養のある現代英米人はそれほど苦労せず意味を汲み取ることができる程度のものです。その意味では、「中英語」こそが、現代英語の祖先とも言うべき言語であると言えます。しかし、この「中英語」には、現代英語と決定的に違うところがあります。それは、do、will、shall などの助動詞をほとんど使わなかったことです。英語が助動詞を発達させたのは、「近英語」になってからです。 「近英語」と「現代英語」との差はわずかで、我々にはわかりにくいですが、それでもネーティブには、19世紀に書かれた英文は古臭く感じるようです。たとえば、20 世紀初頭までは、I am a person whom you can trust は自然な文でしたが、今日の英語人にとっては、このような I am や whom の使い方は古臭く感じるようで、こう書くと、彼らは必ず I'm a person you can trust と直します。日本の学校では、ややもすると、この「近英語」と「現代英語」の区別を明確しないまま英語教育がなされているのは残念至極です。 『補足』:ご指摘に従い、へースティングをヘイスティングスに補正しました。Thanks a lot!
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質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。
お礼日時:2007/6/23 14:02
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英語が良く判らないので、苦労します。 アメリカに来て暮らし始めて、道路交通標識に「一時停止」の真ん中に「Yield」とよくあるので、最初は何のことやら判りませんでした。 私はむしろヨーロッパの方が滞在経験が長いので、英国には住んだことはありませんが、何度も訪れています。 英国では「Give way」です。訊くとYieldは古い英語なのだと言うことで、妙に納得です。 むしろ米語の方が古い言い回しが残っているようで意外に思っています。
「英語の古語」という言葉をどう定義するかによってあなたの質問に対する答えも変ってきますが、簡単に英語の歴史をお話ししながら、古い英語の文章を紹介しましょう。 英語(English)とは、England(Britainの南部)でしゃべられ、発達してきた言葉という意味ですが、歴史的な変遷を辿ると、① 1100 年以前(日本でいえば奈良・平安時代)の「古英語」、② 1100 ~ 1500年(鎌倉・室町時代)の「中英語」、③ 1500 ~ 1900 年(戦国・江戸・明治時代)の「近英語」、④ 1900 年以降の「現代英語」、にわけられます。このうち、「中英語」ー「近英語」ー「現代英語」の変化には連続性があり、これらは、一つの言語の時代変化と考えて良いと思います。実際、ちょっと語感の良い人ならば、中世語で書かれた「古文」を読んで大体の意味を掴むことが出来ますが、古英語で書かれた「古文」は、普通の現代英米人には外国語で書かれた文のようなもので、簡単に読めるものではありません。「古英語」と「中英語」以降の「英語」とは、別の言語と言ってもよいほどの大きなギャップがあります。 「古英語」は、もともとは、450年(日本で言えば、弥生後期)に北ドイツ・デンマークから移住してきたサクソン・アングロ族がしゃべっていた言葉で、文法の骨格は、今日のドイツ語に近い言語です。たとえば、おそらく、700 年頃に書かれたのだろうといわれている民族叙事詩の Beowulf の一節はDam eafera waes aefter cenned, yeong in geardem, done God sende というような文章です。これを現代対応語に直すと、To him <eafera> was after kinned, young in garden, that God sent となります。このうち、冒頭の dam は、今日の he に 相当する se という言葉の目的格(正確には与格)です。eafera は「嫡子」(a heir)という意味ですが、この言葉は、現代英語には、その痕跡すら見つかりません。kin は現代語に名詞として残っていますが、ここでは、動詞として用いられ、waes aefter cenned で、was later born という意味です。geardem は geard の目的格(前置格)で、この言葉は現代語の garden の祖先ですが、ここでの意味は、「庭園」ではなく、「宮殿」(court)です。お気づきになられたと思いますが、この文章には、我々英語学習者が悩まされている冠詞(現代語の a/an、 the)に相当する言葉がありません。英語に限らず、現代西欧語では、冠詞が非常に重要な役割を果たしていますが、古代の言語で冠詞を持っていたのは、ギリシャ語ぐらいなもので、ラテン語をはじめ多くの古代言語は、日本語やロシア語と同じように冠詞がありませんでした。冠詞の西欧諸語への導入は、元々はギリシャ語で書かれていた「聖書」を自分達の言葉に逐語翻訳する過程で生じたのです。その意味では、キリスト教の普及は、西欧語の文法に大きく影響したと言えましょう。 長くなりましたので、別 ID (Unadon-Applepie) で、続きを書かせてもらいます。
ありますよ。例えばイギリスにあるウエールズという地域には、ウエリッシュという古い言葉を習います。私は全く分かりませんでしたが・・・・テレビにも、そのウエリッシュで放送されているチャンネルがありました。
言葉は、進化しますね。 どんな言葉にも古語はあります。程度の差こそあれ。 シェイクスピアの文章は、難しいですが、曽根崎心中を読む方が、もっと難しいです(知識がもっと必要という意味です)。 日本語の方が、変化のスピードが速いですね。どうしてでしょう。。。