無人島シネマ

毎朝7時頃更新 忘れてしまうには惜しい映画 と雑記

673. aftersun / アフターサン

引用元:happinet-phantom.com

31歳になったソフィ(フランキー・コリオ)

 

今から20年前、離れて暮らしていた父親カラム(ポール・メスカル)と、夏休みに訪れた、少し閑散としたトルコのリゾート地

 

その時に、父と代わる代わる撮影したビデオカメラ

 

そこには、11歳の自分と、今の自分と同い年の父親の姿があった

 

 

 

幼い頃の、夏の日の思い出を映像化するのに効果的な、色褪せた映像と、間延びしたような音楽

 

その中で、自分を必要とし、傍に居たいと思ってくれる娘の気持ちに、うまく応えられないどころか、心無い発言で失望させてしまうカラム

 

そんな父親を見て、ソフィーは「オトナとしては、少し問題がある人なのだろうな」と、既に気づいているのかもしれない

 

それを注意することも、肩代わりすることも出来ない11歳の娘と、不器用に束の間の休暇を楽しもうとする父親が醸し出す、必然的な刹那感に、胸が締め付けられる

 

ホテルの部屋からフロントに電話する父親の姿を眺めながら、父親が世間とうまく通じているのか(オトナの世界でちゃんと相手にされているのか)、ソフィーの年齢であれば、細かい理屈は抜きにして、感覚的に理解できているのだろう

 

 

 

「11歳の誕生日はどう過ごしたの?」

 

と聞かれたカラムが、ソフィにビデオ撮影を止めさせて(実際にはこっそり撮影を続けている)、語るシーンが印象的

 

幼い娘を相手に、「語る」というよりも「心の奥底にあるものを吐き出す」かのような、カラムの吐露を、ぼんやり受け止める、フィルムの中の11歳のソフィー

 

そして今、その映像を観ながら、当時の父親が如何に孤独で、未熟で、そして(不当に)苦しんでいたのかを感じている、31歳のソフィー

 

当時のカラムよりもずっとオトナになっている彼女は、映像の中に父親との逃れることのできない共通項も発見する

 

それは、生きていく上で厄介な心の問題ではあるけれど、今となっては、親子の繋がりを意識させてくれる、数少ない愛おしいものとして受け止めているのかもしれない

 

それまでは、カラムの無責任な生き方を腹立たしく感じていたけれど、このシーン以降は、「何故そういうオトナになってしまったのか」を考えながら、カラムを労わる様に観ていた

 

 

 

11歳の少女、ソフィを演じたのはオーディションで選ばれた新人のフランキー・コリオ

 

「SOMEWHERE」のエル・ファニング、「早熟のアイオワ」のクロエ・グレース・モレッツの姿を重ねてしまうほどの好演

 

 

 

明日は、失踪した妻を追いかける映画を紹介します

 

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