うわさ話に抗して世界を見る

オリバー・ストーン オン プーチン うわさ話というものは、いささか信頼のおけないものであることを、私たちは経験的に知っています。「えー、あの人がそんなことするはずないよね」と考えて、直接本人に聞いてみると、まるで誤解だった、というようなことが…

原田泰治の絵

諏訪にある原田泰治美術館で原田泰治の絵を見てきました。昔、子どもたちに読んであげていた絵本のなかに彼の絵本もありました。彼の描く家は決してまっすぐに立っていません。また地平線は平らなことはなく、左肩下がりだったりまるかったりします。遠近法…

山本太郎の渾身の演説

山本太郎の街頭演説 れいわ新選組を立ち上げた山本太郎の演説が素晴らしい。 私たちの日常生活の今全体を「政治」に接続して、惨憺たる政治状況のなかで、私たちの生活の場そのもので「政治」を突破しようとする。この人は新しい時代を開くオーラを持ってい…

(5)丑松の教室

1 学校批判小説としての『破戒』 島崎藤村は1906(明治39)年『破戒』を自費出版します。藤村34歳のときです。28歳の時に小諸義塾の教師となった藤村は、北国の人びとの生活をつぶさに観察し始めます。後に『千曲川のスケッチ』(1912)となる観察は『…

(4)消える教室

日露戦争のさなか、「遼陽の占領」の「万歳! 日本帝国万歳」の提灯行列の声を聞きながら、林清三(『田舎教師』の主人公の小学校教師)は肺病で死んでいきますが、物語は、彼の教え子で師範学校に行って教員になった女性が彼の墓の前で泣いているというとこ…

(3)〈地〉化する〈学校〉

何十年も小説を読まなくなっていた「特性」を「生かして」、昔の小説と、最近の小説を交互に読んでいます。たぶん何万分の1くらいしか読んでいないので、印象と独断の仮説の連続になるだろうと思いますが、今時の小説になれてしまう前にメモしておくことに…

(2)モノが薄れる

本を読むということは、「モデル作者」と「語り手」と「モデル読者」が互いに相手を作り上げることなのだ、とウンベルト・エーコは言っています。たとえば「私」という語り手が、語りはじめたとして、読者は、その物語の成り行きを傍観しているのではなく、…

(1)地名が薄れる

おびただしい数の文学作品の中で、学校や生徒や教室、教員はどのように描かれてきただろうか。小説などで描かれた〈学校〉像をつなげていけば、描かれた学校史というか、イメージの中の学校史ができるのではないか。これは伝統的な教育史による学校史とどの…

(7)『ああ玉杯に花うけて』

1920年代は大衆小説の興隆期であり、とりわけ20年代後半は少年小説の黄金時代だったと、池田浩士氏が指摘されています(『大衆小説の世界と反世界』1983 現代書館)。佐藤紅緑の『ああ玉杯に花うけて』は「少年倶楽部」の1927(昭和2)年5月号から1928(昭和…

(6)『防雪林』

1929年『蟹工船』を発表した小林多喜二は、北海道拓殖銀行を解雇され、1930年に上京。治安維持法違反容疑で5か月間収監されます。翌1931年に日本共産党入党し、この年の12月、以下のような文章を書いています。その全文を掲げておきます。 〈先生。 私は今…

(5)『風と光と二十の私と』

1925年から1年間、坂口安吾は世田谷下北沢の荏原尋常高等小学校の分教場の代用教員をしていました。坂口安吾20歳の時のことでした。五年生70名を担当したその時の経験は、1948年の『風と光と二十の私と』にあざやかに描かれています。 彼は、この自伝的エッ…

(4)『大導寺信輔の半生』

日本の近代文学作家のなかには教員を経験した人がかなりたくさんいるように思います。夏目漱石や島崎藤村などは正規の教員でしたが、石川啄木をはじめとして「代用教員」まで含めると、石牟礼道子・宇野千代・三浦綾子・宮尾登美子・坂口安吾といった人たち…

『白い壁』

昭和のはじめのころ、東京の下町の尋常小学校。鉄筋コンクリートの校舎が城砦のように聳え立っている。本庄陸男はその下町の小学校の教員経験を、後に『白い壁』(1934年)という小説に書いています。彼が編集長だった『人民文庫』が1938年廃刊に追いやられ…

『雲は天才である』

1906年4月石川啄木は故郷渋民村の尋常小学校の代用教員となります。このときの経験をもとに『雲は天才である』は書かれています。『足跡』『葉書』などにも尋常小学校の様子が映されています。『雲は天才である』(明治39年)に登場する代用教員、新田耕助(…

『千曲川のスケッチ』

1899年(明治32年)から島崎藤村は小諸義塾の教師を6年間勤めました。この時代の藤村の教員生活が『千曲川のスケッチ』からうかがうことができます。書かれたのは明治末年から大正初年です。雑誌『中学世界』に連載したものでした。夏目漱石の『坊ちゃん』は…

「父兄」「地域」

学校や社会に流通するコトバが変身したり、別のコトバになったりということがよくあります。その変容をたどっていくと、あるいは明日の学校社会のコトバが見えてくるかもしれません。 たとえば団塊の世代に属する私などが生徒だった時代には「父兄参観」「父…

民間委託

ある市の市報(2007年7月)に「給食調理業務の民間委託が始まります」という記事が載っています。それによると市内の小学校給食の年間必要経費は約8億円で、そのうち「調理員に係わる人件費等」が約6億円だと円グラフで説明し、委託化によって1校あたりの…

修学旅行

欧米の学校にはなくて、日本の学校に特有で、かつ古き伝統を誇っているものに修学旅行があります。 佐藤秀夫先生が紹介されているのですが(『教育の文化史4』282P.)海外の修学旅行でアメリカ東部を訪れた日本の私立高等学校生徒の一行が詰め襟金ボタンの…

「教養」

廃校のなかで、ヤクザの先生にかこまれながらドンヒョク(キム・レウォン)は、数学や倫理の勉強をさせられている。居眠りをするとボムピョ先生がやってきて、逆さにつるし上げ、水の中にいれる。数学に興味が湧かないと、鉄道線路にくくり付けて汽車の到着…

「自己実現」

教員は時代の流行語に極めて弱いのです。中高校生の使う言葉を知らない、という意味ではなくて、流行の教育用語(と考えたもの)をほぼ検証することなく使ってしまうという意味です。校長の訓話記録でも残っていれば、時代の教育用語の変遷をそのまま反映し…

総合的な学習の時間

1980年代、90年代までの『学習指導要領』は学習内容、授業時数の削減を指示しており、この傾向の総仕上げが現行のいわゆる「ゆとり教育」学習指導要領です。2002年度から実施されてきたこの方針が「学力低下」の原因だということで、中央教育審議会で見直し…

夏休み

学校で毎週土曜日が休業日になったのは2002年4月ですから、まだその歴史は浅いですから、休業土曜がだんだん授業でうめられていく趨勢に抵抗できないかもしれません。 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/54840/ (土曜日も「学校へ行…

企業内教育

試みに「人材 教育」という語を検索サイトで検索してみてください。googleなら300万件くらいがヒットしますが、はじめの方に学校教育関連のサイトなどが出てくるとおもったら大外れです。企業の人材育成、そのコンサルタント会社、や「月刊人材教育」などの…

複製技術時代の授業

習字は明治時代以前から寺子屋でも「手習」として学びの中心でありました。師匠・先生の「お手本」の見習って書く習字という学習の原型は、教師の世界でも長い間、その「実践」を規定してきました。 教師を目指すものは、優れた授業を見学し、その先輩の授業…

未来を捨てた学問

教育学や歴史学あるいは社会学が今日の学校について考察するとき、それが「学問」であることからくる決定的欠落がつねにつきまとっています。「学問」である以上、そこで述べられることには「証拠」がなければならない。そして「証拠」とは過去にあったこと…

学校統合失調症

多くの学校は「ひとりひとりを大切にする」というスローガンをかがげていましょう。それが現状の学校教育にたいする批判の色合いで登場してきたのは1890年代です。それをいまさら我が学校の特色だなどと大威張りで宣言できるのははなはだ不勉強だといえまし…

 授業という範型

授業を聴いて質問したりノートしたりして学習し、その「成果」を試験で確認する、という学校のルーティーンは、学校以外にもその範型を広げてきました。たとえば○○研究会とか××学会などの知識生産集団では、講師を呼んできたり、お互いの研究成果を発表して…

放送室

インターネットの検索を主たる道具にして学校の今昔を調べているのですが、検索技術の未熟なためか、なかなか検索したい事柄にたどり着きません。今回は小学校などたいていの学校にはある「放送室」です。いったいいつごろから「放送室」が学校に設置された…

コピー機

チェスター・カールソンが「ゼログラフィー」という複写機を発明したのが1938年。その原理をつかってジョセフ・ウイルソンが普通紙複写機の商品化に着手し、「ゼロックス914」が1959年に誕生。日本では1962年富士ゼロクスが発売開始した。富士ゼロックスのHP…

職員室

学校の未来を想像するには、現在、産業界で起こっていることを観察することが参考になります。なぜなら、「学校経営学」は常に企業の経営を参照してきたからです。銀行マン出身者が中学や高校の校長になる時代です。教員の仕事だってその仕事量を数値ではか…