佐藤薫を中心とする京都発の80年代初頭のテクノ(?)・バンド的表現集団。 バンド自体は京都にあったディスコ「クラブ・モダーン」の常連客により結成される。
EP-4は、1980年6月、京都のディスコ「クラブ・モダーン」の常連だった人々によって結成された、ファンクバンドである。
「汗をかかないファンク」「クールなファンク」、当時はその様に称される事が多かった。と、いうのもリーダーであった佐藤薫のヴォーカルスタイルが、余りにも特異であったからだ。肉声を用いず、数限りないエフェクターを駆使し、極限まで圧縮加工されたものであったのだ。
それは、YMO,Kraftwerkなどが愛用した「ヴォコーダー」と呼ばれる装置とは又違い、非常にエモーショナルな感があった。
「何か主張したい、何か伝えたい」という想いをエフェクトでマスクしてしまう、そんな印象さえ受ける。
さて、彼らは81年京都におけるギグ「アーバン・シンクロニティ」で高い評価を得て、その後の82年5月京都、大阪、6月には東京にて「エマージェンシー・ランディング」ツアーを敢行する。この辺りから全国のニューウェーブファンの、口の端に上りだして来た様に思う。
そして、その年のクリスマス「パルコ・モダーンコレクション」に出演。
しかしこの時は、キーボードのバナナ氏とのユニットで(unit-3)登場。ノイジーなサウンドを聴かせる事に終始した。
明くる83年3月、ラフォーレミュージアムで「SCANNING POOL」と銘打たれたイベントに参加。この時の出場メンバーが秀逸なので、歴史的にも記する事にする(特に14日)。
11日 テストパターン、立花ハジメ
12日 ヒカシュー、ヴァージンVS
13日 day グリムスキップ、EP-4
night ゼルダ、スポイル
14日 フリクション、サロンミュージックさて、この年いよいよ問題作「Lingua Franca-1」が日本コロムビアからリリースされることになるが、それは「Lingua Franca-1」の項で詳しく記したい。
前後する様だが、EP-4の構成メンバーを記す。
佐藤 薫(voice)
好機 タツオ(guitar)
三条 通(drums)
バ・ナ・ナ(keyboard,tape)
ユン・ツボタジ(percussion)
佐久間 コウ (bass)