短編コラム:「廊下長くないですか」はミームになるべきではなかった。あるいは実況というPvPvEについて。

 皆様は8番出口というゲームをご存知だろうか。

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 まあご存知だと思うので話を手短に進める。
8番出口にまつわるミームとして「廊下、長くないですか?」という物がある。これはにじさんじの加賀美ハヤト氏(通称:社長)がプレイ中に発したもので、その後このゲームにとっても、また彼にとっても代表的な物となった。

 この「廊下長くないですか」が浸透した背景について語ろう。
当時流行していた8番出口に限らず、ゲームというのはよほどの先駆者でもなければ既に視聴者側にタネが割れている。その中でもこの8番出口というゲームはその性質上どの異変も特徴的であり、またバリエーションもそれほど多くないことから視聴者は一瞥しただけで「今起きてるのはこの異変だが、配信者は気づいていない。気づいたときのリアクションが楽しみだ」と見ることになった。そしてプレイ中の社長が「存在しない異変」である「廊下の長さが変わる」を勝手に生み出し、プレイが泥沼になっていった…というものだ。

 つまり「後から振り返って見ればそんなものは無かった」が「当時からすればそういうものだと本気で思い込んでいた」というギャップ、そして本気で思い込んでいたからこそのプレイングと発言があったからこそ1年の長きに渡りネタとして擦られ続けている。

 

 しかし、私は「廊下長くないですか」はネタになるべきでは無かったと本気で思っている。

 

 8番出口というゲームが提示するルールは下記のとおりだ。

  • 異変を見逃さないこと
  • 異変を見つけたら、すぐに引き返すこと
  • 異変が見つからなかったら、引き返さないこと
  • 8番出口から外に出ること

 これだけだ。「廊下が長くなる異変は無い」とはどこにも書いていない。
そして8番出口が提供する体験のキモは「プレイを重ねても重ねても脱出する迄に思っても居ない場所に異変が起き、最早正常な状態か判断が出来なくなっていく」という疑心暗鬼にある。だからただ歩くだけでも、ジャンプスケアも無いとは言わないにしても「歩くことそのものを怖く出来た」のがこの作品が偉大なエポックと言える理由だ。

 しかもその中で社長は「廊下が長くなる、という異変もあるのではないか」と有る種ゲームを超えるような素晴らしい発想をプレイのなかで行い、そしてそれを更に実践すらしてみせた。ゲームシステムに心から向き合ったからこそ出来る素晴らしいプレイングだと言えよう。

 だが、ここで前述の視聴者との差異の話になる。「視聴者はそんな物は無いと知っているのに、無いものに必死になってドツボにハマる配信者を笑う」という構図ができあがってしまった。そしてそれはミームになってしまった。

 「こうなのではないか?」と自分なりに仮説を立て、実行に移すという大変プリミティブ(根源的)なビデオゲームプレイヤーの姿を、人は笑いに変えてしまったのだ。

 

 私の造語ではあるが「世界の攻略」と「自分の攻略」がゲームにはあると思っている。「世界の攻略」はプレイヤーコミュニティで寄って集ってゲームの仕組みを解き明かし、丸裸にし、クリアまでの道筋を整備していく事。そして「自分の攻略」はその「世界の攻略」を参考にし、時に無視して自分とゲームの一対一でメカニクスを消化して向き合っていく事だ。この「廊下長くないですか」は、端的に言えば「世界の攻略」が試行錯誤する「自分の攻略」を進めるプレイヤーの姿を笑ったように私は捉えた。

 

 こうなると例えシングルプレイヤーゲームとは言え、最早PvE(人VSコンピュータ)ではない。PvPvE(プレイヤーVS他のプレイヤーVSコンピュータ)だ。自分なりの答えを出してみたプレイヤーが、その時の熱意を笑われるなんて事は、特にネタバレ側から笑われるなんてことはあってはならないことだと今でも私は思う。

 

 だが、それはミームになってしまった。「廊下、長くないですか?」は本人ですら擦るネタになってしまった。すぐに「どうすればいいの?」だの「正解は何なの教えて」だのと世界の攻略をコメントに求めるよりも、ずっと真摯に向き合ったからこそ出た「廊下、長くないですか?」だったというのに。

 私はそれが、心から残念でならない。