Photo: Brian Rea for The New York Times

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ニューヨーク・タイムズ(米国)

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Text by Carl Sciacchitano

父は些細なことで突然怒りを爆発させ、怒鳴り散らかす。子供のころから怒鳴り声に浴びながら育ってきた筆者だが、そんな父の怒りの奥で横たわる痛みに気づき──。

この記事は、愛をテーマにした米紙「ニューヨーク・タイムズ」の人気コラム「モダン・ラブ」の全訳です。読者が寄稿した物語を、毎週日曜日に独占翻訳でお届けしています。

名前のない傷


僕は“怒れる世界”に生まれた。子供の僕が最初に学んだことは、家の至る所にある目には見えない引き金の存在を理解して、それに触れないようにすることだった。

母は、しょっちゅう父に対して怒っていた。兄は両親の離婚と、6年間一人っ子だったあとに生まれた僕の存在に動揺すると同時に、しょっちゅう僕に対して怒っていた。そしてベトナム帰還兵の父は、絶えず、僕たちの誰かに怒鳴り散らしていた。

絶叫とわめき声の形で訪れる父の怒りは、ほんの些細なことで誘発された。それは、兄が夕食のときに牛乳を飲みたがらないことだったり、父が母のアパートに僕を迎えにきたとき、僕の準備がまだできていないことだったりした。あるときは、兄と僕が父の「サブウーファー」(超低音域のスピーカー)の発音を面白がったことに激怒した。

だが運転こそは、もっとも迅速かつ確実に父の怒りを煽り立てる行為だった。誰かが割り込んだり、ウィンカーを出し忘れたりすれば、僕は窓の外をじっと見据えて、この後に起こることを思って身構えた──怒涛の怒り、幼い僕には意味のわからない言葉の数々、一連の創造的な罵詈雑言。それは世界観を根本からひっくり返された男の頭にしか思いつかないようなものだった。

「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」という言葉をはじめて聞いたのがいつだったかは覚えていない。そして成長するなかで、僕はベトナムとトラウマを関連づけて考えたことはなかった。ベトナムは子供の僕の頭のなかで、父が人生のいっときを過ごし、外国語を覚え、フォーと、父の好物である卵が入ったヌードルスープ、ミー・トム・ティットを、彼がはじめて食べた異国だった。

父と僕は、数え切れないくらいの週末を、二人のお気に入りのレストランでミー・トム・ティットを食べて過ごした。そこで父は戦争の話をしては、僕を喜ばせた。話の内容は楽しくてたわいのないものだ。基礎訓練で演習を間違えたり、白リン手榴弾で遊んだり、ボブ・ホープの公演をこっそり見に行ったりした、というような話だった。

テト攻勢(ベトコンが米軍と南ベトナム軍にかけた攻撃)の際、機関銃を操作したことや、のちに難民でいっぱいのボートに乗り、銃弾やロケット弾が飛び交うなかで国外に脱出した話などは、しなかった。 

制御不能な父の怒りの源を僕が理解し、父自身がそれを認識するようになるのは、まだ何年もあとのことだった。


「負傷している」ことを認めたくなかった

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