超時空超巨大小学6年生

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まだファイナルガールで消費してるの - "The Final Girl Support Group"読書感想

The Final Girl Support Group (English Edition)

ラジオで紹介されてて聴いてて知った小説、"The Final GIrl Support Group"を読んだのでその読書感想。

作者の人のインタビューで聞いて、それで言ってたことがちょっと気になって読んでみた。曰く、「自分はいい年こいていまだに人が、それも女性が殺される様を楽しんでホラー映画を見てるわけなんだけど、それってちょっと変じゃないか? なんでこんなものに取り憑かれてるんだ? これって健全なのか? そこにどんな意味があるんだ? ってあるとき思ったわけです」だそうな。

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ファイナルガールというのはホラーやスラッシャー映画に出てくる、最後まで生き残る女性主人公のこと。この小説"The Final Girl Support Group"はそのファイナルガールたちが現実にいたら事件のあとどうなる? という内容なのだ。

ファイナルガール(被害者)のことを一番よく理解できるのはやはりファイナルガール(被害者)———ならば、事件で負った心の傷から立ち上がるために必要なのはファイナルガール同士の互助グループ…という考えのもとに結成されたのが表題にもなっているファイナルガール・サポート・グループ。そんなサポートグループに通う主人公、リネット・ターキントンもかつて10代のときクリスマスの夜に家族と恋人を殺人鬼に皆殺しにされ、自分も重傷を負いながら生還した経験を持つ。あるときグループの本拠地となっているキャンプ場で6人もの人間が殺害され、グループ創設者であり「ファイナルガール」の1人であるエイドリアンと連絡がとれなくなってしまう。何者かがファイナルガールたちを狙っている、そう確信したリネットは1人魔の手を逃れるべく行動を開始するが…というお話。

面白いのはこの小説で描かれる現代のアメリカでは、数々のホラー/スプラッター映画は実際に「ファイナルガール」たちが遭遇した大量殺人事件を基にした実話の映画化ということになっているところ。つまり『13日の金曜日』や『悪魔のいけにえ』などといった映画はない、かわりに「サマーキャンプで行った湖のあるキャンプ場で殺人鬼に遭遇してただ1人生還した実話」や「テキサスを家族で旅行中に食人一家に捕まえられてただ1人生還した実話」の映画化フランチャイズがホラー/スプラッターシーンを形成している。ジャンル映画好き創作世界の設定好きとしてはこういうのを出してくれるだけでもう何回も読み返しちゃう。ちなみにこの設定で『エルム街の悪夢』は登場させられないのでは? と作品の概要を読んだときに思ったのだが、実は『エルム街の悪夢』的な事件はどうやら「実際に」起こったらしいことが示されており、クライマックスである重要な役割を果たすことになる。

実話映画化と設定で、一つ気に入った使い方がグループ創設者エイドリアン・キングが映画化権を売却したときの話。エイドリアンは実は史上初の「ファイナルガール」で黒人女性でもあるのだが、自分が生還した事件の映画化にあたって主人公を白人にすることに反対しない代わりにフランチャイズのフルコントロールも要求したという話がでてくる。フランチャイズ権を手中に収めたのは、そこから生み出される利益をサポートグループの運営資金にしたかったから的なことが語られるわけだが、このあたり昨今のカルチュアルウォー的な文脈を踏まえながら読んでいるととてもクレバーな設定のまわしかただなーと思いました。ファイナルガールは事件のあとどうするのか? の一つの答えとして自分の話の映画化権を売る、というふうになっているのもとてもアメリカ文化を感じられて面白い。

主人公のリネットは、他者との関わりを極力避け、いつまた事件に遭遇してもいいように体を鍛え(二度も殺人鬼に遭遇している)、銃を手に入れ、自宅を要塞化し、逃亡の手段をいくつも用意していることが作中何回も言及される。最初読んでいて2018年版『ハロウィン』のローリーみたいな感じかと思って読んでいると全然ローリーと違っててショックを受ける。リネットの自衛策がいちいち詳細に書かれるのだけど、ファイナルガールを狙う謎の敵に対して何の役にも立っていない(常に上手をとられる)のが最初はだめじゃ〜んって思ってしまった。それで、こう何回も結局無駄な努力だった的な話が何回も出てくると、せめて何か一つくらい有効な自衛策は残ってないの??? って絶望感がすごい。1つ先手を取られていたことをがわかるたびにパニック発作を起こしているのが読んでいて痛々しかった。これは作中の描写からそうだとしか考えられないのだけど、リネットはPTSDを罹っており些細なことでもパニック発作が起こってしまうのがさらに痛々しい。考えてみたら(考えなくても)家族を皆失い自分も殺されかけたそれも二度、という状態だったら強い自分負けない自分みたいな感じにならないよね、という理解になった。最近新作が発表された『スクリーム』の主人公シドニー・プレスコットなんかも事件の経験からタフな女に的な感じになってるそうなのだけど、普通は悲惨な事件に巻き込まれたら、それを乗り越えたタフな女になるとは全然考えられない。

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リネットが生還後もトラウマでずっと苦しんでいる、そしてその姿に「映画のファイナルガールの姿と違ってショック」と自分が思うのは、いかに映画ファン(自分のことです)がファイナルガールつまり暴力の被害者を映画のために消費しているかの答え合わせになっていて読書中ずっと居心地が悪かった。居心地が悪いというのはもう読み進めたくないでは必ずしもなくて、最初に「あんま思ってたファイナルガールとちがうなあ」というのを取り消したい、そんなこと思ってしまって申し訳ないかったとでも言うような気持ちです。それでふと現実のことを振り返って考えてみると、特に女性が被害者になっているさまざまなこと(アレですよアレ)に対してもまるでホラー/スラッシャー映画の登場人物が暴力の被害者になるのを期待したり楽しんだりするように受け止めてないか? と自省してしまうわけです。「ファイナルガール」は最終的に敵に反撃して生還するわけだけども。もちろん映画と現実は違うから、本当に暴力の被害に遭ったらとてもとても映画のようにはいかないな、と。被害に遭った女性を「消費」することの残酷さっていうのはきっとこういうことなんだろうなって読んでてすごく理解できるのがこの小説のいいところだと思った。たぶんそれを狙って書いたのだろうし。殺されるか殺されないかをハラハラしながら読むっていうのがそもそも消費なんじゃないかな〜って作者インタビューの言葉が胸に刺さった。

その他面白かったところとかを何点か

  • 一番最初に出てくるのがredditのファイナルガールスレ(スレではないのだがここはわかりやすく)で、現代〜って感じ

  • 911テロの後、偽のIDを入手するのは非合法になったとかそういうディティールがすばらしい(知らんかった)

  • オバマの大統領当選とか同性婚の導入とか、そういうここ20年(30年?)くらいのアメリカ史を感じられるところもよかった(トランプ時代に足をつっこんでいないのは、リネットの年齢を80年代から数えて三十代後半くらいにするためなのかもしれない)

  • 一番好きなキャラクターはかつてドリームキラーの魔の手を逃れたヘザー。いちいち言うことが毒気があって、クソババア感がある(読んでる最中に思い浮かべたのは「グレース&フランキー」のフランキーことリリー・トムリン)。ああと一人だけ超常の存在が事件に関わっていて下手したら浮いちゃわないかと思ってたのだけど、そこはクライマックスの戦いでうまいこと設定を使いこなしていて印象よい。人によってはこの世界のリアリティラインどうなってるねんて思うかもだけど

  • 消費といえば、この言葉いろいろ不用心に使われすぎてて本来どういう意味か分からなくなることが多いのだけど、他人の姿や行動を見て楽しむくらいの意味として今ここでは使っています。性的消費だったら性的な楽しみや満足を得るみたいな。おまえは消費しているぞっていうのは、それだけでは特に悪いことにはならないけど、人様が殺されたり拷問されたり犯されたりするのを見たり聞いたりして、それを楽しむっていうのはいかにも後ろめたい感じがしてくるじゃない? 殺人事件を消費するのがいかにも批判されるべきことのように語られるというのは多分そういう理由からだと考えるわけです