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必殺仕事人2014 其の7
http://hayabusa2.2ch.sc/test/read.cgi/liveanb/1406468322/


368 :名無しステーション :2014/07/27(日) 22:49:29.60 ID:fLNgrqfM.net
ちなみに江戸時代の仇討ちは

・事前に届け出をして相手の前で特定の所作をしてから実行すること
・自分より年上の者(※正しくは目下の者)の仇を討ってはならない

などの決まりがある



459 :名無しステーション :2014/07/27(日) 22:51:02.87 ID:LY8ZR1xY.net
>>368
水戸黄門の仇討ちは嘘つきだな



敵討(かたきうち)、または仇討ち(あだうち) Wikipedia


直接の尊属を殺害した者に対して私刑として復讐を行う中世日本の制度。中世期からの慣行であり、江戸期には警察権の範囲として制度化された。

『日本書紀』巻十四雄略紀には、456年(安康天皇3年)に起きた「眉輪王の変」の記事があり、これが史料に残る最古の敵討事件とされる。眉輪王の義理の父にあたる安康天皇はかつて眉輪王の父である大草香皇子を殺し、母である中磯皇女を自らの妃とした。安康天皇はある日ふとその事を漏らし、それを聞いた眉輪王は安康天皇が熟睡しているところを刺し殺した。事件後、その動機を追及された眉輪王は「臣元不求天位、唯報父仇而已」(私は皇位を狙ったのではない、ただ父の仇に報いただけだ)と答えている。
その後仇討ちは武士階級の台頭以来広く見られるようになるが、江戸幕府によって法制化されるに至ってその形式が完成された。範囲は父母や兄等尊属の親族が殺害された場合に限られ、卑属(妻子や弟・妹を含む)に対するものは基本的に認められない。又中世の血族意識から起こった風俗であるので、主君のように血縁関係のない者について行われることは少なかった。
武士身分の場合は主君の免状を受け、他国へわたる場合には奉行所への届出が必要で、町奉行所の敵討帳に記載され、謄本を受け取る。無許可の敵討の例もあったが、現地の役人が調査し、敵討であると認められなければ殺人として罰せられた。また、敵討をした相手に対して復讐をする重敵討は禁止されていた
敵討の許可が行われたのは基本的に武士階級についてのみであったが、それ以外の身分でも敵討を行う者はまま見られ、上記のような手続きを踏まなかった武士階級の敵討同様、孝子の所業として大目に見られ、場合によっては賞賛されることが多かった。又武家の当主が殺害された場合、その嫡子が相手を敵討ちしなければ、家名の継承が許されないとする慣習も広く見られた。
なお、敵討は決闘であるため、敵とされる側にもこれを迎え撃つ正当防衛が認められており、殺害した場合は「返り討ち」と呼ばれる
近親者を殺されてその復讐をする例は、南イタリアを始めとして、世界各地で見られるが、江戸時代の敵討は、喧嘩両成敗を補完する方法として法制化されていたことと、主眼は復讐ではなく武士の意地・面目であるとされていた点に特徴がある。
特に江戸時代には、敵討の中でも曾我兄弟の仇討ち(1193年、『曽我物語』)、鍵屋の辻の決闘(1634年)、元禄赤穂事件(1702年、『忠臣蔵』)は「三大仇討ち」と呼ばれ、多くの作品で人々に親しまれた。
明治になると司法卿の江藤新平らによる司法制度の整備が行われ、1873年(明治6年)2月7日、明治政府は第37号布告で「復讐ヲ嚴禁ス(敵討禁止令)」を発布し、禁止された。



関連‐忠臣蔵ってひどい話だよなwwwww ←オススメ
   『斬り捨て御免』なんて江戸時代に無かった!!(殆ど)
   赤穂浪士って史実じゃないの?
   名だたる武将は軒並み身内を攻め殺したり、暗殺している
   徳川光圀(水戸黄門)はそもそも諸国漫遊の世直し旅なんてしてない


敵討(新潮文庫)
敵討(新潮文庫)
posted with AmaQuick at 2024.05.24
吉村昭(著)
2003-12-01T00:00:00.000Z
5つ星のうち4.2
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コメント
  1. 名も無き修羅 2014/07/31(木) 19:30
    基本的に庶民には無関係な制度だからな
    当時の武士階級等仇討ちが許される身分の人は
    全人口の5パーセント程度。

  2. 名も無き修羅 2014/07/31(木) 19:35
    しかも返り討ちにあったら、そこで終わり
    仇討ちの仇討ちは認められていなかった。

  3. 名も無き修羅 2014/07/31(木) 19:35
    仇討ちを成し遂げるまで、帰っちゃだめなんだよな。

  4. 名無しさん@ニュース2ch 2014/07/31(木) 19:54
    助太刀もあり
    強い味方を一人でも多く連れてきたもん勝ち

  5. 名も無き修羅 2014/07/31(木) 20:33
    佐賀藩はこれに加えて
    「一度仇討ち宣言して、
    仇取れなかったら切腹」という
    ローカルルールまであった。
    つか、あそこの藩は武士が一度抜いて
    相手倒せなかったらもれなく切腹なんだけども
    まさにシグルイお膝元。

  6. 名も無き修羅 2014/07/31(木) 22:10
    タイムスクープハンターで「シタ夫とプリンが再婚した場合半年以内ならサレ妻はプリンに復讐して良い」って話があった。

  7. 名も無き修羅 2014/07/31(木) 23:37
    命を賭けるなら復讐してよし
    命を狙われる覚悟ならコロしも
    どちらも言い分ある場合、
    結果をもって判決とする
    そんな感じ?


  8. 名も無き修羅 2014/08/01(金) 02:25
    ちゃんと届け出だして、仇捜し回って野垂れ死にとかもあるんだよね
    中には出先で仇討ち諦めて根を下ろした人も居るんだと思う

  9. 名も無き修羅 2014/08/01(金) 03:14
    筒井康隆の「ワイド仇討ち」を読んでみよう!

  10. 名も無き修羅 2014/08/01(金) 10:35
    凶悪犯罪事案では裁判所があだ討ち認めてもいいんじゃないかね?

  11. 名も無き修羅 2014/08/01(金) 14:21
    ※164562
    いくらころしたいほど憎くても、現代日本人が仇討ちってのは違和感あるわ
    返り討ちのリスクはあるし、その間の仕事とかどうすんの?ってなる

  12. 名も無き修羅 2014/08/02(土) 00:27
    例えばボタン押す係を変わるとかかいな

  13. 名も無き修羅 2014/08/08(金) 14:59
    仇討ちの仇討ちは禁止されてはいたけど、
    黙ってると臆病者扱いになり、それは武家として非常に恥ずかしい事なので
    切腹・打ち首獄門覚悟でやる人もいた。

  14. 名も無き修羅 2017/10/18(水) 14:45
    やっぱ先進国は違うな
    俺らも早く中世から脱却するべき

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