君がここで笑うシーンが

いや、答えなんかはいいんだ ただちょっと

さよなら、わたしの一番星

「適応障害だねえ」
2022年の夏。数年ぶりに訪ねた心療内科の主治医は、そう言った。

 

休むべきだろうが、君の性格はきっとそれを許さないだろうから。
医者はそう言ってぽちぽちとパソコンを動かす。ちなみに、と医者は今度はわたしの顔を見てしっかりと言う。

 

「社会に不適応とか不適切という意味ではないよ」
さすが、なんでもお見通しな主治医だ。

 

 

さて、本当はこんな時にさらりと書くことではないのだけれども、実は去年の10月にわたしは同居人を見送っている。中島健人さんに触発されてプロポーズしてきたあの男。中島さんのふたつうえ。身長がわたしより10センチ高くて、優しくて、京都のお土産のお煎餅がすき。わたしより文章がうまくて、中島らもが好きな、そんな人。

 

最終的に彼を奪ったのは癌だった。細かいことはもう思い出したくもない。名前を聞くだけで忌々しい。最後の数日間、おしゃべり好きだった彼を静かに黙らせたこと。絶対、絶対許してなんかやらない。

 

昔から、死んだら星になれるんだと意気揚々と話していた。だからおれは早く星になる権利をもらえたんだよ、とも。

 

よく晴れた空の下。同居人は、わたしを置いて、好きにさせるだけ好きにさせて、どこか遠くに出かけてしまった。
一応事実婚という体でさまざまな手続きを済ませ、彼の懸念事項だった義妹ちゃんとうちの叔母の養子縁組を軽やかに行なった頃。義母を見送った。今年の春のことだった。100歳。大往生である。

 

彼と約束していたことがいくつかある。

半年は亡くなったことを公表しないこと。早く彼を忘れて再婚すること。彼が倒れても、亡くなっても、できる限り、日常をやり遂げること。

 

今日このブログを書いているのは、いくつか理由がある。

まず、最近の心が動かないことにちゃんと理由がついたこと。人間は、物事に理由があると安心する。心が動かない理由がわかったら、なんとなく、文章を書きたくなった。ありのまま書いても許されるような気がして。一応このブログを書くにあたり主治医に許可まで得ている。無駄なことに律儀なのは、気付いたらあの人に似ているのかもしれない。

次に、Twitterで最近暗いことばかり呟いていて、現場でお会いするのも申し訳なくなってきたのだ。いっそ一度きちんとこんな状態でありまして、とちゃんとお伝えしようと思った。ありのまま、この半年のことを書いてみようと思った。別に可哀想だと思われたいとか同情してほしいとかいうわけでもない。誰かに聞いて、読んで欲しくなってしまった。それから、たぶんこの先もこんな感じだから許してくださいまし、という謝罪である。本当にろくなことをつぶやかないし体調に左右されがちでさすがに申し訳ないとずっと思っていたのだ。このまま罪悪感に苛まれながらTwitterやおたくを続けるのはあまりにもしんどいので、わたしのためにもちゃんと書いておこうと思う。シングルも前みたいについてけないかもしれないし、興醒めみたいなことを呟いてしまうかもしれないけれど、許してほしい。ちなみにわたしはすこぶる元気だ。心だけが死んでいる。現場も行く。Sexy Zoneを好きな気持ちだけは、なくさずに生きていきたい。それだけは、許してほしい。

あとは、これは非常にお恥ずかしい話なのだが、シンプルに一人で恋人を亡くした事実を抱えきれなくなってしまった。誰かにわたしが世界で一番好きだった人のことを、話したくなってしまったのだ。

 

そういえば、彼と約束したもう一つのことがあった。

 

「俺の話はフリー素材だから、好きに書いてね」

俺の生きた証を残せるのは、つぐみだけだよ。

 

まったく。無駄にかっこいいんだよな、あの人は。

 

さて。勢いに任せて彼が亡くなってから数日間のことを振り返りたい。ただフィクションを読んでます、くらいの感覚で読んでほしい。なにせ記憶が曖昧だったり、あとは、これまた恥ずかしいのだが、ノンフィクションだとしたらあまりにもなんだかこう、彼が亡くなったことを受け入れなければならなくなりそうで。だから、愉快などこかの星のフィクションだと思って読んでほしい。あと、一緒に生きた日々のことは、なんだかまだ全部振り返るには甘すぎて。この先に書けたら少しずつ書いていくし呟いていくから、まあ、今日のところは亡くなってすぐのことだけを書く。

 

その日の朝。病院からやけに早く電話が来て、わたしはああ、と膝から力が抜けた。亡くなった後じゃなくて、亡くなりそうな時に連絡をくれるんだとこの時はじめて知ったのだった。

その日はたまたま撮り溜めた彼女はキレイだったの編集をしていた日で、たまたま彼が一番好きだった8話のCMを切っていた。ああ、と頭を抱える。

 

本当はそういう立ち合いも彼の病院では「夫婦」でなければダメだったのだけど、今振り返ると病院の先生とか看護師さんが「あなたは立派な妻でしたよ」って言ってくれて、それがなにより救いだったなあと思う。 正直わたしは「夫婦」でないことが一番の重りだった。彼の子どもを産めなかったこと。流産してしまったこと。いろんな罪悪感で「夫婦」になるのを渋っていたことを、彼が倒れてからずっと後悔していたから。だから、「あなたは立派な妻でしたよ」って、それがどうしようもなく救いだった。

病院について、「亡くなりそう」の意味を知る。まだ生きていたことに少しだけ驚いてしまった。生きているならそんな綺麗な顔をしないでよ、と思う。あの男は自分の死にまで用意周到で、コロナ禍でも最期を看取らせてもらえるよう調整していた。そんな配慮いらない、と思いながら髪に触れる。名前を呼んだ。返事はない。当たり前だけど、返事はなかった。

どれくらい時間が経ったかわからないけれど、わたしは彼が亡くなった瞬間をやけにはっきり覚えている。彼が遠くなる感覚が確かにしたのだ。動かないのに。返事はないのに。ふわり、と、浮いた気がして、そうしたらもう、亡くなっていた。

 

当時は鍵垢にこもり、思うまま呟いていた。あの時見ていてくれたフォロワーさん、本当にありがとう。

 

亡くなったあと、ずっと手続きに追われて、なんか思っていたより泣けなくて、自分に引いていた。浸る間も無く右から手続き、左から手続き、背後から手続き。あの男は常々わたしならこれができると思ったから結婚しようと思った、と言っていたけれど、馬鹿野郎めと亡くなって1時間ほどの時点でわたしは彼を少し恨んだ。何枚お前の名前を書いたらいいんだ。よくこれがわたしにやれると思ったなお前は!!

 

「ばーか」

 

彼が亡くなってはじめて口にした彼の名前は、やけに震えていたような気がする。

 

よくわからぬまま家に帰り、よくわからぬまま寝た。

 

翌朝が一番辛かった。あ、いないんだって、それが一番辛かった。

 

ご時世渦にも関わらず、あの人の人柄ゆえか様々な来客が来てくれた。彼が一番湿っぽいものを望んでいなかったことをみんな理解してくれていたから、それから数日間の我が家は、二人で暮らした3ヶ月だけの楽園は、やけに賑やかだったように思う。喪中の札がなかったら、たぶん誰も誰かが亡くなったなんて気付かなかったんじゃなかろうか。

 

一番最初に飛んできてくれたのは母だった。なんにも言わずにわたしを抱きしめて、それから彼の髪に触れて、すっと深呼吸して、すぐにわたしの代わりに電話番をはじめた。あんなにかっこいい母を、はじめてみた。

 

笑いながら来たのは義妹ちゃんだ。

「お兄ちゃん、こんな綺麗な顔しちゃって!」

そう言って、彼女は彼に死化粧をした。こんなことのために資格とったんじゃないよおって、笑いながら。

 

葬儀まで2日時間が空いたのも私には救いだった。その間に、気持ちが整えられたからだ。

ただ、絶えぬ来客の間、わたしはずっと苦しかった。彼の思い通りに見送りたかったから、和やかな空気の維持に勤めていたけれど。本当は、わ、笑って、いいのか…?いいんだよな…?って一人で確認していた。もしかしたら不謹慎なやつに見えてたのかなとか、悲しいを隠さないとたてなかったとか、よくわかんない言い訳ばっかり並べていた。

 

夜になると散歩に出て、夏のハイドレンジアを聴いて泣いた。彼もわたしもあの歌が好きだった。よく家で流れていたし、彼も口ずさんでいた。これを口ずさんだら健人になれるかな、と笑っていた。

 

聴きながら考える。

わたしは、あなたのヒロインになれていたのでしょうか。

 

彼は本当にいい人で。ヒーローみたいで。

なんでわたしなんかと一緒にいてくれたんだろう、本当に。

 

貴方のさいごはわたしでよかったんですか。

 

 

通夜の前夜。わたしは、彼と2人きりで最後の夜を過ごした。線香のにおいに包まれながら、髪に触れ、頬に触れた。好きだよ、と、口に出したら返事が聞こえた気がして。何度も、何度も、そう口にした。名前は、呼べなかった。

 

通夜の日の朝。義母がようやく我が家に着いた。着くなり深々と頭を下げられ戸惑う。

「あなたが、あの子の一番星でよかった」

 

あの子をひとりにしないでくれてありがとう。

 

静まりかえった玄関。杖をつきながら頭を下げていた義母の、やけに綺麗な喪服姿を、今でも時々夢に見る。

 

さて。通夜の4時間前に、わたしははじめてガタがきた。彼がこの日のために用意してくれていた帯に触れても、なにもする気が起きない。変なとこが用意周到なのだ、本当に。明日の予定は忘れるくせに、自分が亡くなってからの準備は完璧だった。そういうところが大嫌いで、一番好きだった。この日のためにわざわざ新しい帯買って義母に預けてたとこも、色んな人にわたし宛の手紙をその都度預けてたとこも、それを亡くなってから渡せと言っていたところも、亡くなってからの来客がみんな揃いも揃って水色の封筒を持って貴方を訪ねてきたことも、全部好きだった。あいというものを説明しろと言われたら、たぶんわたしは彼の名前を答えるんだと思う。 

 

通夜は、滞りなく終わった。喪主の挨拶でも、泣けなかった。

 

翌日。朝起きてすぐに泣き崩れた。え、今なんだ、?と自分でも思った。

彼が先に会場に向かうのだけれど、わたしはそれにも駄々をこねた。一緒に行くんだ、嫌だ、と子どもみたいに泣いた。嫌だ、嫌だ、嫌だ!!!

「はなれたくない」

あ、と口にしてはじめて気付いた。そうか、と思う。わたしは彼と離れたくなかった。そばにいたかった。いやだ、と泣いて暴れて、周りの人はそんなわたしに何も言わなかった。母も、義母も、義妹ちゃんも、他の家族も口を揃えて、言えなかったよ、と49日の時に言われた。義母は言う。「あなたのあの子へのわがままをはじめてきいた」

 

喪主のわたしがそんな感じになってしまったので、その日は1時間遅れで色々始まった。本当に申し訳なかった。泣いて暴れて動けなくなったわたしの黙っていてくれたのは幼馴染だった。何も言わずに、ただただ、ティッシュを渡してくれた。その優しさが、痛かった。

 

葬儀の30分前。帯を巻いた。やっぱり帯に触れるとわたしは一気にあの人の妻になれる気がするから、最後の最後に帯を残してくれたあの人と、すごくこう、一緒にいれてよかったなあって、そう思った。 

 

泣いて暴れたあとだからか、葬儀のわたしはやけに落ち着いていた。喪主をやりきれると信じていてくれた彼のことを、裏切りたくなかったんだと思う。「こりゃあの旦那にはあの嫁だわ」って思われたらやりきったってことになるなと漠然と思ってたんだけど後日、「さすが彼が選んだだけあるね」って褒めていただけたからうまくやれてたんだと思う。

 

 

気付いたら彼は煙になっていて、気付いたらわたしは、彼を胸に抱えて家の前につったっていた。本当に葬儀の記憶がないのだ。気付いたらわたしは、骨箱を抱え、2人で住んだ家にいた。

 

星になるんだから、この箱じゃ狭いでしょうよ。

 

そんなことを思いながら封を開けたら、流れ星が、一番星が目の前を流れた気がして。

 

あ、彼は亡くなったんだって、この時はじめて自覚した。彼は本当に、一番星になってしまったのだ。彼が好きなわたしを残して。愛してるも、言わせてくれないまま。

 

あの時から、わたしの心は止まったままだ。正直書き終えた今吐きそうになっている。

 

それから半年とちょっと経って、冒頭の場面に戻る。

 

「だいたい君はな、」

主治医は言う。

 

「旦那さんを亡くして、それを一人で背負って、よく生きていけると思っていたね」

 

そんなこと今さら言われても、とわたしは彼の遺言の話をした。半年黙ってろと言われたこと。主治医も彼を知っているから、君たちは似たもの同士だねえと笑う。

 

それから、と主治医は一呼吸おいた。

 

「君は、彼のヒロインになれたかどうかをとても気にしていたけれど。」

 

そう言って、主治医はあの日何度も見た封筒を取り出した。持ってたんかい、と思わずつっこむ。

 

「だって、半年後に渡せって言うからさ」

 

なんか無駄に四角いし硬いしなんなんだ、と思いながらわたしは封筒を開けた。

 

わたしが去年の夏、一番ハマったドラマの主題歌。大好きなアイドルのCD。

 

『これいじょうきれいにならないでよ』

 

久しぶりに見た、へたくそなひらがな。

 

「彼のそばにいた君が一番綺麗だったんだから、それが答えじゃないかねえ。」

 

そう呟いて、さて、と薬の説明をはじめた医者の向こうに、また流れ星が見えた気がして。

 

仕方がないから生きてやろうと、そう思った。

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