Cafe de Castella Annex

旅とカメラとエトセトラ

蛇の道は…

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」

あけまして おめでとう ございます

昨年1月にリニューアルとしてこちら「はてなブログ」に新規開設し、1年たちました。

旧年中は多くのコメント並びにはてなスター、ありがとうございました。書き手としてはコメントをいただくことがとても励みになりますので、よほどのスパムコメントではない限り、真摯にお返事いたしますので、初めての方でも臆せずコメントつけてください。よろしくお願いします。

さて、この記事では旧年2024年を振り返るとともに、新年2025年の個人的に目指したいところを上げていきたいと思います。

旅について

バンコク、プーカオトーン/2024年4月

昨年は4月にタイ、11月~12月に台湾と2回の海外渡航を行うことができました。

castellamoon.cocolog-nifty.com

旧ブログの新年の抱負では3回ないしは4回の渡航ができたらと書いていましたが、できませんでしたね。

彰化、扇型車庫/2024年12月

そして、国内旅では「短期でも関東圏以外のところへ足をのばしたい」とも書いていましたが、結局はタイに出かける前の成田前泊が泊を伴う旅にとどまり、あとは近県への日帰り旅を何度か行ったのみとなりました。

いずれも、そのうちにパスポートの更新をしなくてはということが頭にあり、ぐずぐずしている間に時が過ぎ去っていった結果ではないかと。また、夏の暑さと世界各地の異常気象が行動をためらわせたのではないかと思います。オリンピックなども見ちゃいましたし。

さて、今年こそは何とかせめて3回の海外脱出をしたいなと。ちなみに、3月に航空券はすでに手配してあります。行先はいずれ発表しますが。

国内旅は短期で1回くらい。さりとて、今のところここは是非とも行きたいというところが見当たらないので、現実味は薄いかと。

そのかわり、月1くらい近場に日帰りでも行ってきたいです。

カメラ関係

やはり昨年の記事ではカメラの軽量化みたいなことを書いてます。

実績として、2回の海外いずれも、食事・スナップ・動画用にCANON PowerShot SX730 HSというコンパクトデジタルを持ち出しています。

個人的には食事写真ではRICOH GR DIGITALというかなり古いカメラが最適であると今でも思っていますが、これは35mm換算で28mmの単焦点レンズで、動画も撮れますがハイビジョンサイズに対応してないので、やはり難がありますね。

PowerShotは35mm換算で24mmからの40倍ズームなので、やはりメインカメラの補完的な要素もあり、今後外せないカメラですね。

そして、メインカメラはタイにPENTAX KP+DA15mm/DA21mmというセットを持ち出しました。台湾にはOLYMPUS OM-D E-M10 MarkIII+M.Zuiko Pro ED12-45mmの1本勝負で撮ってきました。

おそらく、気候の厳しいところではKPになるし、そうでもないところではE-M10 Mark IIIになるでしょう。

軽量化ということを踏まえ、KPでは単焦点レンズ2本か標準ズームのDA18-50mmのいずれか。E-M10 Mark IIIでは標準ズームのED12-45mmのセットでしょうね。軽いですが、ED40-150mmはかさばるので、よほどのことがない限りは使わないかなと。

ちなみに、スマホでも写真は撮りますが、ブログ用に転載することはほとんどないと思います。やはり、きちんとしたカメラで写真を撮るといってことが管理人のポリシーです。

荷物も見直し

現地行動用の荷物ですが、これまではリュックを背負っていました。台湾ではもう少し軽快に動きたいのと、物を取り出しやすくするために、ショルダーバッグに変えたんです。

ショルダーバッグだとたとえ汗をかいてもバッグが汗にまみれることはなさそうです。リュックは汗をかくところに行くと、ジッパー部分がやがて汗の塩分で開け閉めしにくくなってきます。

ショルダーバッグだと、水分(ペットボトルや水筒)の持ち運びにやや難がありますが、ビニール袋などで飲み口を覆うことで、バッグ本体に入れても何とかなることを台湾で実証しましたので、今後しばらくはこちらでやっていくかと思います。

ブログ関係

はてなブログは画像の容量をほとんど気にしなくてもいいので、ひとつの記事にできるだけ画像を添付したものをアップしていく予定です。

1日1記事というのはワタクシには無理なので、2~3日に1記事となります。今まで通りですね。

そして、長くても2000文字以内でひとつにまとめようと思います。長くなっても、読み手は飽きちゃうでしょうし。事実、自分がそうなんです。

PC版ブログのサイドバーにあるカテゴリーが多様にわたっています。旅レポのカテゴリーは旅した順に上位から始まりますが、ひとつの記事に対し飲食なら「Food & Drink」といったカテゴリーも併せております。こんな感じで旅レポが中心となりますが、時には飲食、鉄道、などなどの記事もたまにアップすることもあるかと。

また、旧ブログも音楽記事に限って月に1,2回アップしてますので、そちらもよろしかったら覗いてみてください。

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どちらかというと、偏屈で自分本位のブログですが、今年も「Cafe de Castella Annes」を引き続きよろしくお願いします。

三峡、三角湧老街を歩く

2024年11月30日(土)続き

三角湧老街

三峡老街バス停から三角湧老街へ歩いて向かいます。

市場の賑わい

 

老街にたどり着くまで、ものすごい賑わいの通りを歩きます。ある意味、台北よりも人がごった返していると思いました。

市場

この通りには市場があるようで、買い物客が押しかけています。かなり歩きにくかったです。

福安宮

ようやく老街の入口にたどり着きました。お宮があります。ここまでくると、交通量が減り、歩行者優先みたいになります。たまに、バイクが入ってきますが、無謀な運転をすることはなく、歩行者をよけてくれます。

また、お宮の周辺には食べ物の屋台が連なっていました。

 

ほぼ、埋め込んだ地図のルートが三角湧老街になります。実際にはさらに前後に続いていますが、端から端までを「徒歩」で設定しても、迂回するように表示されるので、だいたいのイメージと思ってください。

この老街の長さは300メートルほどです。両側にアーケードを伴う日本統治時代の建物がずっと続いています。

アーケード

ショップハウス形式

三角湧の名称ですが、大漢渓、三峡渓、横渓の3本の河川が合流することから付けられたこのあたりの古くからの地名でした。

古くは製材、樟脳、茶の販売などで潤っていたころの商店が、現在まで保存され、ほとんどが土産物屋や骨とう品の商店になっています。

1階がショップで、2階が住居というショップハウス形式です。ただ、現在も2階で生活しているかはわかりません。

古井戸

日本と同じく地震の多い台湾ですが、意外にも古いものを大切にする文化があり、このような老街は何か所もあります。

日本統治時代の建物や台鉄の駅なども、現存するものが多いです。台鉄の高雄駅や台中駅はリニューアルされましたが、日本統治時代に建てられた駅舎はきちんと保存されています。

名前入り

こちらは珍しく、華人の名前が入ったファサードになります。かつては日本人の名前が入っていたものかもしれません。

ファサード

長さが300メートル弱で、これまでに訪れたことのある老街と比べ、ちょっと物足りなさはあったかもしれません。

このパンが名物

三角にひっかけて牛の角型のクロワッサンを名物にしているパン屋が数軒あります。角胖パンというそうです。ちょうど昼時でもあり、食べていきますかね。

チョコレートのコーティング

見事な牛の角型。チョコレートでコーティングされているものを購入して、店頭のベンチでいただきます。40元でした。

クロワッサンとも紹介されていますが、パン生地はぎっしりしていて、中は空洞部分がほとんどありません。味はいいです。かなり腹が持ちますね。

ほかにも、原味(オリジナル)、餡が入ったものなど数種類ありました。

これも名物らしい

わかりますかね。例のクロワッサンにソフトクリームをのせたものです。これは100元だったかな。でも、これを食べ歩いている人はほとんどいませんでした。真夏なら売れるんだろうか。

鳥蛋

パンだけでは物足りなく、屋台でこれを買いました。ウズラの卵を焼いて串に刺したものです。こちらは20元。

おばちゃん調理中

タコ焼き器に卵を割り入れてただ焼くだけ。手前の調味料を好みでつけるようにいわれました。

<続く>

これで、2024年内の記事は終わります。新年あけてからまた、お会いしましょう。

三峡へのアクセス

2024年11月30日(土)

台湾レポに戻ります。

台北3日目。週末でもあるので、そうは混雑しそうにないところに行くことにしました。目指すのは三峡(Sanxia、サンシア)という台北の南にあるローカル都市です。

かつては台北県三峡鎮(町に相当)でしたが、台北県が新北市に昇格し、新北市三峡区となりました。ホントにどこまで行っても新北市なのであります。

三峡三角湧老街

アクセスは台北車站からMRT板南線(★)の頂埔方面行きに乗ります。終点のひとつ前、永寧(BL02)駅で降ります。

★:Bannan LineあるいはBlue Line。その通り、青いラインで統一されていて、座席も青が基調。駅コードがBLとなっているが、MRT文湖線が茶色(Brown)で統一されているため、文湖線の駅コードはBRと被らなくしているようです。

MRT板南線の車内

宿のある台北車站北側からMRT台北車站までは意外と距離があります。台鉄、高鐵(台湾高速鉄路、いわゆる台湾新幹線)、MRT桃園機場線の駅までは極めて近いのですが、MRT板南線・淡水信義線の駅の改札までが遠いんです。

 

埋め込んだGoogle Mapでは5分とか表示されますが、実際にはその3倍くらいかかります。

直線距離では近いものの、地上を歩くのは現実的ではなく、市民大道(高架)または鄭州路には横断歩道が少なく、鄭州路手前の地下道への入口から下のレベルに降りるのがいいでしょう。

ほぼ毎日使っていた地下道への入り口

このY13という入口には階段だけでなく、エスカレーターとエレベーターがあります。台北地下街はいくつかに分かれていて台北車站北側の地下街はY区と呼ばれています。この地下街、深さが半端なく日本にある地下街の倍くらいの深さがあります。ここを階段だけで上り下りするのは大変です。そして、エスカレーターの動く時間は朝の9時過ぎですので、朝早い時間はもっぱらエレベーターを利用しました。ちなみに、このエレベーターも朝6時からしか動かないみたいですが。

その他の近隣の入口も100メートルおきくらいにあるのですが、いずれも階段だけです。

シェルター案内

なぜ、こんなに深い地下街なのかはこの画像が物語っているのではないでしょうか。ちなみに、蒋介石が台湾の総統だった時代までは台湾全土に戒厳令が公布されていました。

Y区の地下街から台鉄・高鐵の台北車站の地下街へはまたエスカレーターで1段上がります。ここからMRTの台北車站まではそれほど上り下りはありませんが、かなりの距離を歩きます。

ようやくMRTに乗ることができます。もちろん、悠遊卡(ICカード)で改札を通りましたが、駅の料金表を見ると、35元だったようです。日本のように割引はないようです。

永寧のバス停

永寧でどのバス停で待てばよいのか。乗るべきバスは916番とここまでは情報を仕入れていました。

永寧の改札を出ると、バス停の案内がありますが、それはどの出口から出るかまでです。指定された出口を出ると、大きな交差点の先にバスターミナル風のところが見えました。そちらに行ってみましたが、どうも916番バスは来ないようです。

ここでようやくスマホ様に頼ります。乗るべきバス停に導かれますが、これも2つほどありました。翻訳アプリ(★)で並んでいた人にきいてみましたが、そのうちに916番バスがやってきたので、こちらも悠遊卡で乗ります。

★:地名が入る場合、誤訳が起こる可能性があるので、「916番のバスを待っているのですか」という質問をしました。Voice Traというアプリです。

コンセントあり

916番バスは走り出しますが、しばらくすると高速道に入りました。この間、Google Mapを見ていましたが、このバス、三峡の市街地に入ってぐるっと1周するような動きをするんです。

 

「?」と思いましたが、途中から学生も乗ってきます。バスには次のバス停が表示されるのですが、どうやら国立台北大学のキャンパスがあるようです。まあ、それでも「三峡老街」のバス停に到着し、ようやく一息つけました。所要時間は30分程度でしょうか。

首都客運バス

どんなローカル都市かと思っていましたが、意外と開けてますね。

ちなみに、座席の下部にコンセントとUSB挿入口のあるバスでしたが(実際電気が来ているかは未確認です)、料金はいまいちわかりませんでした。距離的に2段くらいなので、30元ですかね。

<続く>

パスポート更新後の物欲爆発

閑話休題

新旧パスポート

先日、パスポートの更新を行ってきました。

最近、パスポートのオンライン申請もできるようになりましたが、従来の書面での申請を行いました。

申請用紙はずいぶん前に市役所の支所でもらってきていました。これに、縦45mm x 横35mmの写真を添付(実際には窓口の係が貼るので、持参すればよい)するのですが、自宅から最も近いパスポート用写真が撮れる無人の撮影BOXが故障していて、撮影可能なところを探す手間がありました。

あとは、書面に必要事項を記入し、それまで使っていたパスポートを添えて申請窓口にもっていけば、申請は終了です。

都庁

自宅が東京都になります。東京のパスポートセンターは4か所。直線距離で一番近いのは立川パスポートセンターになりますが、所要時間と乗り換えの手間を考慮し東京都庁にある東京都旅券課に出向きます。

最寄り駅の新宿から歩いていきます。寒いので地下道を経由して向かうのですが、新宿西口では小田急デパートの改装リニューアルに伴う工事で、地下道もかなり変更されていて、時間がかかりました。

かのや

申請用紙を提出後は、今後必要になりそうなものを見繕います。この日は見て回るだけ。また、1週間後受領に来るので、購入は致しません。

その後、新宿東南口に出て、立ち食いそば・うどんの隠れた名店、「かのや」に行き、きつねうどんを食します。

ここは、東京にしてはうどんは讃岐で、澄んだスープが特徴です。ただ、誤算だったのは「ごぼう天うどん」がメニューから消えていたことです。

きつねうどん

また、値段も少々値上がりしていました。ここは、「ゲソ天そば・うどん」などもあり、他とはちょっと違うそば・うどんを味わえます。

非常に狭い店で、出入口が駅側と反対側にあります。気を付けたいのが駅側で、段差があります。わかっていてもバランスを崩しそうになります。券売機は両方にあります。

その後は、新宿FLAGSにあるタワーレコードで欲しかったCDをゲット。

再び都庁

そして、1週間後。受領用紙に必要事項を記入し、印紙代14000円と手数料2000円を支払います。これ、現金のみなんですよね。このあたり、クレカなどで支払えればなあと思います。

そして、それまでのパスポートを提示し、そのパスポートは失効の印が押されます。新パスポートは葛飾北斎の絵図が印刷され奇麗です。なお、申請から受領まで最短で1週間ですが、受領まではパスポートは有効なので、いざとなれば近隣諸国にちょっとだけ行ってくるのも可能ですね。以前は、申請時にパスポートに穴があけられ、その時点で失効でしたが。

そして、2025年3月下旬からは、パスポートの偽造対策として印刷が新型紙幣と同じ技術で行われるため、受領まで2週間程度かかるのだそうです。

さて、めでたく受領後は、16000円も支払ったものの、物欲爆発です。

Styx/Kilroy Was Here

こちらは和もの

またしても新宿のタワレコに出向き、5枚ほど購入してきました。前回と合わせて6枚。

おそらく、2024年最後の物欲でしょう。

タワーレコードですが、地元にもあるんです。でも、やはり都心の店は品ぞろいがいいですね。本当はタワーレコード渋谷店ならもっと充実しているのですが。

受領した日は9階のJ Pop/Asianのフロアで漁っていたんですが、欧米系の男性が何人もいて、いろいろと買っていたようです。もちろん、漢字、カタカナ、ひらがなを読めないだろうから、英語対応のできる店員さんにいろいろとたずねて、買っていたようです。

彼らも、サブスクや配信のダウンロードでは満足できず、いつでも聴けるフルアルバムを欲しているんでしょうね。

松原みきが外国からブームが起こったように、外国からまた再評価されるアーティストが数年中にまた出てきそうな気もします。

金瓜石黄金博物園區・後編(動画あり)

2024年11月29日(金)続き

黄金博物館

いよいよ、内部に入ります。

ジオラマ

1階は金瓜石黄金博物園區の概要説明のようなところでした。ジオラマがあります。

日本統治時代の卒業証書

金瓜石は山間部にありますが、こちらの博物園區の近くに学校らしい建物がありました。小学校か中学校、あるいは小中が合わさった学校であるとしても、6階建てくらいの相当規模の大きな建物で、現在もそれなりの人口があるようです。

日本統治時代は金鉱従業員も相当数いたと思われ、家族も合わせるとかなりの人口規模だったと思われます。

この卒業証書は提供されたものでしょうね。

金瓜石周辺の説明

金瓜石鉱山は従業員宿舎の電気、水道代が無料で、金瓜石尋常小学校も鉱山が土地と建物を提供して作られたとのことです。

鉱山での怪我は公傷であれば、鉱山内の金瓜石鉱山医院で無料。それ以外でも半額で治療が受けられたらしいです。

そして、各種演芸公演があったり、ビリヤード場、テニスコート、ミニゴルフ場まであったのだそうです。

金鉱石

2階は黄金に特化した展示物があります。

1893年

基隆河で砂金が見つかり、九份でも金鉱脈が発見されたのが、1893年です。翌年、金瓜石でも金鉱脈が発見されました。

当時は清朝支配下にあった台湾ですが、実際には台湾に清の役人が派遣されていた程度で、日清戦争で鉱山の管理までは手が回らず、放置状態だったといいます。

200kgの金塊

最後に世界最大級の金塊が展示されていました。

このまわりだけには係員が配置されていました。でも、手を伸ばして触ることができるんですね。

金塊

数字はこの日の金のレートと、この金塊の総重量をレートにあてはめたものです。約6億元ですか。

台湾人は中国本土の漢民族とはちょっと違うと思っていましたけど、こうもはっきり数字を見せられると、お金に対する考え方はあまり変わらないような気もします。

屋外展示

こちらは博物館外にあったかつての機械です。

ロッコ

こちら、別料金で乗車することができます。ここから園内を1周して、最後は坑道跡のトンネルを通って戻ってくるようです。

発車

乗客はヘルメットを着用していました。

乗ってみたかったのですが、まずは撮影を優先しました。出発からしばらくのところを動画で撮ってみました。ご覧ください。

 

この軌間(ゲージ)は2フィート以下ではないでしょうか。

碓氷峠鉄道文化むらの「あぷとくん」が2フィート(610mm)のゲージです。それよりもさらに小ぶりのトロッコですので、15インチ(381mm)あたりでしょうか。

なお、トロッコは英語では「Minecart」ですので、まさに鉱山用の運搬手段といえます。

また、台湾での動画はこれだけです。

また、金瓜石鉱山ですが、公開されているのはこのごく一部です。最深部は海面下200メートルにも達していて、金瓜石の標高600メートルを加算すると800メートルの深さがあることになります。

それに加え、坑道が40層もあるとのことで、掘り進んだ距離がどのくらいになるものか。正確な値はわかりませんでした。

ちなみに、足尾銅山は直線距離にして足尾から大阪くらいまであったそうです。

日本人宿舎

入口近くにあった和風の一軒家が公開されていました。

内部は畳敷きでしたが、ここをスリッパを履いて見て回ります。

その他、砂金取り体験、坑道見学などもありますが、トロッコ乗車も含めて別料金となります。トロッコの運行は1時間おきくらいでしたが、11月からは本数が減るようでした。

www.taipeinavi.com

建物などはそれぞれ公開されていたようですが、かなりすっ飛ばしてしまいました。事前に下調べをしていたら、もっと面白く見て回れたかも。

金瓜石黄金博物園區・前編

2024年11月29日(金)続き

お出迎えの鉱夫人形

九份老街バス停から金瓜石に向かいます。

やってくるバスはほぼ金瓜石に行くので、どれに乗っても大丈夫でしょう。ただ、はるばる台北からやってくるバスは、乗降口が最前部に1つあるだけの観光バス仕様なので、乗客の乗り降りにやたらと時間がかかります。

最初、このバスが到着したのですが、非常に多くの乗客が降りる間に、ローカル公共バスがやってきたので、こちらに乗りました。どちらも料金は15元だと思います。支払いをICカードの悠遊卡で行ったので、確かなことはわかりません。

ただ、台北での市バスは段票制をとっていて、最低区間が15元です。それを越え、次の段まで乗ると、15元追加されて30元となるそうです。ま、九份台北ではなく、超広域都市である新北市(★)に属するのですが、同じでしょう。

★:Hsinpei、シンペイ。台北と基隆を取り巻くような広域の直轄市で、人口400万人。台湾最大の都市。かつての台北県から昇格した。

 

ルートはこんな感じです。瑞芳から九份への道よりもさらにカーブがきつくなります。

かつて走っていたバス

金瓜石のバス停に到着しました。さて、どちらに行くのか、しばしバス停で地図を確認します。

どうやら、このバスのある広場から先が有料区間となり、そちらに見どころが集中しているようです。

チケット

つうことで、チケットを購入します。80元。(1元=4.87円)

はて、どちらに行ったものか?

金瓜石もかつて金鉱があったところです。ここも一気にゴールドラッシュの様相を呈したのですが、やがて日本の統治となり、金鉱に次ぎ銅の鉱脈も発見されたそうです。廃鉱になったのは1987年と、九份よりも生き延びたといえます。

なんと、かつては鉱夫を運ぶためのケーブルカーもあったそうです。

礦工便當

そのまま歩いていくと、ファミマでしょうかコンビニまでが現れました。

もう少し行くと、このような看板が。どうやら、かつての金鉱夫が毎日食べていた弁当を提供する食堂があるようです。

知っていたら、九份で食べずに、ここで食べていたと思います。

再現された交番

清の時代、鉄道建設中に基隆河で砂金が発見され、それが九份や金瓜石での金鉱脈の発見につながったそうです。ただ、清の台湾に対する統治はそれほど絶対的ではなく、やがて日清戦争の結果、日本が統治することに。

本格的な鉱山経営は日本統治時代になってからのものですので、ここに保存または再建された建造物はいずれも日本風なものばかりです。

太子賓館(右奥)

ここには皇太子時代の昭和天皇がやってくる予定があったようですが、実現しませんでした。ですが、皇太子の宿泊施設として太子賓館が建てられました。

実は、こちらの黄金博物館とトロッコ列車だけに興味があったもので、じっくりとは見てこなかったのです。

毒蛇と蜂に注意

やがて、石段が現れましたが。ちょっと身構えますよね。ま、蜂は飛んでおらず、蛇も現れませんでした。

ナローゲージ

登りきると、トロッコ用の線路が現れます。

駅まである

駅まであるのですが、もちろんこれは観光用にあとから作られたものでしょう。実態はトイレだったりします。

金鉱夫の像

なんともベタな黄金博物館

ようやく博物館にたどり着きました。

また注意喚起が

博物館の先に渓谷のようなせせらぎがあり、ここに橋が架かっていたのですが、またしても注意喚起です。

つうことは、台湾やっぱり南の島だわ。でも、台北あたりでは冬がありますので、この時期はほとんど現れないのかも。

長くなりましたので、続きは後編で。

九份老麺店でシイタケ入りミートボール麺

2024年11月29日(金)続き

豎崎路の昇平戯院から軽便路という比較的平坦な道を進むと、瑞芳からのバス道路が見え出します。そのまま進むと基山街からだいぶ下った場所に出るので、最後に階段を少し上がると、九份老街バス停に出ました。

九份老麺店

基山街を少し進むと、ソロツーリストでも気軽に入れそうな麺屋にたどり着きます。

オーダーシート(★)に記入する店です。

★:その店のメニューがずらりと書いてある紙で、たいていは小さなバインダーに挟んであるので、希望する料理に希望する数を書いて、店の人に渡すシステムです。たいていは単品の値段も書いてあるので、繁体字が読めて料理名が理解できれば、台湾語や國語(台湾での標準語)を話さずとも相手もわかってもらえるという、素晴らしいシステムです。
また、オーダーシートでなくても、ラミネート加工されたメニュー(表裏あり)に、赤鉛筆(布や手で書いたものを消せる)で丸で囲むなり、下線を引くなどして店員に渡すというシステムもあります。できた店は日本語・英語併記だったりします。
どちらも、世界中で取り入れてほしい!

店内

記入したオーダーシートを店員に渡し、空席に座ろうとすると、「うちは先払い」とのことです。この言葉が、流暢ではないものの日本語でした。

九份ですが、豎崎路でもJTBだったかの団体も来ているほどで、他の諸外国に比べ日本語はかなり浸透しているようです。まあ、商売の必要に迫られてだと思いますが。

香菇貢丸麺

さて、頼んだものはこちらです。香菇貢丸麺。つまりはシイタケ入りの豚肉ミートボールがのった麺(★)になります。

★:中華圏では麺といえば小麦粉から作ったものになります。「むぎへん」入ってますしね。ビーフンのようにコメから作ったものは「粉」になります。「こめへん」付きますね。
日本人の感覚だと「うどん」も「そば」も麺類になりますが、このあたりははっきりしてます。

いただきます

具はミートボールとわずかな青菜だけ。スープはあっさりです。麺も中華麺(卵麺)ではないし、さりとてうどんっぽくもないんです。

自分だけの感覚でいえば、日清の「きつねどん兵衛」の麺をもっとみずみずしくしたような感じですかね。「もちもち」までは行かないものの、しっとりさはちょっとあるような感じ。

ミートボール

これ、硬めです。肉がぎっしりと入っているような感じがします。歯ごたえは十分にあります。

タイのルークチン(つみれ、魚肉と肉どちらもあり)もクイッティオ(コメのめん)やバミー(中華麺)によく入ってますが、むしろタイのルークチンのほうが日本人のつみれやミートボールに近いですね。

もっとも、東南アジアのめん類はもともと華僑が始めたもので、ルーツは中国なんですが。

台湾独特なんでしょうかね、貢丸。でも、この歯ごたえと肉がぎっしりと入っているような感じは好きになりました。

料金は80元でした。(1元=4.87円)

基山街

さ、腹も満ちたし、そろそろ次に参りましょう。

九份、豎崎路の石段と昇平戯院

2024年11月29日(金)続き

豎崎路

基山街を少し戻り、石段の続く豎崎路を下ってみます。

石段なので、クルマやバイクとは無縁ですが、観光客がめちゃくちゃ押し寄せてます。

徒歩2分と表示されていますが、急勾配なので実際にはもっとかかるはずだし、人が多いのでさらに時間がかかります。

なかなかの傾斜です

それに、ここは九份で最も写真映えのするところなので、ほとんどの観光客がスマホやカメラを構えます。さらに、時間がかかります。ま、そういう自分もやたらとシャッターを切りました。

阿妹茶楼

九份は北斜面で、もともと日当たりが悪く、豎崎路の上のほうには比較的高い建物があって、なおさら日影が多いです。

阿妹茶楼は茶芸館だそうですが、もともとは金鉱で栄えたころの大邸宅をリノベーションしたものだそうです。

三階建て

それにしても、こんな坂の途中によくぞ建てたものです。

鉱山従事者像

その阿妹茶楼の真向かいにこのような像がありました。以前はなかったように思いますが。

九份では金鉱脈が発見され、空前の繁栄を極めましたが、1971年に金鉱が閉山してからは急速に衰えたということです。

このあたりの建物は日本統治時代のものが数多く残されています。阿妹茶楼もそのひとつですね。

下ってきました

このあたりは日当たりがいいです。そして、見上げると…。

無数の提灯/E-M10 MarkIII

数多くの提灯がぶら下がっています。

この脇には昇平戯院という映画館があります。

昇平戯院

こちらが、昇平戯院になります。

まだ台北に映画館がなかった1934年に台湾北部で初めてオープンした映画館です。いかに、ゴールドラッシュがもたらしたものがおおきかったのかがわかりますね。

ちなみに、ここは1986年に一度閉館しましたが、現在は金曜日から日曜日に映画を上映しています(この時間はまだ映画はやっていなかったです)。

悲情城市

現在上映している映画です。この「悲情城市」は九份が舞台になった映画です。

www.allcinema.net

多桑

「多桑」とは「父さん」の意味です。台湾で使われる言葉ですが、大いに日本語から影響を受けた単語ですね。余談になりますが、「オジサン」「オバサン」はそのままの発音で台湾の人も使う言葉です。意味も同じですね。

そして、この「多桑」も九份が舞台になった映画だそうです。前者の「悲情城市」のほうが国際的な評価が高いです。

この2本が上映されているとのことです。

フロア

さすがに座席数は少ないです。でも、上映時間以外はこうして開放されています。

エントランス付近

どうやら、2024年の1月31日に復活したようです。

再現された売店

さすがにこの売店は現役ではなさそうですが。

記念碑

提灯/PowerShot

今回アップした画像は大半がE-M10 MarkIIIのものですが、昇平戯院とこちらだけはPowerShotのものです。

豎崎路はまだまだ続く

そろそろ、おなかが減ってきました。何か、食べることにします。

<続く>

九份、基山街

2024年11月29日(金)続き

基山街

九份、飛び込むとそこは大正~昭和初期にかけてのレトロ感に満ちた世界となります。

九份のバス停に到着し、歩道を上がっていくとセブンイレブン(★)があります。その脇にある通りが基山街であり、九份のメインストリートとなります。狭い通りですが、人々が行きかい、活気に満ちた通りです。

★:台湾のコンビニですが、圧倒的にセブンイレブンが多いです。たまにファミリーマートも。店内の様子はほぼ日本と同じですね。
ただ、台湾のセブンは日本のセブン&アイホールディングスとは関係ないそうです。
ファミリーマート(全家便利商店)はファミマと台湾の企業との合弁だそうですが。

 

こんな感じで、行けるところまで行ってみます。

食べ物の店が多い

過去に2度、九份を訪れています。

最初は知り合いの現地駐在員の方に連れて行ってもらいました。2度目は自力で行ってきましたが、どちらもあまり天気が良くなかったです。今回は快晴。

基山街は途中まではアーケード状になっているので、雨が降ってもあまり気にせず歩けます。

途中抜けている日本語

ただし、雨で濡れると路面が滑りやすいです。

また、ほとんどが歩行者ばかりですが、たまにバイクが走り抜けていきます。また、バイクよりも稀ですが、クルマも通ります。

バイクやクルマはだいたいが配送関係です。気を付けるに越したことはないです。

提灯

こういうものがレトロ感を醸し出していますね。

芋圓づくり

あまたの食べ物の店が並んでいます。店頭には「お試し」で試食品を配る人もいます。

この人が簡単な日本語を話したりします。実に久々の海外できく日本語です。2000年代初めくらいまでは、インドやカンボジアシェムリアップ)などで、そのあたりの物売りが当たり前に日本語を話していたんですけどね。

ここにも日本語が

こちらは日本語の誤った表記ですね。長音の「ー」を縦書きでも使ってます。ここの店員は日本語対応は無理かと思います。

台湾は日本語の表記が割とあるところで、例えば「ヘアサロ」とかよくありますよ。

坂の頂点あたり

結構登ってきました。そろそろ、アーケードも途切れるあたりです。

ナイスビュー

こうしてみると、瑞芳からはかなり登ってきてますね。このあたりは基山街が直角に曲がるところで、一般の店舗がなくなってきます。

案内板

この先には民宿のような宿があるくらいでした。

それにしても天気がいいです。これも、普段の心がけの良さかも。

<続く>

九份・金瓜石へのアクセス

2024年11月29日(金)

1元=4.87円計算(空港での両替時のレート)

九份からの眺め

台北2日目。

この日は九份(ジォウフェン、Jiufen)と金瓜石(ジングアシー、Jinguashi)に行くことにします。

いきなりでしたが、週末は混雑が予想され、平日のうちに行ってしまおうという計画でした。

台北からのアクセス方法ですが、以下の通りです。

A 台鉄(台北車站ー瑞芳)+バス 瑞芳乗り換え
B 台鉄(台北車站ー瑞芳)+タクシー 瑞芳乗り換え
C 台北客運バス 金瓜石行き 乗り換えなしのダイレクト
D 台北からタクシー
E ツアー参加

値段順ですかね。もしかしたら、EよりもDのほうが高いかも。ただし、それなりの人数が集まれば、少しは安くなるかも。

 

ま、ワタクシはバジェット派というか、無駄にお金を使わないタイプですので、もちろんAで行きます。

ただし、台鉄(★)を利用するにも瑞芳に止まる特急列車もありますので、特別料金のかからない區間車の切符を自動券売機で購入しました。

★:臺灣鉄道管理局が運営する国営鉄道に相当するもの。

チケット

料金、49元。9:30発の蘇澳(スーアオ、Su'ao)行きの區間車に乗ります。これを逃すと、次は9:49となります。區間車は1時間に2本程度ですね。

すでに通勤・通学時間は過ぎていましたが、次の松山、南港あたりまでは混んでいて、座れませんでした。瑞芳(ルイファン、Ruifang)到着が10:27で、ほぼ1時間かかります。この間、わずかに33.5kmですが、ワタクシの地元から新宿に各駅停車で向かうようなものですかね。

瑞芳駅

南口(前站)に出ます。地下道に降りてどちらに行くかはきちんと説明がありますので、漢字が読めれば問題なしです。

通行証

こんなものが改札には置かれていました。北口(後站)に行く人のための通行証で、自由に取っていっていいものです。1枚もらっておけばよかったかも。

ちなみに、瑞芳駅でトイレを済ませておいたほうがいいと思います。ま、區間車にもトイレは付いてますけど。

駅前

駅前すぐにバス停がありますが、ここでバスに乗ってしまうと、台北か基隆(ジーロン、キールン、Keelung)に行ってしまいます。なぜなら台湾はクルマが右側通行ですから。

タクシー乗り場

駅から出て、左側にはタクシーが待ち構えています。メーターは使わず、九份まで公定料金で220元だとか。4人で割っても55元ですから、やはりバスのほうが安いです。

駅前の通りを左に進み、ちょっとした広場が九份方面へのバス停になります。

 

公共バス

やってくるのはほとんどが金瓜石行きでしょうか。料金は15元だったでしょうか。

悠遊卡(★)というICカードを使ったので、正確なところは不明です。ただ、タッチすると、残額と料金が一瞬表示されるので、そこから読み取りました。

バスの前後の入口にカードをタッチするセンサーがあります。たぶん、バスには「上下擦卡」と表示があるはずで、乗車時と下車時にカードをタッチする必要があります。

現金払いも可能でしょうが、運ちゃんとのコミュニケーションが問題ですね。そして、台湾のバスは釣銭が出ないというのが当たり前のようで、悠遊卡を持っていたほうが何かと便利です。

★:英語名はEasy Card。日本のSuicaPasmoのようなもので、台湾では台鉄、路線バス(場合によっては中距離バス)、MRTなどに利用できる。
プリペイドカードであり、コンビニや自動券売機などで料金を加算できる。コンビニでは、「Top up」という言葉はほぼ理解してもらえず、「チャージ」のほうが、通じる。

ほぼ、20分で到着しました。

九份老街

さあ、いよいよ、観光の始まりです。