c71の一日

生活の記録

わたしは一応人間なんだよね

あんまり理解している人がいないのか、理解していない人が周りにいるだけなのか、わたしは人間なんだよね、って思う。
人間だから、やっぱり傷つく。


傷つくから、傷つける人からは離れる。


自分が何を大事にしたいか。大事にしたいことを大事にしてください、と言ってくれた人がツイッターでいて、少し救われた気がする。
ネットで、まあ、わたしの言葉だけだから、わたしの言うことが正しいとは限らないのだけど、自分のバイアスがかかっているから、事実の把握が難しいのだけど、でも、それに対して慰めている人がいて、ネットをしていて良かったと思う。
わたしはやっぱり孤独なのだ。


ネット上で話しかけられることがしんどいときもあるのだけど、今日は、人と話したい気分だ。
いろいろな人が話しかけてくれたので、孤独が癒された。



ひどいことを言われると、ぽかんとしてしまう。
息が止まる。
ひどいことなのかどうか、判断できなくなるんだな、ということを体験した。
先生は、からだが教えてくれるんだ、と言った。
からだの言うことに従いましょうと。



ネットの人間関係は、危険なこともあるし、淡い故に、親身になってくれる場合がある。現実の世界でピンポイントで、価値観のあう人と出会うことは、難しいけれど、ネットではそれがしやすい。


わたしはつくづくネット向きの人間なんだろうと思う。




障害がわかったとき、乙武さんのようにポジティブに受け入れた方が良い、と言われたときも、
素敵な女性になってほしいから言うんだと言われたときも、
いやだと言ったわたしに、忠告を受け入れないと、イエスマンしか回りに寄せ付けないと、それが仕事に出て誰にも尊敬されなくなると言われたときも、
虐待されていやだったのだったら、逃げれば良かったじゃない、と言われたときも、
それをネットに書いたリ人に話したあと「そんな言い方はしていない」と言われたときも、
「関わることにつかれました」と言われたときも、
息が止まって頭痛がした。


わたしは、乙武さんと障害も境遇も違いすぎるから、同じようには振る舞えない。
差異があるから、同じ人間には慣れないし、
からだが不自由な人よりは恵まれていると言われても、わたしにはわたしなりの苦労があるし、
障害があることについて、誰にでも苦労はあるんだから障害にこだわるなと言われても困るし、
虐待されていると、それが正しい世界のように思えて、外に出る力も奪われると言うことを説明する気もそげたし、
ああ、傷ついたと思うよりも先に、息ができなくなった。



遠くの身内よりも、近くの他人というけれど、わたしが入院したとき、親身になってくれたのは友だちだった。



わたしは強盗に襲われたときも、骨折したときも、全部一人でなんとかしてきた。
一人で生きて来たわけじゃないはず、おかあさんに感謝しろと言われたこともあるけれど、
でも、わたしはいつも孤独だった。



左腕の神経が切断されたとき、誰かに連絡を取りますかと言われて、誰も思いつかなかった。
身内の人が誰も、駆けつけてくれないと知っていた。
駆けつけてくれたのは、友だちだった。



わたしは、そのことに傷ついた一方で癒された。
わたしは孤独であると同時に、孤独じゃない。
身内の人が言うほど、わたしは常識はずれじゃない。愛されてもいる。
身内の人は、そのままだと、愛されない、人が周りに誰もいなくなると言ってくるけれど、わたしの周りには、人がちゃんといる。
わたしは、孤独でさみしいと思いたいけれど、でも、声をかけてくれる人に失礼だから、わたしは人に囲まれてるんだと思う。



ネットから始まる友だちなんて、と思われても良い。
友だちは、その瞬間ごとに縁があって、続くときもある、消えていくときもある。それは、リアルもネットも同じだと思う。
現実の友だちもいる。
現実の友だちにも、重い話だけど、聞いてもらうこともあると思う。
わたしも、その友だちが困ったときに、力になりたいと思う。


わたしのことを、人間扱いしない人もいる。
だけど、わたしは自分が人間だとわかっている。わたしを人間だと思ってくれている人もいる。
わたしは、そういう人を大事にしたい。