ドラッカー教授の著作に学んで、成果をあげた日本の中小企業を紹介する本連載。ドラッカー教授の言葉を解説した後、その言葉の理解を深めるのに役立つ実例を紹介します。

 今回は、職人肌の美容師が、経営者への脱皮に踏み出したケースです。社員の一斉離職という手痛い経験を乗り越え、スタッフと手を携えて取り組んだマーケティングによって、地方の小さな美容室が、大きく飛躍しました。(前回はこちら

【ドラッカー教授の言葉】

企業が売っていると考えているものを顧客が買っていることは稀である。……(中略)……顧客は、満足を買っている。しかし誰も、顧客満足そのものを生産したり供給したりはできない。満足を得るための手段をつくって引き渡せるにすぎない。

『創造する経営者』(ダイヤモンド社)

【解説】

 顧客満足という言葉は誰もが知っています。しかし満足の正体を見極めようとする人は意外に少数です。
 多くの人が「売りたいもの」から議論を始めて、顧客を探しています。しかし、ご存知の通り、それでは結局のところ売れません。
 顧客が「買うもの」は、顧客にとって手段にすぎません。「買う」という行為の先にある顧客の真の目的に目を向けなければなりません。そのスタートになるのが、自社にとっての顧客を特定し、顧客の現実に目を向けることです。

【実例】

 得意の絶頂に、思いがけない落とし穴が待っていた。

 BALANCE.(バランス、岡山県倉敷市)の才野裕識社長は、もともと腕に自信のある美容師。

 2006年に独立して自分の店を持った。

 それから5年後、日本最大級の美容師コンテストにノミネートされ、自信を深めていた矢先、5人いた社員全員から退職の申し出を受けた。慌てて引き止めたが、結局4人が店を去った。

技術を磨いてもダメなのか?

岡山県倉敷市で美容室を運営するBALANCE.の才野社長
岡山県倉敷市で美容室を運営するBALANCE.の才野社長

 「美容師にとって重要なのは、何より技術を磨くこと。自分が大きな賞を取れば必ず、お客さんもスタッフも喜んでくれると信じていた」と、当時を振り返る。

 自分1人の受賞を目指していたわけではない。将来は社員も賞を取れるようにと考え、技術面の教育に力を入れてきた。だが、肝心の社員の心が離れていた。

 自分は何か重大な間違いを犯したのだろうか――。

 最初は去った社員を責める気持ちが強かった。

 しかし、やがて自分の内面の問題に思い至った。

 「最初に美容師を志したのはひとえに、お客さんを喜ばせたいという思いからだった。しかし、忙しく日々の仕事をこなすうち、その思いが薄れていた」

 そんなとき、たまたまドラッカーに学ぶ経営セミナーの案内を目にした。美容師としての勉強は多くしてきたが、経営については勉強したことがなかった。一から経営を学んでみたいと思って参加した。

「顧客にとっての関心は、自分にとっての価値、欲求、現実である」 (『マネジメント[上]』)

 ドラッカーのこの言葉にセミナーで出合い、才野社長はハッとした。顧客を喜ばせたくて美容師になったはずなのに、顧客について真剣に考えたことがなかった。

顧客を無視した「理想の髪型」

 「カットをするとき、お客さんの要望などほとんど聞かず、いつも自分の考える『理想の髪型』に仕上げていた。それで喜ぶお客さんなんていない」と気づいた。

 顧客を喜ばせるには、まず顧客の「現実」を知らなくてはならない。顧客の現実とは、その人が見ている景色であり、直面している課題。それさえ知れば、おのずと顧客の「欲求」が分かり、その顧客にどんな「価値」を提供すべきかが見えてくる。そんな考え方をセミナーで教わった。

 店に戻って、顧客の現実を知るために始めたのが、女性ファッション誌の分析だ。
 女性ファッション誌はそれぞれ、読者ターゲットを明確に定めている。読者の年代や独身か既婚かといったライフスタイルの違いに合わせて、記事の内容はもちろん、そこで紹介する洋服や生活雑貨なども決めている。
 だから、複数の女性誌を読み比べれば、ライフスタイルによって異なる顧客の現実が見えてくるはずだと考えた。

 新しく採用した社員などと分担して、読者層の異なる女性誌を約10誌、熟読。既存顧客のイメージに一番合う雑誌を特定した。

 それは、子育てをしながら働く女性をターゲットにした雑誌だった。カット技術に定評があった才野社長の店には、ワーキングマザーの女性客が多く集まっていたのだ。

 では、彼女たちが直面している現実とは、どのようなものか。

 その雑誌で印象的だったのは、家事の時短やバスタイムを楽しくする記事が目立ったこと。仕事と家事、育児に追われて忙しいなかで、わずかに残された自分の時間を大事にしている姿が浮かび上がった。

 そんな女性たちは、何を求めて美容室に来るのか。

 「ただ髪を切るために来ているわけではない。髪を切るのはあくまで手段。その背後に、癒しを得るとか、きれいになった自分の姿を見て自信を取り戻すといった、本来の目的がある」と、才野社長は考えた。

 では、そんな顧客の欲求を満たすため、どんな価値を提供すればいいのか。

「選べるシャンプー」がヒット

 ここまで議論を掘り下げると、顧客満足を上げるための新しいサービスの提案が、社員たちから次々に出てきた。
 例えば、シャンプーを複数用意して、顧客が自分の好きな香りのものを選べるようにする。
 あるいは、頭のツボを示す図を見せながら、肩こりなどの症状に合わせて、重点的にマッサージする場所を決める。

 こうしたサービスが好評を博し、顧客のリピートや紹介が増えた。

 「スタッフが生き生きしていて、元気がいい」と、接客を評価する声も聞かれるようになった。

 顧客の現実に開眼してから約2年。売り上げは前年同月比20%以上の成長を続け、念願の2号店出店を果たした。

美容室「BALANCE」では、社員同士のミーティングをよく開く。営業を早く切り上げ、午後3時から夜まで店づくりについて話し合う日も設けている
美容室「BALANCE」では、社員同士のミーティングをよく開く。営業を早く切り上げ、午後3時から夜まで店づくりについて話し合う日も設けている

【解説】

 「顧客ニーズを聞け」とよく言いますが、実際、顧客に話を聞いた経験がある人は少数です。

 一番の理由は、聞き方がよく分からないからです。顧客に直接、「あなたのニーズは何ですか」と尋ねたところで、有益な情報はほとんど得られない。そんな実感を持つ人は、多いでしょう。

 問題は、いきなりニーズを尋ねるところにあります。ニーズという言葉で表現される、顧客の「欲求」を深く理解するには、その人が生きている「現実」を知る必要があります。

 才野社長は手痛い経験を経て、自分がこれまで売ろうとしてきたものが、顧客が求めるものと違うことに気づきました。

 才野社長が誇りとしてきた「技術」は、顧客の欲求を満たすのにまったく役立たないわけではありませんでした。けれど、顧客にとっては手段に過ぎず、来店の目的にはなりえませんでした。顧客が本当に買いたいものは、技術ではなかったのです。

 この瞬間、才野社長のものの見方が、「企業目線」から「顧客目線」に切り替わりました。

 すると新たな疑問が湧きました。

 「顧客が本当に買いたいものは何だろうか」

 そのときに助けとなったのが、ドラッカー教授の言葉でした。

 「顧客にとっての関心は、自分にとっての価値、欲求、現実である」(『マネジメント[上]』)

 この言葉は、「現実→欲求→価値」という順番で考えると使いやすい道具になると思います。

顧客はニーズを自覚していない

 現実とは、顧客の目の前で繰り返されている日常です。

 現実は漠然としており、そのなかには往々にして、不満、不安、不便などの感情が隠れています。

 なぜ、隠されてしまうのか。

 解決できないものとして諦められているからです。

 現実のなかに潜む不満などの感情は、顧客のなかで顕在化していない「欲求の種」のようなものです。この欲求の種を探し、育てた先に、顧客ニーズに合う商品やサービスが生まれ、顧客に対して価値を提供することが可能になります。

 だから才野社長は、「私たちの顧客の現実とは何だろうか」と、自問しました。そこで女性誌を活用するという方法を思いつきました。そこに自分たちが普段、見ることのできない顧客の現実をうかがうヒントがあると考えました。こうして浮かび上がった顧客の現実とは、「仕事と家事、育児に追われて忙しいなかで、わずかに残された自分の時間を大事にしている毎日」でした。

 ここまでくれば提供すべきサービスは、いくらでも思いつきます。アイデアが現場から湧き上がってきました。それらを一つひとつ試しては顧客に感想を尋ね、ニーズを深掘りしていきました。

 この店を視察して、「シャンプーを複数用意して選ばせる」というサービスをそのままマネする美容室もあるでしょう。

 しかし、そんなやり方は長続きしません。常に変化する顧客ニーズを追い続けるには、顧客に正しく向き合うための原理を知らなくてはなりません。それを端的に示すのが、冒頭に紹介したドラッカー教授の至言です。

 (この記事は「日経トップリーダー」2015年12月号の記事を再編集しました)

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