巨大プロジェクトに挑み、失敗する日本企業が後を絶ちません。東芝は米国の原発建設を管理しきれず債務超過に転落し、三菱重工業は国産旅客機「MRJ」の納入延期を繰り返しています。何が原因なのでしょうか。
三品和広教授(以下、三品):日本企業が大きな特別損失を計上したケースを分析すると、勝ち目がない案件に自ら突っ込んでいる例が目立ちます。
プロジェクトを続ける間にマネジメントを失敗し、結果が当初想定から大きく狂うというケースは、皆無ではありません。ただし、日本企業ではマジョリティー(多数派)ではないでしょう。根本的な原因は、出発段階の経営判断の甘さにあります。
ではなぜ、甘い経営判断がまかり通るのか。私は日本企業の「リスク」の捉え方が間違っているのだと分析しています。
日本企業の経営者は、「石橋を叩いて渡らない」イメージがありますが。
三品:ところが全然違うのです。プロジェクトに関するリスクを、2つの側面から考えてみましょう。
1つ目は「損失の期待値」。思い通りに進まなかった場合、どれぐらいの「持ち出し」が発生する可能性があるかという考え方です。「失敗する確率」と「投下金額」のかけ算で、損失の期待値は計算できます。
米国企業は、投下金額を小さくすることで期待値をコントロールしようとします。ベンチャー投資が1つの象徴ですね。失敗する確率は高くても、少額なら経営を揺るがすような損失にはなりませんから。その中で成功が出てきたら、徐々に金額を増やしていきます。
一方で日本企業は、まずは失敗確率を低くしようと考えます。この傾向が強いので「リスクテークが足りない」と批判されるのでしょう。半面、失敗確率が低いと判断したら、一気に巨額の資金を投じて勝負に出る。私から見たら、ものすごいリスクを取っているわけです。単純に経営が「乱暴」と言っていいと思います。
経験を積んだ事業なら、失敗確率は低いのか
計算上は、米国企業でも日本企業でも「損失の期待値」は同じようなレベルになると思います。
三品:ここで、リスクのもう1つの側面を考えねばなりません。最悪のケースに陥ったら、最大でいくらの損失が発生するかということです。
仮に発生確率が0.1%程度に過ぎなかったとしても、不運が重なることはあり得ます。そうした時に、財務が耐えられるのかを考えておかないといけません。投下金額の絶対額を自社の財務体力と比べる必要があります。
堺市に巨大な液晶工場を建設したシャープと巨費を投じて米ウエスチングハウスを買収した東芝は、2つ目のリスクを見誤ったのです。文字通り社運を賭けたわけですが、大きく転んで債務超過に転落してしまいました。
CFO(最高財務責任者)がCEO(最高経営責任者)の部下のようになってしまい、財務面からブレーキをかけられなかったのが1つの原因でしょう。
シャープも東芝も、事前に「損失の期待値」については計算したのではないでしょうか。
三品:そうでしょうね。挑戦する事業からもそうした考えが見てとれます。
シャープの場合は液晶を長年手掛けてきたので、テレビ事業なら何とかなると考えていた。東芝は数十年間にわたって原子力ビジネスを手掛けてきたので、米国でも原発建設をこなせると思っていた。
三菱重工業のMRJも同様です。米ボーイングの下請けで経験を積んでいますし、防衛省向けの戦闘機も手掛けている。航空機に関しては全くの素人ではないという自負があるでしょう。
つまり、自分たちが経験を積んでいる事業ならば、まさか手痛い失敗にはならないだろうと思い込んでいるわけです。失敗の確率が低ければ巨大な投資をしても大丈夫。そういう理屈なのです。
全く見知らぬ場所ではなく、経験の通用する領域で勝負するのは当たり前のように思えます。
三品:皆さんここで計算違いをするのです。事業の中身は、時代や置かれた立場によって全く異なるからです。
日本と米国では原発のビジネス手法が異なる
三品:同じテレビ事業でも、ブラウン管と液晶ではビジネスのやり方が全く異なります。原発でも相手が東京電力なのか米国の電力会社なのかで、やり方は大きく変わらざるを得ない。自らが事業主体となるMRJでは、ボーイングの下請け時代とは違った責任が生じます。
失敗した企業はこうした違いを過小評価したのでしょう。目の前に流れる川の「深さ」を確かめないまま、渡れると思い込んで足を踏み込んでしまった。過去の成功体験から自信過剰になっていたのだと思います。
足を踏み出した段階で、既に間違っている可能性がある。
三品:そうですね。間違った選択をしてしまう1つの理由は、日本企業が重視する「経験主義」にあると思います。
日本企業に学生が就職する時には、学校で何を勉強してきたかはあまり問われません。入社してから仕事を通じて経験を重ねていけばいいと、社長以下が考えているからです。海外でMBAを取って転職してくる人よりも、生え抜きが重用される例が多いのはその象徴です。社内で積み重ねた経験に価値があると信じているからこそ、日本企業は今でも長期雇用を維持しているのです。
経営者になるのは、その会社の本業で誰よりも経験を積んだ人。そして、自分が過去に経験して想像できる範囲内で次の戦略を考えようとします。
自分たちが経験している領域には、当然、同業他社がいます。長い歴史の中で過当競争に陥っている事業も多い。そこで勝負するには大きな金額を張って、競合を振り切らないといけない。そんな発想に至るわけです。
19世紀ドイツの宰相ビスマルクは「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を残しています。歴史は他人の経験の集合体です。ビスマルクの視点では、自らの経験からしか学ぼうとしない日本企業は愚者に他なりません。
一方で欧米企業は、他人の経験から学ぼうとします。自社が手掛けていない分野でも関係ありません。米ゼネラル・エレクトリック(GE)が金融分野に乗りだし、ずっとパソコンを作ってきた米アップルが通信機器であるiPhoneを手掛けるようなことは、当たり前に起きています。こうした挑戦は、日本企業の発想ではあり得ません。
「飛び地」に挑まないのは、根本的な間違い
新たな挑戦で、成功するかどうかは分かりません。
三品:だからこそ、最初は小さく始めるのです。
アップルはiPhoneのために工場を作ったりしていませんよね。2008年に「iPhone3G」を投入し、それが成功したことを見極めてから、徐々に小さな会社を買収して機能を強化していく。これが本来のリスクテークのあり方なんです。
米グーグルも米アマゾン・ドット・コムも、最初のビジネスは小さなサーバーでできる範囲にとどめていました。お客さんが付いて資金が回り出してから、本格的に投資を始めました。
インターネットの登場で様々なビジネスが大きく変わり始めた時期に、グーグルは広告で、アマゾンは通販でそれぞれ最適な「立地」を押さえました。「揺籃期」なら市場規模はまだ小さいので、少額投資でも大きな存在感を示せます。その後、市場の成長に合わせて投資を増やしていけばよいのです。
一方の日本企業は、経営陣が臆病で未経験の事業を判断できません。成熟産業でも新たな事業機会はどんどん立ち上がっているのに、「お手並み拝見」と眺めているだけ。経験を積んで勝手が分かる事業以外には、投資する勇気が無いのです。
「飛び地」には行かないと宣言する経営者がいますよね。あの発想は根本的に間違っています。自らの経験のみを重視して、世の中で新たに登場するニーズや可能性に興味を持っていないというのと同義ですから。
戦略的に「立地」を押さえるのではなく、後から挽回しようとするから失敗してしまう。
三品:そういうことです。慣れ親しんだ事業が成熟してくると、状況を変えようとして大型投資に走るわけです。ある意味で乱暴な手法で勝ちを収めようとする。これが多くの失敗の共通点です。
日本企業がそういう乱暴な経営をしてしまう理由はもう1つあります。社長の任期が4~6年と短いことです。3年の「中期経営計画」を2回転して退任するのが典型的なパターンになっています。
この6年の期間で歴史に名を刻むには、小さな事業を育てていくのでは間に合いません。機が熟しているかどうかは関係なく、何らかの勝負に挑む必要があると考えるのでしょう。だからこそ、「高値づかみ」だと分かっていても後には引けないのです。
後任の社長も失敗をすぐに修正できません。多くの日本企業では実績と経験に基づき、前任社長が後継者を指名するケースが今も続いているからです。
そうした意味からも、ガバナンス改革を急がねばなりません。
「執行」に携わるのは経験主義の中で育ってきた人でもいいんです。日本企業が強みとする実務では、経験が絶対に必要ですから。一方で「経営」する人、戦略を描く人はその延長線上では育ちません。ここをちゃんと区別する必要があります。だからこそ指名委員会の役割が大きくなると考えています。
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