2月末の平日昼。東急ハンズの小型店「ハンズビー丸の内オアゾ店」(東京都千代田区)は、昼休みを利用して訪れた女性会社員らでにぎわっていた。彼女たちがまっしぐらに向かったのは、売り場の中心を占める化粧品コーナー。その中でもひときわ目を引くのが、ロート製薬のブランド「Obagi(オバジ)」シリーズだ。
機能向上・低価格化を促す
2001年に発売したオバジは、機能性化粧品の市場をリードしてきたブランドの一つだ。2004年に発売した「肌研(ハダラボ)」シリーズもロート製薬の主力商品。1000円以下で購入できるスキンケア商品として女性の人気を集めて、化粧品市場に「価格破壊」を起こした。資生堂やカネボウ化粧品なども対抗上、安価な製品を投入するなど、既存の化粧品大手の戦略にも大きな影響を与えた。
●事業別の売上高と連結経常利益
両ブランドは発売から10年以上がたち、ドラッグストアでも「リピーターが多い売れ筋商品の一つ」(東京都稲城市のウエルシアの店舗)と、今やすっかり定着した。ロート製薬の化粧品(スキンケア)事業の売上高は2015年3月期に1000億円を超え、全体の7割近くを占めるまでになった(下のグラフを参照)。
ロート製薬が女性向けの商品で話題を集めたのは、化粧品が初めてではない。女子中高生向けでは1979年にリップクリーム「薬用キャンパスリップ」、94年には目薬「ロートジーリセ」を発売。85年には妊娠検査薬「チェッカー」を薬局向けに売り出した。
化粧品事業に本格的に取り組んだのは、99年に社長に就任し、現在は会長の山田邦雄氏だ。化粧品がけん引して、これまでに連結売上高を2倍以上に伸ばした。山田会長は「女性は新商品への興味が強く、商品の良しあしを判断する感性も鋭い。女性の支持を得られれば、どのジャンルでも成長できる」と話す。
ロート製薬は1899年、山田安民氏が大阪市内に前身の「信天堂山田安民薬房」を創業。当初は胃腸薬、その10年後に目薬を売り出した。この2つを軸に、長らく一般用医薬品(大衆薬)の販売に特化していた。
創業から110年を超える老舗企業で、歴代の経営トップを創業家の山田家が担ってきた。邦雄氏は安民氏のひ孫で4代目。2009年に生え抜きの吉野俊昭氏が創業家以外で初の社長兼COO(最高執行責任者)に就いたが、邦雄氏は代表権を持つ会長兼CEO(最高経営責任者)として、引き続き経営の実権を握る。
同族経営はガバナンス面で投資家からの目が厳しい一方で、中長期の視点に立って経営に取り組みやすいというプラス面もある。山田家の歴代トップはこの利点を生かしつつ、柔軟な発想で新たな事業に挑戦してきた。
邦雄氏の祖父で2代目社長の輝郎氏は1965年に、ロート製薬とは別に、山田スイミングクラブを創設。72年ミュンヘン五輪の金メダリストなど有力な女子競泳選手を数多く育てた。父で3代目社長の安邦氏は、88年に米医薬品会社メンソレータムを買収して海外市場への足がかりを築いた。邦雄氏もそのDNAを受け継ぎ、化粧品事業に参入。大きく成長させた。
ロート製薬取引先のある幹部は山田会長について「とても気さくな方。エネルギッシュでもあり、製薬会社の創業家という印象はない」と話す。
化粧品事業がけん引し、2015年3月期の連結売上高は前の期比6%増の1517億円と、22期連続で増収。今期はさらに10%増の1675億円と、23期連続の増収を見込む。経常利益もこの20年で4倍近くに増えた。
国内化粧品市場は資生堂とカネボウ化粧品、コーセーの3強で今なお50%程度のシェアを握る。新興のロート製薬は市場で独自の地位を築いたが、シェアは1桁にとどまり、上位に食い込むにはハードルが高い。化粧品事業への依存度の高さは、競争激化で今後採算が悪化した際に、ロート製薬の経営の屋台骨を揺るがせる危うさも秘める。そこでロート製薬は化粧品が好調なうちに、次の収益の柱を育てようとしている。その中心が「食」と「再生医療」の分野だ。
食品事業は、目薬(アイケア)、化粧品というこれまでの事業との関連は薄いように感じる。だが共通するのは「健康」というキーワードだ。ロート製薬は「薬に頼らない製薬会社になる」というスローガンを掲げて、病気になる前の消費者の健康維持を後押しすることに、ビジネスチャンスを見いだしている。
レストラン、アイスなど多彩
大阪・梅田の複合施設で、ロート製薬のオフィスがある「グランフロント大阪」の飲食店街を歩くと、ガラス張りの明るい雰囲気の店舗に行き着く。ロート製薬が2013年に開いた薬膳フレンチレストラン「旬穀旬菜」だ。
フランス料理の巨匠、三國清三シェフがプロデュース。野菜は店舗併設の植物工場で取ったり、子会社が運営する奈良県の農場で取ったりしたものを使う。2月末の平日昼に訪れた際は約8割を女性客が占め、にぎわいを見せていた。
旬の果物をふんだんに使ったアイスキャンディー専門店「PALETAS(パレタス)」も人気だ。国産で減農薬の果物を使い、東京・代官山や赤坂など5カ所に店舗を構える。関西でも京都・大阪の高島屋に期間限定で出店。3月初めから5月末には大阪・梅田の蔦屋書店に期間限定の店を開く。
このほか奈良県で漢方薬原料の薬用植物を栽培している。沖縄県ではシークワーサージュースの製造販売や、飼育した豚を加工しハム・ソーセージの製造販売も手掛ける。
食に関連して、外部企業との連携も進める。昨年4月に東急不動産と業務提携した。同社が運営する複合施設「TENOHA DAIKANYAMA」(東京都渋谷区)内に、パレタスを含む飲食スペースを設けたのはその象徴だ。広告宣伝効果は高く、ロート製薬の販促に大いに役立っているという。
東急不動産がグループで展開する他の施設での、ロート製薬の健康食品の販売やレストラン運営など、次の提携策の検討も進む。三重県ではイオングループや、温泉リゾート運営会社のアクアイグニスなどと組み、日帰り入浴や産直市、薬膳料理などが楽しめる複合施設を2019年に開業する計画もある。
もう一つの柱と見据える再生医療はいずれも研究段階の案件で、事業化したものはない。琉球大学と共同で、ヒトの脂肪由来幹細胞を使った再生医療の基礎研究や臨床研究を進める。2月24日には、京都府木津川市の研究施設「ロートリサーチビレッジ京都」に、細胞の自動培養装置を導入すると発表した。肝硬変や肺線維症などの研究を進めて生産体制を整え、2020年までに医療用医薬品を販売する。
売り上げ規模について山田会長は「今はまだ計算できる段階ではない」としつつも「数十億、数百億円単位で成長してほしい」と期待を込めた。
ロート製薬は海外展開にも磨きをかける。同社の海外事業は戦前、旧満州(現中国東北部)に目薬を輸出した実績に遡る。戦後は米メンソレータムの買収でアジアの拠点を手に入れ、1990年代にはタイ、インドネシア、ベトナムなどに次々と進出。アジア市場の開拓を早くから進めていた。
ケニアにも進出
ベトナムでは目薬やスキンケア用品を売り込んで、現地のニーズを取り込むのに成功。アジアの次は、同様に人口の増加が続くアフリカ市場を視野に入れており、2013年にはケニアにも進出した。ケニアでは特にヘアケア商品の人気が高いという。現在の海外売上高比率は約4割を占めるが、さらに引き上げようとしている。海外の知見を生かすため、外国人研究者の比率を現在の5%から、2020年に20%に引き上げる計画も打ち出した。
事業領域の拡大とグローバル化の加速。急激な環境変化に対応するため、ロート製薬は社員にも一段高いレベルを求める。その動機付けとして、企業の新しいスローガンを制定した。
1月5日、大阪市の本社内にあるイベントホールのロート会館。集まった約600人の社員を前に、新スローガン「NEVER SAY NEVER」が発表された。意味は「不可能なんて、絶対にない」。自分に限界を設けず、挑戦し続けることの大切さを説いたもので、「ネバネバ精神」という略称もつけた。山田会長は、昨年のラグビーワールドカップ(W杯)で強豪南アフリカから歴史的勝利を挙げた日本代表や、年始の箱根駅伝で連覇した青山学院大学を引き合いにして、社員にハッパをかけた。
ロート製薬のスローガンはそれまで、2004年にできた「よろこビックリ誓約会社」だった。顧客に喜びと驚きを与え続けることを誓約(製薬)する会社、という意味を込めたものだ。化粧品事業の拡大などスローガンに即した取り組みを続けてきたが、それでもテレビCMで形作られた「目薬と鳩の会社」という印象をもつ消費者は少なくない。
世界に向かって活躍する社員へ。ロートは社員の健康と働く意欲の向上、そしてスキルアップを目指した取り組みを数多く打ち出している。
昨年末のある平日朝。東京都港区にある東京支社では、始業前に約70人の社員が続々とオフィス中央に集まった。おもむろに始まったのはラジオ体操。社員は一生懸命に手足を伸ばし、跳躍運動も入れながら体をほぐしていた。
ラジオ体操第3も習得
この日に行ったのはラジオ体操第3。第1と第2が一般的だが、大阪本社と東京支社のロート製薬の社員は、第1~第3を週替わりで実施する。社員は難しいラジオ体操第3も習得済み。慣れた様子で体操を終え、仕事を始めた。
ロートでは垂直跳びなどを取り入れた本格的な体力測定を2002年に始め、年1回実施。2014年にはインド出身のジュネジャ・レカ・ラジュ副社長を、社員の健康管理担当のCHO(チーフヘルスオフィサー)に任命した。
収入を伴う外部の副業や、社内での部署の兼務も認めた。4月にも始める。「専門知識や経験はあるが、幅を広げることには消極的なことが多い社員の意識を変える」(山田会長)。勤続3年以上の正社員が対象で、様々な活動を通じてスキルアップを図る。
ロート製薬はこれまで製薬業界の枠にとらわれず、新しい事業領域を次々と開拓し成長してきた。だが海外を見渡すと、化粧品では仏ロレアルや米プロクター・アンド・ギャンブルなど国内勢以上の規模を誇る企業がひしめく。富士フイルムホールディングスが再生医療に力を注ぐなど「ヘルスケア産業は混戦時代に入っている」(山田会長)。
ロート製薬は、大手に比べて規模や資金力では太刀打ちできない。そのため、ライバル企業が手掛けていない事業領域をいち早く開拓する。そして育った事業を自在につなぎ合わせて、ロートなりの新しい事業領域を創造することを模索する。今年はシークワーサーの皮に含まれる成分で、アンチエイジング効果が高いとされるノビレチンのサプリメントを発売する予定だ。
創造の成果を具体的な形として打ち出し続けられれば、全く違った収益モデルになる可能性もある。
山田邦雄会長に聞く
実力を少し超える背伸びを
新しい会社のスローガン「NEVER SAY NEVER」は想定以上のインパクトをもって社員に受け入れられた。もともと大手の製薬会社ではない当社は「なにわの何くそ魂」という精神で仕事をしてきたが、最近はその精神が薄れて、社員が少しおとなしくなってきたと感じることがよくある。
化粧品事業などこれまでの取り組みが成果を上げてきたことに安心し、中途半端な達成感を覚えている社員が多いからだろう。ここでもう一度気合いを入れ直し、社員に挑戦的な意識を植え付けるために、新スローガンを社員主導で考えてもらった。社員には、実力を少し超える水準への背伸びをし続けてもらいたい。
食が意外に伸びる可能性も
食分野に力を注ぐ背景にあるのが、生活の中で、食の働きが低下していることへの危機感だ。日本人の食は便利でおいしく豊かになっているように見えるが、実は若い女性の栄養分は不足しがちだ。消費者が本当に健康になるための食作りに取り組むべきだ。女性の発言力は大きく、当社の女性社員の感性が、事業を広げる上で大いに生きるだろう。化粧品事業がここまで大きくなるとは想定していなかった。食の事業も意外に拡大する可能性はある。
海外展開ではアジアの次の新興市場はアフリカ。人口増が見込めるうえ、地理的にも既に進出しているインドと結び付きが強い。20~30年先には世界の中で重要な地域になり、当社にも大きな希望になるだろう。様々な国にリサーチするなど水面下では動いている。ただ日本とは文化が異なり、現地の人たちを巻き込まないと先に進まない。試行錯誤しながら事業化への道をみつけていく。
当社には常に新しいものに取り組む社風がある。一つひとつの事業はガリバー企業のような強さはないが、大手が手掛けない領域や、今までにない組み合わせをしたたかに結び付けていく。分野と分野の隙間をつなぐところにこそ、我々の出番がある。
最近の株式相場など経済の不安定さを考えると、(創業の精神など)経営に一本筋を通すことは大事だ。市場で株を買う投資家の意見が全てとなったら、会社は正しい方向に進むだろうか。将来のロート製薬は創業家が前に出て引っ張る体制ではないかもしれないが、何らかの形で経営に関わり続ける可能性はあるだろう。(談)
(日経ビジネス2016年3月14日号より転載)
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