設立から60年がたち、カリスマだった創業4兄弟がついに経営から退いた。一時は主力だったデジカメから撤退するなど、強い逆風が吹く中で「第二の創業」に挑む。もう一度「驚きのある製品」を生み出すため、あの手この手で社員が考える組織に変えようとしている。

(日経ビジネス2018年10月29日号より転載)

<span class="fontBold">世界で販売する関数電卓は、アラビア語表示などに対応。現地化を進めている</span>(写真=電卓:スタジオキャスパー)
世界で販売する関数電卓は、アラビア語表示などに対応。現地化を進めている(写真=電卓:スタジオキャスパー)

 「計算は関数電卓に任せ、授業では生徒自身が考える力を養いませんか」

 カシオ計算機は18年10月、フィリピン各地の中学校や高校への“ローラー作戦”を開始した。現地のディーラーと提携し、関数電卓と教本などを組み合わせた「クラスルームキット」を格安で販売。まずは教師に使ってもらう。

 関数電卓はその名の通り、複雑な関数を計算したり、グラフを液晶画面に表示したりできる高機能電卓だ。日本の理系大学を卒業した読者はご存じだろうが、フィリピンの教師にとってはなじみが薄い。安くても1000円以上と現地では値が張り、使いこなせる人も周囲にほとんどいないからだ。

 この状況は、カシオにとっては「ブルーオーシャン」であり、力を入れて開拓すべき市場。教師が有用性を認め、関数電卓を使った授業をすることになれば、膨大な市場が立ち上がる可能性があるからだ。ベトナムでは2001年、公立学校への進学試験で関数電卓の使用が認められ、教育カリキュラムに組み込まれた。生徒が特定の学年になったら「毎年必ず購入する」(太田伸司執行役員)ことで、年間120万台が確実に売れるようになった。この成功パターンを再現しようというわけだ。

 カシオは年間2500万台の関数電卓を販売する世界最大手。年5~10%で売り上げを伸ばし続け、電卓事業全体の利益率は17%に達する。原動力が「GAKUHAN」と名付けられた草の根の営業活動だ。語源は日本語の「学販」。樫尾和宏社長が時計とともに成長の柱と位置づける、教育事業の切り札だ。

 だがこれまでは、真の実力を発揮できていたとは言いがたい。デジタルカメラなど派手な新商品を好んだ樫尾和雄前会長は、安定収益をもたらすが、地味な電卓事業への関心はそれほど強くなかった。各国の代理店や法人はそれぞれGAKUHAN活動を推進。担当者の熱意によって差が出たり、近隣国でのノウハウを共有できないなど「強みを十分に生かし切れていない」(和宏社長)状況が放置されていた。

 15年にトップの座に就くとすぐ、和宏社長はGAKUHAN活動のテコ入れに乗り出した。日本に「学販企画室」を設置し、「専任担当者が各国のノウハウを体系化したり、共有化するサポートを始めた」(星登室長)。冒頭のフィリピンの事例は、マレーシアの担当者が教育出版社と組んで学校訪問を効率化した体験を応用したものだ。

バラバラだった組織

革新的な製品を生み出してきた
●カシオ計算機の代表的な商品と事業の参入・撤退時期
革新的な製品を生み出してきた<br /><small>●カシオ計算機の代表的な商品と事業の参入・撤退時期</small>
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 1957年に樫尾家の4兄弟が設立したカシオ計算機が転機を迎えている。18年6月18日、4兄弟の三男で30年間にわたって社長・会長を務めた和雄氏が亡くなった。経営を引き継いだのは長男の和宏社長。設立から60年を経て、ついに名実ともに世代交代となった。

 カード型電卓、防水機能付き携帯電話、G-SHOCK……。カシオはユニークな商品を生み出し、新たな市場を開拓することで成長してきた。だが、和宏社長が受け継いだカシオは既に“還暦”を迎え、様々な場所に痛みを抱えるようになっていた。95年に世界初の液晶画面付き製品を投入し、市場を切り開いたはずのコンパクトデジカメは赤字に転落。18年5月には撤退を余儀なくされた。ピーク時に6000億円を超えていた連結売上高はここ数年、3000億円台で推移する。カシオらしい新商品を生み出せていないことから、業績は時計頼みの傾向が強まっている。

デジカメでピークを迎えた
●カシオ計算機の業績推移
デジカメでピークを迎えた<br /><small>●カシオ計算機の業績推移</small>
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<bold>時計が大黒柱</bold><br /><small>●カシオ計算機の売り上げ構成 (2018年3月期)</small>
時計が大黒柱
●カシオ計算機の売り上げ構成 (2018年3月期)

 和宏社長の目には、その原因が見えていた。長年にわたって4兄弟という「カリスマ」が君臨したカシオでは、トップダウンの傾向が強い。上意下達の縦割りが強化され、社員一人ひとりが会社全体を見て自分の頭で考える力を失ってしまったのだ。

 ベースにあったのは、長年続いてきた商品ごとの事業部制だ。事業部は、商品企画から開発、生産まで様々な権限と機能を持っていた。事業部をまたいだ技術者の異動はほとんどなく、カメラはカメラだけ、楽器は楽器だけをひたすら手掛ける「部分最適がはびこっていた」(和宏社長)。

連写機能を医療向けに活用

 硬直的な組織を打破し、カシオが持つ様々な技術資産と人材を融合させれば、新しい何かが必ず生まれるはずだ──。その確信を和宏社長に持たせているのが、2019年春にも発売する医療用カメラと、画像解析サービスだ。

<span class="fontBold">皮膚科医向けに開発したカメラは来春にも発売</span>
皮膚科医向けに開発したカメラは来春にも発売

 「カシャ」。皮膚表面のほくろにレンズを当ててシャッターを一度押すだけで、隠れたシミを見つけ出す紫外線画像など、3パターンの写真が一気に撮れる。忙しい皮膚科医が患部を撮影する際に、モードを何度も手動で変えずに済むよう工夫した医療用カメラは、コンパクトデジカメ向けに開発した連写機能を転用している。

 19年春のカメラ発売に先駆けて公開した画像解析ツールは、血管を強調するなどして皮膚がんを診断しやすくする機能を搭載している。もともと、スナップ写真などの画像を水彩画調などに変換して遊ぶ技術を活用したものだ。

 開発の中心人物である北條芳治DC企画推進部部長は、縦割り色が強かったカシオにおいては異色の経歴の持ち主だ。カメラの実装設計やレンズ開発のほか、楽器、画像変換など、事業部をまたいでキャリアを積んできた。そしてそれが、「社内の知り合いが増えて、医師のニーズを実現するための技術を集めるのに役立った」(北條氏)という。

 カシオは18年4月、大幅に組織を改編した。事業部が抱え込んできた開発機能は、新設した「開発本部」に一本化。優秀なエンジニアが、複数の商品に目配りできる体制に改めた。商品企画と、営業本部の中にあったマーケティング機能は「事業戦略本部」に統合。和宏社長自身が指揮を執り、長期的な商品戦略を練る部署として再編した(下図参照)。様々な技術資産をつぎ込むことによって完成した医療用カメラの事例が、一つの手本となる。

和宏社長は組織改革を進める
●カシオ計算機の組織の変化
和宏社長は組織改革を進める<br /><small>●カシオ計算機の組織の変化</small>
各事業部の権限が大きく、会社全体よりも自部門の効率を重視することも。コストを重視し過ぎたことが生産技術の空洞化と品質問題の原因に
<span class="fontBold">事業戦略本部を新設し、マーケティングと商品企画を移行。品目別の戦略を決める。開発本部と生産本部は協力して技術を横断的に活用する</span>
事業戦略本部を新設し、マーケティングと商品企画を移行。品目別の戦略を決める。開発本部と生産本部は協力して技術を横断的に活用する

 「鍵盤の土台に、カメラが認識できるような穴を作ってもらえませんか」「なるほど、そういうのが必要なんですね」──。東京都羽村市の研究開発拠点では、17年秋から新型電子ピアノの開発設計の担当者と、生産子会社、山形カシオ(山形県東根市)の担当者が打ち合わせを繰り返すようになった。

<span class="fontBold">電子ピアノの新製品は生産部門が要望を出し、作りやすい設計に</span>(写真=向田 幸二)
電子ピアノの新製品は生産部門が要望を出し、作りやすい設計に(写真=向田 幸二)

 カシオは、これまで全て手作業だったピアノの黒鍵と白鍵を土台に取り付ける工程を一気に自動化するつもりだ。それに向け、取り付ける位置を生産ラインのカメラで認識するための目印など、生産側から出た要望を設計に盛り込んだ。この鍵盤自動生産プロセスは18年11月から中国の自社工場で開始。生産スピードが1.5倍、必要な人員が半分になる見込みだ。

 「生産をEMS(電子機器の受託製造サービス)に頼り過ぎた結果、技術の空洞化と品質問題が起きた」。17年10月に新設された生産本部を率いる矢澤篤志執行役員は振り返る。コスト削減を重視した結果、05~10年のカシオ製品のEMS比率(金額ベース)は7割に上った。そのひずみとして楽器事業で16年、EMSに委託した製品の品質が基準に満たず、納期遅延が頻発した。

 実はこれも、強過ぎる事業部の弊害だった。「どこで製品を作るかを決める権限は、全て事業部が持っていた」(矢澤執行役員)からだ。新製品を設計して生産に移る時、事業部はカシオ社内の生産拠点と社外のEMSをてんびんにかける。全社よりむしろ部門の利益を優先する事業部は、コスト削減に秀でたEMSの採用に流れがち。結果、EMS比率はどんどん上がっていった。

 EMSへの集中と自社拠点の縮小は、品質問題を起こすだけでなく、「ユニークな商品を出す」というカシオの開発の力も落としてしまう。そこで和宏社長は生産本部の新設と同時に、それまで時計とプロジェクターなど一部の製品しか作っていなかった山形カシオを“格上げ”した。全品目の「マザー工場」に位置づけて品目ごとの担当者を置き、開発との連携を強化させた。

<span class="fontBold">山形カシオに18年8月、月産10万個のデジタル腕時計自動生産ラインを導入</span>(写真=向田 幸二)
山形カシオに18年8月、月産10万個のデジタル腕時計自動生産ラインを導入(写真=向田 幸二)

 「開発部門と連携して、製品を自動化ラインに適した設計に変えてもらう。そうすれば、EMSと遜色ないコストで高品質の製品を作れるはずだ」(山形カシオの福士卓社長)。前述の電子ピアノの新製品は、新体制が生んだ第一号だ。17年秋を羽村市で過ごした山形カシオの担当者たちは、18年秋、中国工場で技術指導を繰り返した。

「自分で考える」組織に

 腕時計を家電量販店で売るなどのひらめきで、新たな販路を開拓してきた「カリスマ」の和雄前会長は、誰もが認めるリーダーシップを発揮していた。方向性を示して「やり方は任せてくれる面もあった」(矢澤執行役員)が、ワンマン経営とみられる言動も多かった。

 一部の管理職は和雄前会長のトップダウンに頼り切り、ともすれば「無思考」に陥っていた。「亡くなって3カ月以上たっているのに、判断基準を尋ねると『会長が言っていたから』と平気で言う幹部がいる」。和宏社長は苦笑する。

 自分たちで考える組織にする──。和宏社長は、「会長」の言葉を引き合いに出されるたびに「自分で考えなさい」と諭している。組織を大きく変えたのも、社員一人ひとりが自分の頭で考え、動くようにするためだ。

<span class="fontBold">45年続けたCESへの出展をやめることを決めた</span>
45年続けたCESへの出展をやめることを決めた

 4兄弟時代から続く伝統の破壊もいとわない。カシオは19年、45年間続けていた米国の家電見本市「CES」への出展を取りやめる。年初に新戦略を披露する檜舞台として和雄前会長がこだわってきたが、今のカシオにとって実利に乏しいからだ。

 和宏社長は、「時計と関数電卓で稼げている間に組織を整え、次の柱を作る」と話す。実際、売り上げの半分以上を占める時計事業は今も好調だ。そして組織改革こそが、時計事業の収益力を押し上げると考える。

 「開発部門を一体化したことで、時計以外の仕事をしていた技術者を、スマートウオッチの開発に参加させられるようになった」。時計事業の統括と開発本部長を兼務する増田裕一専務はこう語る。

 カシオは今、G-SHOCKの耐久性を持つスマートウオッチの開発を進める。外装や部品の細部までこだわり、落としても壊れないG-SHOCKに、通信などの機能を載せるのは簡単ではない。時計の専門家だけでなく、カシオの総力を挙げて開発する必要がある。

 創業4兄弟がトップに君臨し続けた結果、カリスマなしでは機能しなくなっていたカシオ。今後も驚きのある製品を作り続けるために、和宏社長はあらゆる社員の行動原理を抜本的に変えようとしている。

INTERVIEW
樫尾和宏社長に聞く
社員全員で「第二の創業」を実現する
(写真=村田 和聡)
(写真=村田 和聡)

 カシオ計算機は2017年6月に設立60周年を迎えました。これから先の60年を新たに作っていくために、今のカシオを自分なりに見直し、17年から本腰を入れて改革に乗り出しました。

 カシオは電卓から始まり、電子楽器やデジタルカメラ、G-SHOCKなど世の中に存在しなかった全く新しい商品を作り、流通に乗せて、市場を創出してきました。それが会社の文化として定着しています。

 ですが、時代は変わっています。「すごいモノ」を作って、流通にばらまけば売れる時代ではありません。今ある事業はこのままで勝っていけるのか。勝てない事業は、やり方を変える必要があるんじゃないかと検証しました。その結果、コンパクトデジカメだけは展望が描けなかった。それで18年5月に撤退しました。

 コンパクトデジカメ市場はほぼ消滅しましたが、車載用や街頭などでカメラの台数自体は増えています。実は撤退を決めた後、カシオのカメラや画像変換技術を使いたいという協業の話がどんどん入ってきているんです。その一例として、中国の華為技術(ファーウェイ)のスマートフォンに、当社の画像変換技術が入るようになりました。

 ​課題は事業だけではありません。それほど大きな企業でないにもかかわらず、「大企業病」に陥っていた点も見直す必要があります。事業部の縦割りが強く、全社の力を生かせていませんでした。

 開発本部を作ることで、技術の横展開を活発化させ、そこから全く新しい製品が出ることを期待しています。生産本部の設置により、電子ピアノ生産の自動化など、徐々に結果が出てきています。

 今まで採算意識がほとんどなかった本社スタッフや営業部門にも、全体の効率化を考えて自ら変わるよう求めています。惰性のように続けていた「CES」への出展をやめたのは遅いくらい。コスト削減が目的ではなく、もっと効果が見込める分野に経費を最適化しなければなりません。

 社長に就任して感じたのは、会社全体を見ているのが、私しかいないということです。創業4兄弟がいた時は、研究部門への目くばせなど各自が役割を分担していましたが、これからは違います。「第二の創業」ともいえる今、社員全員が会社全体を見られるようにして、創業家出身の私が社長を退いても、会社が回る仕組みを整える。これが自分の仕事です。(談)

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