関西ローカルながら、不思議な人気を持つテレビ番組「~オトナ度ちょい増しTV~おとな会」。そこでは、独自の手法で成功した会社などが取り上げられています。関西ならではの着眼点、ど根性、そしてユーモア―――、そのエッセンスを伝えていきます。第8回は、ソフトクリームのシェアナンバーワン、「日世」が登場します(前回の記事はこちらをご覧ください)。
暑中お見舞い申し上げます。毎日、まさに「溶けそう」な気温が続いておりますが、皆さんは「夏バテ」などされていませんでしょうか?
こんにちは! 大阪はMBS(毎日放送)のアナウンサー上泉雄一です。
私は今「~オトナ度ちょい増しTV~おとな会」(水曜深夜0時49分から放送・関西ローカル)という番組の司会をしております。
さて、みなさん!突然ですが「ソフトクリーム」って普段はお召し上がりになりますか?筆者も実は、2年前の夏休みに行った家族旅行の際に立ち寄ったサービスエリアで食べたことを思い出せるくらいで、滅多に食べませんねぇ。「ソフトクリーム」ってどうしても「お子ちゃま」の食べ物のイメージで、自分が食べている姿を想像すると照れてしまいます。また「アイスクリーム」はコンビニなどで手軽に買えたりしますが、「ソフトクリーム」となると購入にも少しハードルが上がりますよね。
そのソフトクリームが今、さらに進化を続けているのはご存知ですか?
ソフトクリームは、日本で年間約5億本食べられている(すべてコーン盛に換算した数字)そうですが、その半分以上を生産し、ソフトクリーム業界全体で1300億円のマーケットのうち、ナンバー1のシェアを誇る会社が大阪府茨木市にあるんです。それが、日世(にっせい)株式会社という会社です。
「ニックン」「セイチャン」という男の子と女の子のキャラクターはご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
日本にソフトクリームを初めて輸入し、業界をリードし続ける日世の「おとなメソッド」を見ていきましょう。
【メソッド2】ソフトの可能性を広げた(???)の開発
【メソッド3】(???)で新たな価値を見出した
【メソッド4】おいしさと(???)を同時に提供
【メソッド1】全国に広めるため(???)に踏み切った
1947年に貿易会社として日世を立ち上げたのが創業者の田中穣治さん。
田中さんは1951年、当時アメリカで流行していたソフトクリームにいち早く目を付けたのです。アメリカからソフトクリームの製造機であるフリーザーを輸入し、日本の企業として初めてソフトクリームを販売しました。
日世の歴史をよく知るマーケティング部執行役員の茨田貢司(ばらた・こうじ)さんは言います。「ソフトクリームが日本に入ってきたとき、正確には『ソフトサーブアイスクリーム』といって、『柔らかい状態で提供するアイスクリーム』と呼ばれていたのですが、日本人に分かりやすいように紹介しよう!と和製英語で『ソフトクリーム』と命名したんです」。へぇ~~~! ソフトクリームの名付け親は田中さんだったんですね。
「なんとかこの美味しさをもっと安く提供できないか?」
そして、その年の9月。早速、大阪の阪急百貨店や大丸百貨店の食堂でソフトクリームの販売を開始しました。あんパンが10円、かけそば15円の時代にお目見えしたソフトクリームは1本なんと50円! 当時、材料から製造機まで全てが輸入品だったため、かなりの高級品でした。
また、この輸入品というのが厄介で、輸入した「コーン」は輸送の間に、割れがあったり、湿っていたりと不良品が多く、安定した供給がままなりませんでした。「なんとかこの美味しさをもっと安く提供できないか?」そこで日世は思い切ります。
そうです、コーンの自社生産に踏み切ったのです。
茨田さんは「こうなると自分たちで作るしかない。とはいえ、当時はかなりの苦労があったと聞いています」。そもそも貿易会社として「商品を買い付け販売するという仕事」をしていた会社が「原材料を仕入れ生産し販売する」というメーカーとしての仕事にイチから取り組むのはかなり大変だったそうですが、この苦労の甲斐あって、ようやくコーンの安定した供給ができるようになりました。
日世の挑戦はこれで終わりません。その10年後には「フリーザー」(ソフトクリームの製造機)を、更に3年後には「ミックス」(ソフトクリームの原料)の自社生産を開始します。これでソフトクリームに必要なもの全てを自社で賄うことができました。これにより値段を安く提供できるようになり、ソフトクリームが少しずつ世に広まることになります。すべては「ソフトクリームの美味しさを伝えたい!」という熱意からでした。
そして1970年、自社生産のソフトクリームをさらに世に広めるチャンスが訪れます。そう「大阪万博」です。日世はこのタイミングで勝負に出て、会場に200台ものフリーザーを設置しました。自社生産の高額なフリーザーを200台用意するというのはかなりの決断だったそうです。結果は、……大当たり! 期間中、歩きながら「ソフトクリーム」を食べている方の姿をあちらこちらに見かけ、万博に訪れた6400万人の方にその存在を宣伝することができたのです。改めて、日世の熱意、恐るべしですね。
【メソッド1】全国に広めるため( 自社生産 )に踏み切った
【メソッド2】(???)で新たな価値を見出した
普段ソフトクリームを食べない方でも、行楽地や高速道路のサービスエリアなどで、各地の名産を使った「ご当地ソフト」を見かけたことはありませんか? 東京の「芋ようかん」や徳島の「鳴門金時」など間違いなく味の想像ができるモノや福井の「いかすみ」や岩手の「ほうれん草」、高知の「薔薇」など「その素材がソフトクリームにできるんですか?」と興味が沸くモノ。さらに香川の「さぬきワイン」などお酒に至るまで、見た目も美しく、名産を手軽に味わえるご当地ソフトは各地で大人気です。そして、ナント! このご当地ソフトを世に広めたのも日世なんです。これまで日世が手がけたご当地ソフトはその数800種類以上!
ソフトクリームだってカラフルにしたい
そもそもこの「ご当地ソフト」の発想は、日世の営業部社員の「白いソフトクリームをもっとカラフルにできないか?」との想いからでした。そして「観光地の名物として地域の特産物を使えば色鮮やかな美味しいソフトクリームが作れるはず!」と、まずは日世にあるフルーツの加工工場で、地域の名産フルーツを使ったソフトクリーム作りにかかりました。そこで最初に完成したのが山梨の「巨峰ソフト」でした。これが、美味しく、見た目にも淡い紫が涼しげで好評でした。
こうしてフルーツを使ったご当地ソフトの開発に目処が立ち、日世が力を入れようとしたとき、ちょうど同じタイミングで全国に続々と「道の駅」が制定され始めました。これをきっかけに日世と全国各地の名物を販売するお店が連携し、大豆からお酒に至るまでその土地の名産をソフトクリームにする「ご当地ソフト」へと展開して行ったのです。元は「白いソフトクリーム」が各地の名産を使用することで、その素材の持つ色鮮やかなソフトクリームへと生まれ変わり、見た目も華やかになりました。
多い時には1日20食以上のご当地ソフトを試食し、これまでに500以上のデザートを開発したデザートプランナーの樋口清志さんは「苦労も多いですが、美味しいソフトクリームを召し上がっていただいて、たくさんの笑顔になってもらうのはやり甲斐を感じます」と笑顔でおっしゃいます。
その樋口さんの自信作のひとつが兵庫県の「丹波黒豆茶ソフト」です。お茶は全国に名産が多く「ソフトにして欲しい!」との依頼が多いそうですが、おせち料理などにも使われる丹波の黒豆をお茶にした「黒豆茶」は、その香ばしさもあって人気のお茶。それをソフトクリームにすると、黒豆のつぶつぶ感と香ばしさ、そこにミルクのすっきり感が合わさり絶妙の味わいなんだそうです。もちろん丹波黒豆茶ソフトも兵庫県は丹波までお越しいただかなければ召し上がっていただくことができません。茨田さんは「旅先でしか食べられない。またご当地ソフトを食べることそのものを思い出にしていただきたいんです」と話します。
しかし、「大阪万博」や「道の駅の設置」など、世の中の大きな動きに合わせてソフトクリームが発展していったなんて、驚きですね!
【メソッド2】( ご当地ソフト )で新たな価値を見出した
それでは次のメソッドを見てみましょう。
【メソッド3】ソフトの可能性を広げた(???)の開発
日世は「コーン」のさらなる開発にも力を入れ、現在は20種類ものコーンを作っています。中でも今、大好評のコーンはクッキーのような焼き菓子を丸めて作られた「ラングドシャコーン」です。そして、コレに合わせるクリームも特別に開発。乳脂肪分を従来の8%から12.5%に大幅にアップさせた濃厚なクリームを使ったのです。サイズも全長16センチほどと大きすぎず、また小さすぎず。完成したのは「日世史上最高級ソフトクリーム」と言われている「クレミア」。お値段は515円と高額です。
この「クレミア」誕生にもきっかけがありました。日世がマーケットリサーチのためお客様にアンケートを取ったとき、ターゲット層の重要な部分を占める20~30代の女性が案外ソフトクリームを食べていなかったことが分かりました。理由は「どこで食べても同じ味」「子どもっぽい感じがする」というもの。
そこで日世は、「この女性たちが食べたくなるソフトクリームを!」と新商品の開発に着手。3年の歳月を費やし、400回以上もの試作を重ねた末、完成させたのです。結果、見事にターゲットに突き刺さり「自分へのごほうび」として働く女性を中心に人気はうなぎ登り! 2013年の発売から、現在は27倍の売り上げを記録しています。
あまりにも美味しそうな映像に、筆者もどうしても食べたくなり大阪・梅田にある阪急三番街の中の日世直営店「スウェーデン」に行って食べてきました。2年ぶりに注文するソフトクリームに照れはありましたが、一口食べた瞬間、そんなものが全て吹っ飛びました! 確かに濃厚なクリーム、しかし決してしつこくなく、いつまでも余韻に残る甘さを感じたまま、合わせて食べるラングドシャコーンの絶妙な食感と風味は、これまでのソフトクリームになかった感覚です。515円、いやそれ以上の値打ちを十分味わえました。店内ではこの「クレミア」を注文される方が多くいらっしゃって、改めてその人気を実感しました。コーンの開発に力を入れることによってできたソフトクリーム。今後も新たな可能性はまだまだ広がりそうです。
【メソッド3】ソフトの可能性を広げた( コーン )の開発
では、最後のメソッドを見ましょう。
【メソッド4】おいしさと(???)を同時に提供
日世は自社のソフトクリームを扱うお店にあるお願いをしています。それは、お客さんを笑顔にするための対応なのですが、いったい何だと思いますか?
皆さんも幼い頃にご経験ありませんか。ソフトクリームを買ってもらった瞬間、嬉しくて勢い余ってクリームを落としてしまったこと。ありますよね? あの時の気持ちといえば、あんなに悲しい事はありません。そこで……。
子供がソフトクリームを落としてしまったら
もうお分かりでしょうか。日世が取扱店に対してお願いしているのは「もし小さなお子様がソフトクリームを落としてしまったら、無償で交換する」ということなのです。
これも「ソフトクリームは楽しい思い出の中にあってほしい。悲しい思い出として残ってほしくない」という日世のポリシーによるものです。小さなお子さんにしてみれば、手にしたばかりのソフトが落ちてしまうのは、この世の終わりに等しいショッキングな出来事です。それを笑顔で交換してくれるなんて、こんなに嬉しいことはありません。
【メソッド4】おいしさと( 楽しい思い出 )を同時に提供
では、ここで「日世」の成功メソッドをまとめてみましょう。
【メソッド2】( ご当地ソフト )で新たな価値を見出した
【メソッド3】ソフトの可能性を広げた( コーン )の開発
【メソッド4】おいしさと( 楽しい思い出 )を同時に提供
毎回番組では、取材の最後に、「おとなフィロソフィ」と名づけて、経営者やリーダーに企業理念や経営哲学を端的に語ってもらっています。
日本人に「ソフトクリーム」を浸透させてきた日世。
その哲学「おとなフィロソフィ」を伺いました。
茨田さんは「ただ召し上がっていただくだけでなく、どこかに行って誰かと食べた。その思い出の中にソフトクリームがある。その空間をお届けしたいんです」とおっしゃいました。
時代の発展と足並みをそろえるように進化してきたソフトクリームというデザート。
「食」の中でもデザートというのはお腹を満たすというより、+αの要素がありますよね。気持ちに余裕がないとその要素は楽しめませんし、むしろ、デザートを食べることで心に余裕が生まれることもあります。
想像してみてください。例えば、お父さん、お母さん、お子さん家族みんなでソフトクリームを食べている家族の姿を。きっとそこには全員の笑顔があるはずです。
これから、行楽地や帰省先のサービスエリアでご当地ソフトを見かけることがあると思います。特に男性読者の皆さま、よろしければ家族みんなで、ご友人みんなで、是非照れずに最高の笑顔でソフトクリームをお召し上がりください。きっとこの夏一番の思い出になるかもしれませんよ。何よりそれが日世の一番の想いなのですから。
(今回の記事は「~オトナ度ちょい増しTV~おとな会」2016年6月1日放送分を元に構成しました。編集:日経トップリーダー)
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