KCNA/UPI/アフロ
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(前回から読む

清野:「北朝鮮クライシスって、何?」という、私のど素人質問からはじまった前回。それを考えるには、広い視野をもって危機のコンテクストを見極めないといけない、と教えていただきました。

手嶋:そうですね。

清野:その広い視野とは、具体的にはなにか。北朝鮮クライシスの背後にある、地政学的な見地を含めた国際情勢、安全保障システムの仕組みを知る、ということだと思います。

 それで今回、ぜひテキストにしたいのが、手嶋さんの著作『ウルトラ・ダラー』です。この本は2006年、いまから12年ほど前に新潮社から刊行された小説で、アイルランドのダブリンで発見された精巧な偽ドル札を発端にしたサスペンスが展開していきます。

 既に読まれていた方は、「北朝鮮危機」に、「なんだこれは」と、驚いていたのではないでしょうか。そして今読むと驚くこと請け合いです。この小説には、北朝鮮危機について、黙示録的な記述が随所にあります。

 たとえば……

  • 「北の独裁国家が精巧な偽ドル紙幣を、何に使おうとしているのでしょうか」という疑問に対して、米シークレットサービス主任捜査官であるオリアナ・ファルコーネの返事。
  •   ↓
  • 「核弾頭を運ぶ長距離ミサイル。そう、人類を破滅に導きかねない大量破壊兵器を手にする資金に充てようとしている。(中略)北朝鮮が手にした核ミサイルの刃は、やがてここワシントンにも向けられることになりましょう」(文庫版130ページ)
  • 「アメリカの同時多発テロ事件は、あらゆる地域に深刻な影を落としたが、なかでも東アジアには地殻変動をもたらしたといってもいい。(対アフガン、対イラク戦争に突っ込んでいった)アメリカは、東アジア外交に取り組む余力を失ってしまった」(文庫版169ページ)
  • 「北朝鮮は、核弾頭を確実に運ぶことができる弾道ミサイルをなかなか開発できない行き詰まりを、巡航ミサイルの導入で打開しようとした。(中略)核弾頭がこの巡航ミサイルに搭載されれば、北朝鮮の脅威は飛躍的に高まろう」(文庫版316ページ)

<b>手嶋 龍一(てしま・りゅういち)</b><br />NHKの政治部記者として首相官邸、外務省、自民党を担当。ワシントン特派員となり、冷戦の終焉、湾岸戦争を取材。ハーバード大学CFIA・国際問題研究所に招聘された後、ドイツのボン支局長を経て、ワシントン支局長を8年間務める。2001年9.11の同時多発テロ事件では11日間の昼夜連続の中継放送を担った。2005年NHKから独立し、日本で初めてのインテリジェンス小説『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101381151/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=n094f-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4101381151" target="_blank">ウルトラ・ダラー</a>』(新潮社)を発表。姉妹篇『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103823046/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=n094f-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4103823046" target="_blank">スギハラ・ダラー</a>』と合わせ50万部のベストセラーに。近著に『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4838728964/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=n094f-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4838728964" target="_blank">汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師-インテリジェンス畸人伝</a>』(マガジンハウス)。最新刊は、主要国が少数の政治指導者に強大な決定権を委ねる危うさを警告した『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121506073/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=n094f-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4121506073" target="_blank">独裁の宴-世界の歪みを読み解く</a>』(中公新書ラクレ・佐藤優氏と共著)。現在は、大学や外交研究機関で外交・安全保障を中心に後進の指導に取り組む。
手嶋 龍一(てしま・りゅういち)
NHKの政治部記者として首相官邸、外務省、自民党を担当。ワシントン特派員となり、冷戦の終焉、湾岸戦争を取材。ハーバード大学CFIA・国際問題研究所に招聘された後、ドイツのボン支局長を経て、ワシントン支局長を8年間務める。2001年9.11の同時多発テロ事件では11日間の昼夜連続の中継放送を担った。2005年NHKから独立し、日本で初めてのインテリジェンス小説『ウルトラ・ダラー』(新潮社)を発表。姉妹篇『スギハラ・ダラー』と合わせ50万部のベストセラーに。近著に『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師-インテリジェンス畸人伝』(マガジンハウス)。最新刊は、主要国が少数の政治指導者に強大な決定権を委ねる危うさを警告した『独裁の宴-世界の歪みを読み解く』(中公新書ラクレ・佐藤優氏と共著)。現在は、大学や外交研究機関で外交・安全保障を中心に後進の指導に取り組む。

清野:繰り返しになりますが、手嶋さんがこのベストセラーを上梓されたのは今から12年前。決して昨年ではありません。なぜ、12年前に、これほどまでに「今」を言い当てる小説が書けたのか、それが謎で……。

手嶋:そもそも、インテリジェンス能力とは、近未来をぴたりと言い当てることにあるのですから、特段驚くようなことではありませんよ。当時から、北朝鮮が弾道ミサイルの開発に手を染めていたことは知られていました。しかし、巡航ミサイルにも触手を伸ばしていた事実は、極秘中の極秘でした。ですから、小説にそれが描かれたことに関係者は大きな衝撃を受けたのでしょう。

清野:なぜ手嶋さんは、このような分析ができたのでしょうか。

手嶋:この作品が生まれたのは、21世紀の幕が上がった直後でした。基本的には今もそうですが、当時の日本は巨大な軍備、とりわけ核兵器、長距離ミサイル、空母打撃群を保有していませんでした。

 ただ、今後も日本が主権国家として“鋭い牙”を持たないのなら、ウサギがそうであるように、少なくとも“長い耳”は持っていなければいけません。長い耳をそばだてて、遥か彼方の微かな異変を、他者よりも何層倍の鋭敏さで感じ取り、それが引き起こす危機を予測し、危険を避けなければならない。

清野:そんな高度なことはとてもとても……と、うかがうそばから腰が引けてしまいます。でも、腕力がないなら、それに対抗できる知性なり、知力なり、戦略なりを持たねばならない、ということは分かります。

手嶋:牙を持つか、長い耳を持つか。それはそれぞれの国が決めることです。しかし、今の日本は、そのどちらも持っていない。

清野:やはり、長い耳も持っていない?

手嶋:個人や企業はともかく、国家は持っていません。日本の国家組織に、対外情報機関はないのです。国家としてインテリジェンス・オフィサーを海外に配し、そこから上がってくる情報を精緻に分析し、国の舵取りを委ねられている政治指導者に、誤りなき決断を促す……という機能は、残念ながら日本政府にはありません。

清野:それでやっていけている国は、ほかにもあるのでしょうか。

野暮な説教より、エンタテインメントで書いてみました

手嶋:日本のような経済大国ではちょっと見当たりませんね。ただし、国際社会のコンテクストからいって、21世紀初頭には世界第2位の経済大国だった国家が、牙も耳も持っていないなど、信じられますか。そういう国は、いずれ巨大な悲劇に見舞われていくのが歴史の習いです。

 しかし、「危機意識を持つべきだ」などと説教しても、野暮なことですので、私は『ウルトラ・ダラー』という「物語」を書いてみたのです。

清野:その「物語」の核心となる設定とプレーヤーたちは、北朝鮮、ウクライナと、十数年後の今、テレビや新聞が報じるニュースそのものですが。

手嶋:「あっ」と思われるくらい言い当てて見せなければ、誰も聞く耳は持ってくれませんから。予想のちっとも当たらない競馬新聞になってしまいます。

清野:あの、手嶋さんは、どこからこれらの情報を得られたんですか?

手嶋:……。

清野:これ、聞いてはいけないことでしょうか?

手嶋:普通は聞きません(笑)。情報源の秘匿は、我々の命ですからね。

清野:いや、分かりますが、少しだけでもヒントをください。

手嶋:インテリジェンスの機微に触れるご質問で、困ったな。回り道をしますが、やや別の角度から説明をします。

手嶋:『ウルトラ・ダラー』がベストセラーとなった同じころに、高い塀をめぐらした"大学院"から、佐藤優さんが『国家の罠』を引っ提げて"降臨"しました。

清野:2006年から08年ごろのことですね。

手嶋:佐藤さんはロシア、私は米国と、それぞれ対立する陣営に連なっていましたから、新潮社のロビーで遭遇した際には、側にいた海千山千ばかりの矢来町の編集者もギクリとしていましたよ。

 その「異星人」を、アバンギャルドな出版人、見城徹さん(幻冬舎社長)が見逃すはずがありません。「幻冬舎新書の創刊を決めました。ついては、NHKに関するインサイドストーリーを描いてもらえませんか?」と、僕のところにいらっしゃったのです。

清野:手嶋さんはNHKものも書かれていましたか?

手嶋:いえ、「NHKの内幕などまったく興味がありません」と、即座にお断りしました。しかし、むろん、あの見城さんが、その程度で引き下がるわけはありませんので、こちらも戦略を練って、かの見城氏をもってしても、絶対に受け入れられない三連打の条件を提示しました。

清野:プチかぐや姫ですね。その三つの条件なるものとは?

売れない条件三連発

手嶋:一つは、対談本でいきたい、と。当時の出版界では対談本は売れない、というのが常識でした。何しろ、対談本が売れたのは、岡潔と小林秀雄の『対話 人間の建設』が最後といわれていましたからね。

清野:若い人にはまったく分からないお名前でしょうけれども、岡潔は世界的な数学者、小林秀雄はいわずと知れた文芸界の巨人。初版が1965年ですから、なんと半世紀以上も前の話ですね。

手嶋:二つめは当時、刑事被告人であり、メディアの敵だった「佐藤優さん」を対論の相手としたい、と。

清野:して最後は?

手嶋:三つめが、本のタイトルを「インテリジェンス」としたい、と。「インテリジェンス」という言葉は、出版界に市民権を有さざることはなはだしい、まるで禁句のようなものでしたから。これなら、さしもの見城さんも150%断るはず、と圧倒的な自信がありました。ところが見城氏は、この条件を丸呑みしてしまったんです。

清野:ほかならぬ手嶋さん側に、インテリジェンスが足りていないじゃないですか。

手嶋:はい、欠けていたのです(笑)。

清野:それが、『インテリジェンス 武器なき戦争』(2006年)ですね。

手嶋:さらに、ここでも私のインテリジェンスには傷があった、ということなのですが、その対談本が売れたのです。今では「インテリジェンス」と銘打った本がおびただしく市場にあふれていますが、潜在的な読者がいたわけです。

清野:面白いエピソードですが、手嶋さんは、どこから精度の高い情報を入手しているのかな~? というのが私の質問でした。

手嶋:これまた清野さんに「はぐらかすな」と、叱られそうですが、やはり、政治情報都市ワシントンに赴任した経緯から説明しなければ、と思います。

 以前に『日経ビジネスオンライン』でお話した通り(「それ、手嶋龍一じゃなくて寺島実郎さんです」)、私は1980年代後半に、永田町の政局取材と縁を切って、ワシントン特派員として米国に赴任します。

清野:補足しますと、手嶋さんは74年にNHKに入局されて、外務省や首相官邸などの取材を担当され、87年にワシントン支局に赴任。91年までの4年間、ワシントン特派員を務められたんですね。

手嶋:ワシントンという街は、ニューヨークやパリと違い、ろくなレストランもない。その点では実に残念な街なのですが、その一方で報道のメジャーリーグらしく、一級のプレーヤーが勢揃いして、実に刺激的な仕事をしていました。

 メジャーリーグ級のジャーナリストだけでなく、真の意味でのパブリック・サーバントや、インテリジェンス・オフィサーが棲みついている、実に懐が深い政治情報都市なのです。まだ30代の若輩だった自分は、「ああ、この街は、こうした人々が動かしているんだなあ」と、一種、啓示の念に打たれました。そんな彼らと仕事をしているうちに、自分の内面にも化学変化が起きたように思います。

清野:91年に日本に戻った手嶋さんは、政治部記者として外交・安全保障を担当し、94年にはハーバード大学の国際問題研究所(CFIA)にシニアフェローとして招聘されます。そして95年に、米国から直にドイツのボン支局長として赴任。97年には、二度目のワシントン支局に赴かれ、2005年まで、実に8年間にわたって同支局長を務められました。

手嶋:私以上に詳しい。追い詰められますね。

清野:ワシントンでは、歴史的な戦争、紛争の取材を手がけられました。

「だって、CIAの人は面白くないんですよ」

手嶋:パナマ侵攻(1989年)、湾岸戦争(1991年)、アフガニスタン戦争(2001年)、さらにイラク戦争(2003年)と、大小のものを含めて十を超える「超大国の戦争」と付き合いました。

清野:これぞ、まさしく同時代史ではないですか。

手嶋:でも、その取材では苦労しました。常の取材なら、何とかこなせるのですが、超大国が力の発動に踏み切ろうと、密かに歩み出そうとする時には、上質なインテリジェンスが必要になります。ということは、そのコミュニティに棲む人々の情報力に頼らざるを得ません。

清野:そんな簡単に頼れるのですか?

手嶋:大統領が作戦当局に侵攻計画の策定を極秘裏に命じる。それが簡単に漏れるはずはありません。でも、岩の割れ目から少しずつ水がにじみ出るように情報は伝わっていきます。国家の究極の武力行使とはそういうものです。戦争マシーンがそっと回り始める瞬間を感じ取る。そのためには、こちらも真剣勝負でインテリジェンスの感度を磨かざるを得ない。

清野:『ウルトラ・ダラー』では、英国人のBBCのジャーナリストにしてインテリジェンス・オフィサーの、スティーブン・ブラッドレーという人物を主人公にしています。日本人ではお話にならない、ということはよく分かりますが、これはなぜ、アメリカ人じゃなかったのでしょうか。

手嶋:なかなか鋭いご指摘です。これを言ってはおしまいなのですが、米国のインテリジェンスってあまり面白くないんですよ。

清野:意外。イメージとしては、冒険や陰謀が満載でワクワクなワールドだと思っていました。

手嶋:いえ、面白くないことについては、CIAがその筆頭です。

清野:へええ。それまた、どうしてですか?

手嶋:CIAは巨大な官僚組織であるため、情報を取ってくる人と、分析する人が截然と分かれているのです。情報を取ってきた人は、自分の情報がどのように加工され――あの世界では「加工」と表現されるのですが、必ずしもねじ曲げられるという意味ではありません――分析が加えられ、他の情報と突き合わせされ、質の高いインテリジェンスに紡がれていくのか……そのプロセスが、わが手から遠く離れて見えないのです。別な表現をすれば、情報サイクルのパーツの歯車にすぎません。

清野:という情報をどのようにして知るのでしょうか?

手嶋:いやいや、なかなか追及をあきらめてくれませんね。ワシントン郊外の我が家の近所には、多くのCIA職員が住んでいましたからね。みな「我は歯車なり」という表情をしていました。そんな人々を主人公にしても読者は興味を持ってくれないでしょう。

清野:何となーく、はぐらかされている感じもしますが、まあ、先に行きましょう。

手嶋:それに比べて、英国のインテリジェンス・オフィサーは、自分が情報を取り、それを加工して報告書に取りまとめ、次なるオペレーションにつなげていきます。一人の人間がプロセスを見渡しているのですから、とても人間的なのです。

清野:英国はワンオペである、と。

手嶋:物語を描く場合、インテリジェンスのパーツを書いても面白くありません。CIAという組織は巨大に過ぎて、ドラマ性に欠ける。一方で、英国のインテリジェンス・オフィサーは、エキセントリックで、私の趣味にぴったりなのです。

清野:なるほど。

超大国の「戦略正面」

手嶋:それはさておき、土地勘のない世界をいくら眺めても事態の本質にはいたりません。私の場合は、ワシントンを拠点に「東アジア」と「中東」を定点観測するように努めてきました。この二つの地域こそ、超大国アメリカにとって、最も重要な「戦略正面」だからです。

清野:「戦略正面」という言葉は、どういう意味を持つ言葉なのでしょうか。

手嶋:日本と米国との関係、そして足元の現代史を知るために、重要な言葉です。

清野:もちろん漢字から意味は推測できますが、一般にはほとんど馴染みがないのではないかと思います。私は知りませんでした。

手嶋:「戦略正面」とは、「その国にとって死活的に重要な戦略地域」のことです。冷戦期、西側同盟の盟主だった米国にとって、ソ連との正面衝突が起きる危険が最も高い地域は、いうまでもなく欧州でした。

 これが米国の戦略正面の本丸で、中東戦略の比重は非常に大きかった。ただし、冷戦終結後の20年の間に、米国は二つの戦略正面の一方に重心を移しすぎて、大きな誤りを犯してしまったのです。

清野:どういう誤りなんですか。

手嶋:米国は2001年に9.11同時多発テロ事件に見舞われ、これを機に、外交上、軍事上の持てるすべての力を中東地域に注いでしまった。

清野:9.11事件の翌月のアフガニスタン戦争、そして2003年のイラク戦争ですね。

手嶋:注力の際たるものが、その二つです。米国は本来、二つの戦略正面に等しく抑止を効かせておくべきだったのですが、中東に重心を傾けすぎた結果、東アジアに巨大な戦略上の空白ができてしまった。

清野:そういうことだったんですね。

技術力軽視とネオコンが作り出した空白

手嶋:その空白を埋めることになったのは、新興の大国、中国であり、また、米国の抑止力の弱まりを巧みに衝いて、核・ミサイルの開発にひた走った北朝鮮でした。

清野:米国が作り出した力の空白が、重大な事態を招いた。そのことは今なら分かりますが、東アジアの空白について、手嶋さんは早くから危機感を持っていた、ということですか。

手嶋:2006年当時、北朝鮮の核・ミサイル危機は、静かに確実に進行していました。しかし、一般の人たちはおろか、日米の政府関係者ですら、危機感はまことに希薄でしたね。そうでなければ、北の核・ミサイル開発をかくまで放置するはずがありませんでした。

清野:06年に北朝鮮が行った核地下実験については、国連が制裁決議を採択しましたよね。でも、国内メディアの報道は、むしろその性能の稚拙さを指摘するもので、私たち市民の反応も、全体的に小ばかにしていた記憶があります。

 米国が中東に力を偏らせた背景には、「やつらに本格的な核搭載の長中距離ミサイルなどできるはずがない」と、北朝鮮を甘く見たところもあったのではないしょうか。

手嶋:考えてみれば、核もミサイルも第二次世界大戦で実用化された兵器の“ジェネリック製品”ですから、技術やデータは揃っている。ですから、基本的に「開発できない」と安易に考えるべきではありませんでしたよね。

清野:米国で東アジアから中東への力のシフトが起きた――それは理解できましたが、米国が読みを誤った要因は、北朝鮮の技術力、それだけですか?

手嶋:またまた鋭いご指摘です。当時のブッシュ共和党政権の特徴を一言でいえば、ネオコン政権だった。それと大いに関わっています。「ブッシュの戦争」を主導したのは、政権内のネオコン勢力という、新しいタイプの保守主義者でした。

清野:出ました、ネオコン。ネオコンという言葉のイメージは悪いですよね。「力」が好きな、おどろおどろしい人たち、という印象が先に来ます。実際にどんな人たちだったのでしょうか?

手嶋:ネオコンの定義は三つです。第一は、極左から極右に回帰した人々。第二は、力の信奉者ということ。第三は、その多くがユダヤ人であること。同時に、彼らは民主主義の信奉者でもあり、使命感も旺盛です。その結果、強大な軍事力を背景にしながら、米国流の民主主義を中東地域にも押し広げていく、という使命感に駆られていきます。

清野:この1月にトランプ大統領が、エルサレムをイスラエルの正式な首都にして、米国大使館をテルアビブから移転する、と表明して世界に激震を引き起こしています。なぜ、とりわけ中東地域なのでしょうか。

手嶋:そこに、このイスラエル・ファクターが絡んでいます。「我が祖国、米国の安全保障」という時、常のアメリカ人なら、その対象は額面通り「米国の国土」です。しかし、ネオコンの論客たちには、イスラエルの安全保障が、ぴたりとそれに重なってくるのです。

清野:うわあ、生々しい……。

手嶋:苛烈な中東情勢の中で、イスラム諸国の海に浮かぶ孤島、イスラエルの安全保障を考えてみてください。米国の力を背景にイラクなどが民主化されれば、彼らのもう一つの祖国、イスラエルの安全保障環境は格段に良くなります。ですから、持てるすべての力を注いで中東での戦争に突き進んでいったのです。

「北」はインテリジェンスに生き残りを賭けている

清野:中東か、東アジアかということになると、これはもう最優先で中東に力を入れる、ということになるわけですね。

手嶋:その結果、東アジアには巨大な軍事的空白ができてしまった。ただし、我々日本人は、巨大な戦略的空白が生じていたことについて、実に鈍感だったのです。

清野:その間、私たちは「失われた10年だ」いや「失われた20年だ」と、経済の側面だけを内向きに見ていたと思います。

手嶋:一方で、米国から圧力をかけられる側、つまり金正日、金正恩にとっては、米国の対外的な軍事ポリシーについて、とりわけ鋭敏にならざるを得ない。彼らは、米国の抑止力が緩んでいることを見逃さなかったのです。米国の巨大な戦力がのしかかってこないのですから、安んじて、核・ミサイルの開発に手を染めたのでした。

清野:独裁者の側に視点を置くのは抵抗がありますが、そういうことですよね。

手嶋:自分たちの体制保全がかかっているのですから、国際政局の見極めについては、北の独裁者は、我々よりはるかに敏感ですよ。これはみなさん、なかなか認めたくないことかもしれませんが、実は北朝鮮は、インテリジェンス能力は非常に高い、といっていいのです。

(⇒第3回に続きます。)

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