女性たちに吹いていた追い風は、吹き続けているのか?それとも止んでしまったのか?はたまた向かい風になっているのだろうか?

 先週末行われた参議院選挙。「3分の2」という数字は、これでもか!というくらい、あちらこちらで踊っていたけど、「23%」という数字を取り上げたメディアはごく僅かだった。

 そうですよ、知ってました?今回の参議院選挙に立候補した96人の女性のうち28人が当選し、全体に占める割合が23%と過去最高になったということを。

 これは過去最高だった2007年の21%を、2ポイント上回った数字である。

 メディアは、“過去最高”ってテクストが大好きなハズなのに、なぜ、騒がない?あれだけ「女性活用」だの「女性活躍」だの、連日連夜飯の種にしていたのに、どういうこと?

「だって、もう企業ではさ~、女性管理職の占める割合は30%だし~、今さら騒ぐ必要ないだろう」って?

 いやいや、まさか。そんなわけはありませぬ。

 「日本の人事部」が行った最新の調査では、女性管理職比率は平均4.9%。「帝国データバンク」の調査でも、女性管理職割合は平均 6.4%で、ゼロの企業が 50.9%もあることがわかっている。

 そういえば、政府は昨年末、「2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%にする」という当初目標を、「国家公務員では7%、民間企業では15%」に引き下げ、事実上断念したけど…、ん?なるほど。

 「無理やり、女性リーダー増やさなくていいよ~。現実的に行こうぜ!」ってトーンダウンしたから、ニュースバリューがなくなったってことか。

 いずれにせよ、3年前なら、
「さすが安倍さん!過去最高ですよ!」
「あともう一息ですね!30%も夢じゃない」
「女性活躍を実行ですね!」
「で、でも…政党別には自民党は最低の18%ですけど…」
「共産党は33%か…」
「これからこれから!」
なんて具合に、大騒ぎしたに違いない。

 あまり女性、女性と騒ぎ立てるのもどうかと思うが、「過去最高23%」という数字には、もっとスポットを当てて欲しかった。

 だって、今年は、女性に大きな風が吹いたあの日から、70年という節目の年。今回の数字は、「日本社会での女性」の立ち位置、「子育てと仕事の両立に苦悩するワーキングマザー」問題を、考えるのにいいきっかけになる。

 70年前の1946年4月10日に行われた第22回衆議院選挙で、日本史上初めて、女性代議士が誕生した。ただ、園田天光光さん(昨年96歳で亡くなった)を含む39人の“女性活躍”のパイオニアたちは、今の日本社会にがっかりするに違いない。

 熱意と覚悟をもって女性たちが拳を振り上げたにも関わらず、その後、衆院での女性議員比率は下がり続け、再び39人(比率8.4%)を超えるのに60年もの年月がかかってしまったのだ。

 しかも、60年後に誕生した女性議員の多くは、“小泉チルドレン”。2009年の衆院選で過去最高の54人が当選したときは、“小沢ガールズ”と、まるでアイドルのごとく命名された。

 そこで、今回は最近めっきり露出が減った、「女性活用」と「30%の持つ意味」について、改めてアレコレ考えてみようと思う。どうかこれを「女性だけの問題」とは捉えず、生きづらさ、働きづらさを感じているマイノリティーの問題として、一緒に考えてください。

議員における「女性活躍」は足踏み状態

 まずは、こちらをご覧ください。 これは衆参選挙の候補者と当選者に占める女性の比率を、70年前の1946年から示したものである(「男女共同参画白書」平成27年版より引用)。

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 衆議院については、前述したとおり2005年に9%となり、民主党政権時に10%を超えた。その後の2009年に11.3%に達した後は低下して、現在は9.5%にとどまっている。小泉政権や民主党政権が、積極的に女性を擁立し、当選させたのに対し、その後の自民党政権にはそれがなかったことが関係している。

 一方、参議院議員は、1989年のマドンナ旋風で急増したのち(26人当選、比率17.5%)、なんとか10%超を維持してたが、2000年代に入るとは年々低下。社会党の党首だった土井たか子さんは、列島を旋風が吹き荒れたとき「山が動いた!」と名言を吐いたが、2007年に21.5%を記録するまで、“女性の山”は崖に落ちてはまったかのごとく、全く動かなかった。

 ところが、いったん動いた山は、再び崖へ。2010年に民主党が大敗したことで、いっきに14%まで激減したのである。

 で、現在。2016年の列国議会同盟(IPU)の世界・国会の女性議員割合ランキングで、日本は185カ国中155位と、最下位レベルだ。

 ちなみに、衆議院における女性議員比率が過去最高の11.3%だった頃の、フランスでの出来事を覚えているだろうか?2012年5月。17年ぶりに社会党から大統領に選出されたオランド氏が、公約どおり新閣僚34人のうち17人が女性の「男女同数内閣」を発足させ、「女性の権利省(Ministre des droits des femmes)」を新設した。

 実はこのときの、フランスと国会議員における女性と男性の比率は、日本とそう大きく変わらなかった。フランスでは女性が18.9%、男性が81.1%。対する日本(衆院)では女性が11.3%、男性が88.8%だったのである(2011年11月時点)。

 ところが、男女同数内閣が発足したことで、その後に女性議員比率は増加し、2016年版IPUランキングでは、フランス(国民議会)の女性比率は26.2%と7ポイントもアップ。11.3%から9.5%まで下げた日本とは大きな違いだ。

※参考:日本の女性閣僚が最も多かったのは、2001年に発足した第1次小泉純一郎内閣の5人(閣僚の総人数は22人)。2012年の野田内閣のときには、わずか2人(第一次は1人。改造で2人)。

 こうやって時代を数字で振り返ってみると、女性活躍の風は一時的に吹くことはあっても、持続しない。特に、2000年以降を見ると、その時々の政党の党首次第で、吹いたり、吹かなかったり、逆風になったりする。

 男と女は違う。だからこそ、女性が政治に関わることに意義があると思うのだが、結局のところ、諸外国のように「クオーター制(割当制)」を取らない限り、女性議員は増えないのである。

 それだけではない。組織で女性が少数派である限り、女性の能力が発揮されることはないし、不当な扱いに傷つき、苦悩する女性が量産されるのだ。

政治の世界が最も遅れている

「ヤジ騒動があって、あれだけ世間から叩かれたにも関わらず、内部は変わっていません。待機児童や、保育園問題の議論のときに、『子どもは家で育てろ!』と、何食わぬ顔で与党男性議員はヤジっていました。女は家にいることが正しい、外で働く女性は勝手。それに付き合う必要はないってことなんです。昭和の悪しき男尊女卑が、染み付いた世界なんです」

 こう嘆くのは、ある女性議員だ。

 都議会での“セクハラヤジ”騒ぎは記憶に新しいが、都道府県議会で女性議員が占める割合は、地域差があるものの平均値は8.9%(「男女共同参画白書」平成27年版)とかなり低く、心ない言葉を浴びせられているケースが後を絶たない。

 先日、共同通信が行った調査でも、6割の女性議員が「政治活動をする上で、女性軽視に起因する言動を受けて不快な思いをしたことがある」と回答。その相手は、「同じ議会に属する議員」が最も多く、次いで「有権者」だった。

 具体的には、同僚の議員からは「子どもを産んでから質問しろとヤジを受けた」「視察旅行の宿泊先で部屋に押し入られ、キスをされた」、有権者からは、「宴席で胸やお尻を触らせられた」「票をちらつかせ、酌を強要する」などの回答があった(都道府県議員261人対象)。

“オトコ化”した女性議員が女性向け施策を阻む

 これって、いったいつの時代なんだ? 

 本当にまだ、こんな時代遅れの卑劣な行為が行われているのだろうか?

 有権者からもそんな扱いを受けるとは、にわかに信じ難い。そこで、前述の女性議員に聞いてみたところ、「本当ですよ。実際に私も何度もそういった経験をしています」というのだ。

「そもそも未だに女性議員は、同じ期数を重ねても、半人前だと思われます。地元の有権者たちは、女性議員は未熟、男性議員は信頼できる。そう思っているんです。

 男性議員の場合は、議員になる前に議員秘書をやっているケースも多いし、定年制がないことも、関係しているのかもしれませんけど、男性議員たちが議会で昼寝している姿を、支援してる有権者に見せてやりたいです。

 私は結婚していないので、有権者から『いい人紹介するよ』、とか『シングルマザーになるつもりはないよね?』とかしょっちゅう言われます。身体のことを言われたこともあります。

 おそらくみなさんが想像する以上に、政治の世界は男性議員の地位が圧倒的に高いんです。

 でも、問題は男性議員だけにあるわけではありません。本当に残念な話ですが、女性議員の中には、男性議員にゴマスリしたり、飲み会に必ず付いて行って、親しくなることで地位を得ようとする人がいます。そうした女性議員が役職を得ていくので、よりタチが悪くなっています。

 彼女たちは、男性議員が喜ぶことが何かを、本能的にわかっている。意見する女性議員を嫌う傾向も強い。これは本当に問題で、女性議員が女性施策に積極的に取り組まないことも、状況が変わらない理由のひとつです。

 私はこの世界に入るまで、女性とか男性とか関係なく、政治家としてきっちりと政策を進めていく力があればいいと考えていました。

 でも、実際中に入ってみると、女というだけで自分の意見を言う機会も奪われるし、がんばって言うとつぶされます。本当に恐い世界です。それでも打破していかなきゃならないんですけど、壁はとんでもなく厚くて、びくともしません。自分に力がないのが本当に悔しい。どうしたらその力を持てるのか、自問自答する日々が続いています」

女性が少数だと、多数派である男の「男性性」が強まる

 「問題は男性議員だけにあるわけではない」――。

 これこそが、「トークン」の悲劇。個人の資質ではなく、環境で変わる人の心の動きがなせる悪業である。

 トークン(=目立つ存在。この場合は女性)が属する集団における「トークンの数」の論理を提唱したのは米国の社会学者のロザベス・モス・カンターだが、カンターは「0」より「1」の問題性を訴えた。

 男性だけの集団(=女性がゼロ)と一人でも女性が入っている集団を比べると、後者の集団の方が、男性たちはより男性性を強めた発言をしたり、仲間意識を強めるようになる。女性が聞くに堪えない性的な話題を話す頻度が増し、女性をアウトサイダーとして扱ったり、男社会への忠誠心なるものを強要する行動が明らかに増える。

 紅一点の女性は、排除されるか、同化するか。はたまた、屈辱的な扱いをされることに耐えるしかなくなってしまうのである。

 そういえば、小泉内閣のときに田中眞紀子さんが、

「自由にやれというから動こうとしたら、誰かがスカートの裾を踏んでいて前に動けない。振り向けば、進めと言った本人のような思いがした」

と語っていたけど、自由に“スカート”をはき続ければ裾を踏まれ、男性におもねれば“スカートをはいたオッサン”になる。

 真紀子さんは男性たちに排除され、役職を得た女性議員は、男性たちと同化した。同化は時間とともに深化し、本人は自分がそうなっていることに気付かなくなる。

 「0」より「1」の不幸は、トークンの占める割合が10%未満で起こりやすい。この状態では、トークンは“マイノリティー以前”。時に、人権をも無視される危険な環境なのだ。

女性比率30%が「女性活躍」の出発点

 では、トークンの割合が、増えていくとどうなるか?

 10%〜15%未満だと、集団内のマイノリティーとしての地位が与えられるが、少数派故に、意見を言っても無視されたり、相手にされなかったりする。その結果、トークンは、口を閉ざす。

 トークンは少数派としてまとまるようになり、多数派の男性たちは、「女たちは結束するとめんどうくさい」だの、「女たちは徒党を組むから恐い」だの、「女は勝手だの」と、悪しき“女の特徴”を男たちは言い始め、自分たちの優位性を保とうとする。

 そんな男性たちにも、トークンの割合が30%程度になると変化が起こる。

 女性たちを「サブグループ」として認めるようになり、「女性の視点は興味深い」など、徐々にプラスに評価する傾向が強まる。サブグループの女性たちは、息苦しさから解放され、勇気を出して意見したりするようにもなる。

 だが、この比率で女性が能力を発揮するには、男性のサポートが必要不可欠。男社会の暗黙のルールから女性を守る男性がいて、初めて、権力や権限を獲得したり、能力を最大限に発揮できる機会を得られるのである。

 さらに、35%になると多数派はただ単に「数が多い」だけのグループになり、40%になると、バランスが均衡する。そうなのだ。大まかには6:4の比率になって、やっと男だの女だの分け隔てが消え、個人の資質や能力が正当に評価されるのである。

「キャリア意識」を高めろ?私だったら無理

 つまり、「男社会に女性が入る⇒女性が軽視される⇒一部の“スカートをはいたオッサン”だけが権力のある地位に就く⇒女性同士が分断される⇒男性にとっての使い勝手のいい女性が重宝される⇒女性が軽視される⇒女性が増えない」といった、なんだかわけのわからない、でも、女性にはちっともプラスにならない、ドツボにはまってしまうというわけ。

 これを一般の企業で考えると、よりわかりやすい。一般企業の女性に関しては、管理職や役員の女性にばかりが取り上げられるが、いわゆる“ヒラ社員”の中にこそ、働きづらさを感じている人が多い。部署によって男女比が変わるので、「1」の悲劇にはまった女性は、とんでもなくしんどい日々を強いられてしまうのだ。

「毎日、当たり前のように雑用を頼まれる。私には私の本来の業務があるのに、そんなことは関係なし。『アンタたちの奥さんじゃないんだよ!』と、言ってやりたい」
「本業でがんばっても、『女のくせに残業するんだ……』と言われるので、申告できない」
「『会議遅れるって、部長に伝えて』とか、自分がいいづらうことを頼まれる。そういうときだけ、ちゃん付けしたり、娘のように扱う」
「体調が悪くて休んだりすると、『女は簡単に休めていいな~』とイヤミを言われる」

 こんな扱いを受けながらも、一般職や事務職であるが故に、どうすることもできず涙している女性が少なくないのである。

 女性管理職が増えない理由を、「女性のキャリア意識が低い」と批判する人たちは多い。だが、こんな扱いを受けている女性が、「キャリア意識」を高めることなどあるだろうか? 私だったら無理。がんばろう!とか、ふんばろう!とか、必死で耐えてもやがて限界がくる。

女性社員が増えれば比例して女性管理職も増える…のか?

 カンターは、コンサルタントを務めた企業でのフィールドワークから、「女性の特徴」として片づけられていることが、実際には環境が創り出した「環境の特徴」であると主張した。

 つまり、男性でも同じような環境に置かれれば同様の傾向を示すとしたのである。

 なんでもかんでも個人の資質のせいにするのではなく、「環境(=この場合は男女比)」が与える影響が、想像以上に大きいことをわかっていただけたらと思うわけです。政治家の世界の話から、一般企業に話は飛んでしまったけれど、どんな世界でも、環境次第で、ときに多数派は暴力的になる。

 そして、政治の世界では、フランスでそうしたように、権力のあるポジションを6:4にすることから始めると、本当の意味で“新しい風”が期待できると思う。もちろんそのためには、女性政治家たちも自己鍛錬と勇気が必要不可欠。そして、一般の私たちは、もっともっと問題意識を持つことから始める必要があるのかもしれません。

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