マイナビは、運営する女性総合サイト「マイナビウーマン」に掲載した記事2本が不適切だったとして、該当記事を削除したと発表した。

 あちらこちらで話題になっていたのでご存知の方も多いと思うが、ことの成り行きを簡単に説明しておく。

 問題となったのは、「意味わかんない!『社会人としてありえない』有休取得の理由7つ!」と、「男性に聞いた! 女性が『生理休暇をとる』のはアリ?」という、タイトルを見ただけで「オイオイ、大丈夫か?!」って感じの2本の記事。

 特に有給休暇に関する記事は、想像どおり瞬く間に激しく炎上した。

「寝坊、二日酔い、やる気が出ない、彼氏とのケンカ、彼氏に振られた、体が痛い、天気が悪い、などの理由で休むのはNG。有休を取ることは働く人の権利ですが、常識ある使い方をしたい」

という内容に、

「有休取得に理由なんて関係ないだろう!」
と批判が殺到したのだ。

 過去にも似たような記事がアップされるやいなや撃沈されていたのに、なぜ、マイナビという「若い人向け」のサイトで、見事なまでに危うい記事が掲載されたのかは定かではない。

 ただでさえ、日本における有給休暇の消化率は半分以下(厚生労働省「平成26年就労条件総合調査結果」)。おまけに今年は、祝日の“土曜日かぶり”の多い年だけに、炎上の条件はそろっていた。

 「どんな理由であれ、使えばいいじゃん」と個人的には思うのだが、この記事の担当者は、よほど“ドタキャン”ならぬ“ドタ休み”に迷惑をこうむっていたのか、「最近の若者は○●××」と若い社員への不満がたまっていたのか、「社会人らしからぬ理由で休むなよ!」と釘を刺したかったらしい。

 社会人らしからぬ、か。……いったいどんな理由なら社会人らしい、常識ある理由になるというのだろう。

 そもそも年次有給休暇をどう使うかは、労働者の自由。上司に理由を伝える義務もない。

 「おいおい、そんなどーでもいい理由で有休とか、勘弁してくれよ!」と内心思ったとしても、有給休暇が企業と労働者の決めごとである以上、現場の不満は愚痴レベルで終わらせるべき問題である。

 だいたいなんでこんなにも、「休む」ってことが難しいのだろう。

 「申し訳ないけど、休ませてください」って、みんな当たり前のように言うけど、なぜ謝る? 

 「あいつは毎年、有休をフルに使って海外旅行だとさ。結構なご身分だね」っと不機嫌になる人がいるけど、なぜ、批判する?

 みんな休みたいはずなのに、なんで???ただ単純に人手が足りないことだけが、理由なのか?  

 というわけで、今回は「有給休暇の謎」について、アレコレ考えてみようと思う。

有休はそもそも、「連続取得」が前提

 まずは、有給休暇の“そもそも話”からしなくてはならない。

 日本では「有給休暇の分割」が認められているけど、国際労働機関(ILO)は、原則として有給休暇の分割取得を認めていない。つまり、「労働者はまとめて休む必要がある」から、有給休暇という制度が誕生したのだ。

 遡ること、今から100年前の20世紀初頭。「精神的かつ知的な休息は、労働者の健康のために不可欠である」との理由から、週休とは異なる連続休暇を労働者の権利だとする考え方が欧州の労働組合に存在していた。

 ILOの報告によれば、1926年には既に有給休暇はスウェーデンの労働者に広まっていて、1935年にはほとんどの欧州諸国の企業が、労働者に有給休暇を与えていた。

 そこでILOはそういった現状をたたき台に、1936年、「1年以上継続して働くすべての労働者は、連続した最低6労働日の有給休暇を享受する」とした条約(第 52 号条約)を定め、「この最低基準を超えるものに関してのみ、特別に有給休暇の分割を認める」としたのである。

 その後改訂を重ね、現在は1970年の第132号条約が、世界基準になっている(以下抜粋)。

・労働者は1年勤務につき3労働週(5日制なら15日、6日制なら18日)の年次有給休暇の権利をもつ。
・休暇は原則として継続したものだが、事情により分割も可
・ただし、分割された一部は連続2労働週を下回ってならない
・祝日や慣習上の休日は年次有給休暇の一部として数えてはならない

 要するに、20日の有給休暇が付与されている場合、少なくとも10日は連続して休むことが求められているのである。

 だが、残念なことに日本はこの条約を批准していない。日本は先進国の中では珍しくILOの条約のいくつかを批准していないのだが、そのうちのひとつが「年次有給休暇に関する条約」なのだ。

 有給休暇などの労働基準を定めた労働基準法が作られたときの日本は、とにかく貧しかった。

 1947年に労働基準法が制定されたときに、中心的役割を果たした労働省の課長だった寺本廣作氏は, 参議院議員時代に著した自伝 『ある官僚の生涯』 (非売品、1976 年) のなかで、当時の様子を次のように語っている(※文中の「彼」とは寺本氏本人のこと)。

「労働保護課の発足と同時に、彼らは労働基準法の立案に取りかかった。 国際労働条約やアメリカの公正労働基準法、イギリスの工場法などを参考とし、日本の実情と照らし合わせながら時間をかけて少しずつ作 業を進めていった」

 その中で問題になったのが、1日8時間、週40時間という労働時間の基準だった。

「立案された条文は 1条1条、課員の全体会議にかけて検討した。議論に熱が入り過ぎて時には掴み合わんばかりの激論になることもあった。 一番議論が白熱したのは労働時間の条文であった。

 国際労働条約の 1 日8時間制を取り入れたいのはやまやまであったが、 破壊しつくされた当時の日本では8時間労働で国民の必要とする最低生活を支えることは、不可能ではないかという疑問が出た。

 1週間も激論が続いたあげく、労働組合との協定があれば25パーセントの割増賃金で時間外労働をさせることができるという結論に到達した。この作業がようやく軌道に乗ってきたころ、 幣原内閣が倒れて第1次吉田内閣ができた」

 当時の日本では、1日の労働時間を10時間にしているところも多かった。会議では「9時間」という案も出たが、寺本氏らはILOの基準にとことんこだわった。

 そこで8時間とする代わりに、出来るだけ経済復興を阻害しないよう時間外手当を欧米の50%の半分の25%にするという案でまとまったのだ。

日本は、まだ戦後復興期にあるのか?

 敗戦の痛手のなかで8時間労働制、週休制、さらには、年次有給休暇制度を取り入れようとしたのだから、その調整に苦労したのは容易に想像できる。

 それでも「理想と現実の狭間」で、担当者たちは世界に日本を近づけようと踏ん張った。

 産業革命以降、欧州では長時間労働が蔓延し、労働者の間で過労が原因と思われる心身の不調が多発していた。それを撲滅すべく「1日8時間にしよう!」「1週間に40時間にしよう!」「週休とは別に、年次休暇を作ろう!」と、権利をひとつひとつ積み上げてきた。

 そう。今はやりの“ファースト”。“大企業ファースト”じゃなく、労働者ファースト。労働者は奴隷ではないというメッセージを、寺本氏をはじめとする日本の役人たちは真摯に受け止めていたのだ。

 しかしながら「まとめて取るのが大原則」とする年次有給休暇を、まんま敗戦の焼け野原で戦後復興中の日本が受け入れるのは到底ムリ。

 その結果、「年次有給休暇については、やむにやまれぬ事情の下で1日単位の分割取得というおかしな制度をあえて導入した」というのである。

 ってことは……、“やむにやまれぬ事情”がない今、“おかしな制度”は、“おかしくない制度”に戻すべき。「有給休暇はまとめて取るもの」と正すべきだが、そういった声は一向に聞こえてこない。

 残業の上限に関しては80時間だの、60時間だのと議論しているけど、「ゆうきゅうきゅうか」の「ゆ」の字も出てこないのはどうしたものか?

 ひょっとして今の日本は、まだ戦後復興期にあるのだろうか?まさか、いまだに世界についていけない、極貧の国なのか?

 やむにやまれぬ事情で“おかしな制度”を作った先人たちは、今の「休むのが難しい日本」を見て、なんと言うだろうか。

 多くの仕事が「精神的かつ知的な労働」になった現代社会で、連続休暇はおろか1日の休暇でさえアリだのナシだので炎上している現状って、いったいナニ? 

「アリバイ作りですよ」

 そもそも疲れは、食べて寝るだけで自然に消えていくものではない。

 特に精神的緊張や心的負担を伴う仕事には、適度な運動、精神的なゆとり、遊び、お喋り、笑い、など、心的疲労を癒す“資源”と、「仕事を忘れる時間」が必要不可欠。

 頭痛、肩こり、イライラ、やる気がでない、眠れない、ケアレスミス、疲れやすいなどの症状に代表される蓄積疲労は、最悪の場合、うつや突然死につながる極めて深刻な状態である。

 夏季休暇などで休むと「余計疲れが出る」ことがあるが、あれは疲れが蓄積し機能障害に陥っていた“疲れのセンサー”が回復した状態を意味する。

 「疲れが出た」のではなく「疲れを自覚できるようになった」だけ。本当に疲れを取る作業は、そこからスタートするのだ。

 つまり、疲れのセンサーが回復するのに1週間。心身の疲れを取るのにさらなる1週間。最低でも、2週間は「休息」に必要な期間となる。

 私は夏が来る度に「3週間休めれば、『よっしゃ~、がんばってバリバリ働くぞ!!』ってなるのになぁ」とため息をつき、「ああ、フランス人になりたい」と毎度毎度願う。そういえば久米宏さんは必ず3週間休んでいた。ふむ。久米宏的休みを取るには、もっともっと頑張らないとダメじゃないか……と、これまた袋小路に迷い込み……。

 とまぁ、私の個人的願望はさておき、とにかく疲労は“借金”と同じで、放っておけば利子がつくやっかいなもの。預貯金の利子はちっともつかない現代社会で、私たちはおそらく私たちが認識している以上に疲れの借金だらけになっているのである。

 で、ここで素朴な疑問がわくわけです。

 なぜ、みんなでもっと休もうよ~という空気に、職場はならないのだろうか、と。

 中にはマグロのように、働き続けてないと死んでしまうという人もいるかもしれないけど、フツーは休暇は嬉しいはずだ。

「アリバイ作りですよ」―――。

 そんな私の疑問に、思いもよらぬ答えが現場から聞こえてきた。

 先週、打ち合わせで雑談になったときに、「なんで日本の職場って、休みをとりづらいのか?」と私がブツクサ言っていたら、そこにいたメンバーたちが「アリバイ作りだよ」と笑ったのだ。

「不便だけど、おたがいさま」ではダメなのか?

「休んだほうが効率が上がるってのは、頭では理解できる。でも、それを結果で示すのは難しい。だからアリバイを作る」

「そうそう。ノルマが達成でききなかったとき『こんなに働きづめで、休むことになく働いてます!』って、言い訳になるよね」

「残業と同じで、休みも取らないでがんばって働いてるのを見せたほうが上司受けもいいし」

「私なんて、部下たちの有休取得率が高すぎるって、上から怒られたことありますよ」

「さすがに最近は残業の肯定はタブーになったけど、有休は別」

 もちろんこれらは私の半径3メートル内での“声”でしかない。でも、アリバイ作りという言葉にはエラく納得してしまったのだ。

「休まない=がんばってる」
「休まない=精一杯やっている」
「休まない=真面目に取り組んでいる」
「休まない=責任感が高い」
etc etc etc ……

 こんな思考性が、「申し訳ないけど、休ませてください」「あいつは毎年、有休をフルに使って海外旅行だとさ。結構なご身分だね」という言葉に繋がり、「休みをとらない」ことをアリバイ作りに利用する。

 もし、今回ここに書いたような「そもそも有休はまとめてとるもの」であるとか、「理想と現実」に狭間で格闘しながら、世界基準に合わせようとふんばった役人たちのことを、もっともっと多くの人が知ったら………、有給休暇へのトップや現場の意識は変わるだろうか?

 バカンスが当たり前のヨーロッパで暮らした経験のある人たちにインタビューすると、必ずといっていいほど苦笑いしながら話してくれることがある。

「時間になるとさっさと仕事を切り上げるし、お店もさっさと店じまいする。サービスのサの字も感じられず、価格も高い。バカンスのシーズンなんて担当者がいないなんてのは日常茶飯事だし、お店も平気で休む。めちゃくちゃ不便だけど、労働者の立場からすると“お互いさま”って、感じなんですよ」

 そうなのだ。不便だけど、おたがいさま。それで回っている、と。

 「部下が会社休んでFacebookに『ディズニーランド行きました!』とアップしていることをムカついてるアナタ。不便なおたがいさまも、たまにはいいんじゃないですかね。

悩める40代~50代のためのメルマガ「デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』」(毎週水曜日配信・月額500円初月無料!)を創刊しました!どんな質問でも絶対に回答するQ&A、健康社会学のSOC概念など、知と恥の情報満載です。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

初割実施中

この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。