尖閣諸島の問題から、最近の中国による南シナ海での人工島造成まで日中間の関係改善を阻む壁は多い。日本から見ると中国の最高権力者、習近平は中国をどんな国にしたいのかも疑問だ。習近平は何を考えているのか。今後の日中関係はどうあるべきか。中国政治研究の第一人者である東京大学の高原明生教授に話を聞いた。(聞き手は日経ビジネス、水野孝彦)
2014年から日中関係は改善を始めた
現在の日中関係は日中国交正常化以後の歴史の中で見ると、最悪期にあたるのでしょうか?
高原:日中国交正常化以後の日中関係は70年代、80年代は良好でしたが、90年代から下り坂となり、2010年以降からガラガラッと関係が悪化しました。ただ、2014年から関係改善の兆しが見えてきました。理由としては4つあります。
まず、安全保障の面です。2014年5月、6月と続けざまに日中の軍用機のニアミス事件が起きました。本当に衝突していれば、対立はエスカレートせざるを得ませんから、危機管理のメカニズムを実用化する必要があると中国も理解しました。
次に中国経済の減速が明らかになる中で、日本との経済的なつながりの大切さを中国の指導層も再認識したということが挙げられます。
そして3つ目は、国際関係という面では南シナ海での米中の対立などで、米との新型大国関係が滞っています。対米関係悪化の局面で欧州やアジア諸国との関係改善を図るというのが、中国の歴史的なパターンです。いま進めているのは「一帯一路」(「シルクロード経済ベルト」を意味する「一帯」、「21世紀海上シルクロード」を意味する「一路」)という経済圏構想ですね。そうした外交路線の転換の一環として日本との関係改善を図っていると考えられます。
最後に中国国内政治です。中国にとって対日関係の改善は強いリーダーしか取り組むことができない課題です。反日宣伝キャンペーンのおかげで、日本に理解を示すことは政治的に正しくない行為となっており、容易に政敵の批判を受けるからです。その意味では習近平総書記の力が強まったことで関係改善が進んだと言えます。
ただし、今後も楽観はできません。経済の減速が進めば、ナショナリズムで中国共産党や国民をまとめようとする可能性があり、東シナ海の尖閣諸島近海に送り込んでくる船を増やすなどの形で、日中の対立をあおる可能性も否定できません。社会が動揺している時期は、どこの国の世論も揮発性が高く、中国もそれにあたります。不必要な摩擦が生じることを避けるよう、日中両国の要人は言動に注意すべきでしょう。
日本と中国のお互いに対する認識ギャップは大きく、日本人は最近の日中の緊張関係を全部、中国が悪いと考えていますが、中国人はみんな日本が悪いと思っています。こうしたギャップを縮める努力が必要です。
中国の世論は、中国共産党や官製メディアにコントロールされているのではないのですか。
高原:中国共産党が国を導くという基本原則があり、官製メディアの世論へのリーダーシップも強いです。ただ、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)にも世論を動かす力はあり、だからこそ、共産党はインターネットの管理に力を入れているのです。お互いの相互作用で中国全体の世論と言いますか、「社会の雰囲気」が形成されています。
実際のところ、中国の政治家はSNS上の世論をかなり気にしています。地方の幹部がニュースに出ていたときに高級時計をしていたといった書き込みで、本当に失脚することもあるほどです。もちろん、中央のトップについての批判やパナマ文書関連は厳しく検閲されているので、その限りではありません。
習近平は独裁者ではない
そもそも最高権力者である中国共産党の習近平総書記は、中国をどうしたいのでしょうか?
高原:はっきりしませんね。経済的、政治的な改革をする「右」方向に行きたいのか、毛沢東時代をほうふつとさせる「左」方向に進みたいのか、もちろん中国にとって望ましいのは、国有企業の寡占体制を打破し、富の分配制度を改革することです。その2つを実現するための政治改革も必要です。これは前首相の温家宝時代から言われていたことで、現在の財政部長(日本の財務大臣に相当)も所得税の累進税率の強化や不動産税の徴収強化を主張していますが、既得権益を奪うようなことは政治的に難しいです。
ちなみに、遺産税(日本の相続税に相当)は税目としては存在するのですが、実際には徴収されていません。さらに、大金持ちだけが相続税の徴収に反対するかと言えば、そうでもないのです。家やクルマをやっと手に入れたのに手放すのは嫌だという市民も多いというのが現実です。
習近平自身については二つの見方があります。一つは政治改革を本当はしたいが、その前に抵抗勢力を打ち払って二期目で政治改革に取り組むという説です。もう一つは政治改革に興味はないというもので、私は現時点では後者だと思っています。
彼にとって大切なのは中国共産党の支配が続くことです。政治改革に興味はないと感じます。海外の第三者から見ると、中国共産党が絶対的な権力を手放す方が、長い目で見て国家や社会が安定すると思うのですが、当事者はそう考えられない。中国のことわざには「虎にまたがったら降りられない(騎虎の勢)」という言葉があります。背に乗り続けていないと食われてしまうという意味ですが、権力を手に入れた以上、それを維持するしかないということです。
反腐敗の取り締まりが続くことで、地方の幹部が萎縮してやる気を失い、経済への悪影響が懸念されていることは、習近平も認めるところです。習近平は幹部たちの不作為を批判しているのですが、彼は独裁者ではない。地方の幹部たちは面従腹背で言うことを聞きません。
自分で何でもコントロールしようとし過ぎたことで習近平への反発は強まっています。2月19日に新華社や人民日報といった三大メディアを回って、「メディアの姓は党」であり、「党の喉と舌」として党中央の意向をきちんと伝えることを要求しました。
それに対しては、強い反発を世論の側から受けました。特に反腐敗の取り締まりを進める王岐山の友人で経営者の任志強氏が痛烈に批判し注目を集めました。官製メディアからはその任志強氏への批判が始まりましたが、騒動の最中、中央規律検査委員会は「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」(千人の服従は、一人の直言に及ばない)と題した記事をホームページに掲げました。そして任志強氏への批判がやんだことで、習近平が妥協を強いられたと格好の話題になりました。
また、「習近平同志を中核(中国語で核心)とする党中央」というフレーズを使うことがいくつかの地方指導者から始まり、誰がその表現を使うか多くの人々が固唾をのんで見守っていたのですが、中央政界の人のほとんどは呼応せず、キャンペーンは頓挫してしまいました。これは習近平の威信に打撃を与え、潮目が変わってきたと感じます。
3月4日には官製メディアの1つに習近平同志への公開書状が公開され、数時間後には取り下げられたのですが、不景気や外交上の孤立化、メディア統制や権力の独占など諸方面の習近平の失政を並べ立て、その辞職を勧告する内容で、政治的に高いレベルでの抗争があることを示唆するものでした。
少なくとも2015年までの様に政敵を次々に倒していた頃と、習近平を取り巻く環境は違います。来年開催される5年に1度の中国共産党の党大会に向けて、いよいよ熾烈な戦いが始まったということです。党大会では7人の政治局常務委員のうち、5人が交代する可能性があり、そこに誰が入るのか。構図としては、「習近平の支持者たち」と、反発する元総書記の江沢民や前総書記の胡錦濤につらなる人々を含めた「その他の勢力」との対決です。
中国の政治が今後も安定していると思う人は少数派
習近平総書記の力が落ちることは日本にとってプラスですか、マイナスですか?
高原:習近平の力が落ちるのは現時点では日本にとってマイナスだと考えます。習近平は対日関係改善に踏み切り、2014年、2015年にそれぞれ1回ずつ日中首脳会談を実施しています。そのほかにも複数回、日中関係の改善を訴える良い演説をしてきました。
例えば、2015年5月23日、自民党の二階俊博総務会長が3000人以上の旅行業関係者を連れて中国を訪問した際に演説し、「みなさんを通じて多くの日本の方々に心からのご挨拶と祝福の意を申し上げます」「歴史のわい曲は中国人も日本人も許しません。日本国民も戦争の被害者であり一緒に平和を築いていかなければなりません」といった趣旨の演説をして、人民日報の1面に大きく掲載されました。ただ、日本のあるテレビ局はそのニュースのキャプションで「歴史のわい曲許さず」とだけ強調していて残念でしたが…。
これからの日本と中国はどうなると思いますか?
高原:2014年に中国を訪問し、様々な人の話を聞いたのですが、中国の政治や経済がこれから先も安定していると思っている人は少数派です。何がどうなるかは分からないが、大きな変動がこれからあると多くの人は思っています。
中国では党が認めた宗教については信教の自由が認められていますが、非公認のものも含め、キリスト教や仏教の信者が増えています。これも将来への不安の表れではないでしょうか。ちなみに布教の自由はありません。
たとえ経済成長率が3~4%に落ちたとしても、相当大きなマーケットが毎年、新たに生まれると考えられますが、経済成長率が4%にまで落ち込んだ時に中国が政治的、社会的に安定を維持できるのかは、注意深く観察していく必要があると思います。北京や上海を見ているだけでは、中国の実態は分かりません。もっとお互いをよく知る努力が必要で、中国からたくさんの観光客が訪れていることはその意味で、素晴らしいことです。
できれば、さらに影響力のあるブロガーを含めた両国の知識人がお互いの国を訪ねて交流したり、多くの青少年がお互いの国でホームステイをしたりすることも大事です。特にお互いの国の政治家の家にホームステイできれば、より良いでしょう。そして、自衛隊と人民解放軍の交流も大事です。認識ギャップが危険なまでに拡大している現在、相手の部隊を訪問したり、艦艇交流をしたりすることで、相互理解を深めることが非常に重要です。
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