戦後間もなく発足し、かつては世界に驚きを与え続けたソニーが、今も苦しみ続けている。業績は回復してきたものの、国内外で圧倒的なブランド力を築いた面影は、もはやない。日本人に希望をもたらしたソニーは、どこで道を誤ったのか。長くソニーの歩みを見た経営幹部が、今だからこそ話せる赤裸々なエピソードとともに、ソニーの絶頂と凋落を振り返る。あの時、ソニーはどうすべきだったのか。
連載1回目は、現在のソニー社長兼CEO(最高経営責任者)の平井一夫氏が経営者として頭角を現すきっかけを作った人物の証言からスタート。ソニー・ミュージックエンタテインメント社長やソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)会長などを歴任した丸山茂雄氏が語る。今回はその中編(前編は「ソニー社長を引き受けた平井さんは軽率だった」)。
聞き手は日経ビジネスの宗像誠之。
ソニーにはウォークマンなど、世界中で一世を風靡した製品を生み出してきた歴史があります。その点で日本人にとってソニーは特別な会社だと思いますし、それだけソニーの経営は難しいようにも感じます。
丸山氏(以下、丸山):ソニーという会社の経営の難しさと凄さは、一つか二つのヒット商品があるかないかで、売上高や利益が大きく変動しちゃうことなんだよ。今は映画や音楽、金融、エレキと、事業ポートフォリオが広がっているから、その影響は昔より小さくなっているけどさ。逆に言えば、それだけ昔のソニーは大したもんだった。
例えばトリニトロンのテレビが売れたとか、ウォークマンを作って売れたとか。後はCDを作ったとか、プレステを生み出したとか。総合力というよりも、ごくわずかなヒット商品頼みの経営を切れ目なく続けて、ここまで成長してきたんだ。
少数のヒット商品というよりも、いろんな事業を展開して総合力で成長してきたプレーヤーが多い日本の電機産業の中で、ソニーは異質な存在だったわけだ。
1種類の商品がバカ売れして何兆円も売り上げてきたソニーのような会社は、日立製作所のような総合力の経営というわけにはいかない。「これがいけるんじゃないか」「これが当たればソニーはまた大きくなる」という、盛田さんや大賀さんみたいな抜群の先見性があって、鼻の効くカリスマが頑張らないと経営できない会社だったんだよ。
けれど平井さんだけじゃなくて、大賀さんの後のソニーの経営者って、そういう能力がなかったよね。大賀さんは「鼻が効かないやつはダメだ」ってよく言っていたんだよ。創業者世代は、鼻が効く経営者をうまくつないできたけど、大賀さんの後はそうじゃなくなった。
「ハワードも平井さんも鼻が効かない」
丸山:鼻が効かない社長が偉そうなことを言ってもどうにもならない、というのは、この20年以上のソニーの業績が証明しているよね。ある意味、そういう社長しか生み出せなくなってしまったことがソニーの宿命だった。日立とか総合力で生き延びることのできる企業なら、鼻が効く経営者じゃなくてよかったんだろうけど、ソニーはそうはいかなかった。
鼻が効く、効かないというのは、実はソフト事業の経営では基本なんだよね。ということは、ハードを作っていたソニー本社も、実はソフト分野に近い性格を持った会社だったということなんだよ。
出井さんがソニーの社長になったのは1995年でしょ。もう大賀さんが社長を辞めてから20年以上経過している。ハワードも平井さんも同じ様に鼻が効かない連中だよな。ソニーの社長になって何をやりたいというビジョンがないまま社長になっちゃった人たちばかり。鼻は効かないけれども、「ソニー社長」というポジションを楽しんでいた人たちが、もう20年以上トップを務めているわけだから、そりゃあどんな立派な会社も終わるよね。
ソニーは今から変われるのか?
仮に現状まで「鼻が効かない」経営が続いてきたとすれば、この先、どうなれば変わるのでしょうか。
丸山:「ソニー社長」をやることが目的の人がこのまま経営の舵を担っていたら、この先も流れは変わらないよ。少なくとも自分から「辞める」とは言わないだろうし。「社長」というポジションにいることに意味があると思っているんだろうから。
自分で辞めるつもりのない社長を辞めさせる権限を持っているのは取締役会だけど、きっと今の社長の続投を支持するでしょう。だって取締役会の大勢を占める社外取締役も、ソニー取締役というポジションに満足して楽しんでいるわけだから。ソニーの将来うんぬんではなく、とにかく平井さんの社長続投を認めて、一緒に自分たちも取締役をやっていたいと思っているだろうし。
今の社外取締役たちが、「株主から選ばれた」という自覚を持って、株主の期待に応えるよう仕事をしようとしているかというと、決してしてねえよな。だからといって株主代表訴訟を起こすような元気のいい株主はもういないから、今の状況はあまり変わりそうにないんだけどさ。
平井社長抜擢のきっかけは英語力?
ソニーOBの方々は、丸山さんがSCE時代に平井社長を抜擢し、後にソニーグループで出世するきっかけを作ったと言っています。SEC時代、丸山さんが平井社長を抜擢した理由は何だったのでしょう。
丸山:俺が平井さんを引き上げたとか、偉くしたとか言われるけど、実際にやったことは大したことないんだよ。単純に、法務の担当者だった平井さんをSCE米国法人に連れていっただけ。SCE米国法人の米国人トップに辞めてもらった後に、誰もそのポジションにいないんじゃ具合が悪いから、「お前が米国のトップをやってくれ」と頼んだんだ。それが「俺が平井さんを抜擢した」と言われている背景だよ。
なぜ平井さんをSCE米国法人のトップにしたかというと、当時のSCEと米国拠点の組織構造を変えようとしたことが一因だった。元々、SCE米国法人はソニー米国法人の子会社で、SCE本社の直接の子会社じゃなかった。だから経営のリポートが直接は全部、日本のSCE本社に来なかったわけ。SCE米国法人のリポートラインはソニー米国法人だからさ。
でもこれって不自然だよね。東京のSCE本社にリポートするという形にしないと、経営できないよ。だからSCE米国法人は、東京のSCE本社に直接リポートするようにルールを変えようということで、打ち合わせするために俺が毎週のように、東京からSCE米国法人に行くようになっていたんだ。ところが俺はソニーグループの中では珍しく英語がしゃべれない(笑)。
だから、帰国子女で英語ペラペラの平井さんと、日本語が話せる英国人のアンドリュー・ハウス(SCE社長で、現SIE社長)という2人の部下を引き連れて、SCE米国法人に出張するようにしたの。2人とも、当時はコンピューターの「コ」の字も知らないし、プレステのことも何も知らなかったよ。
「平井、ハウスの台頭は俺の英語力不足のお陰」
つまり平井社長だけでなく、SIEを率いるハウス社長も丸山さんが抜擢した、と。
丸山:そうしたら、このコンビがいい感じで活躍してくれて、リポートライン変更のルールづくりがうまくいったんだよね。
ハウスは英国人だから米国人ほど体が大きくないんだけど、偉そうにしている現地のでかい体の米国人たちにものすごくきれいなクイーンズイングリッシュで話しかけるわけ。「お前ら米国人の英語と、英国生まれの俺の英語は違うんだぞ」って感じでね。それで対等に渡り合って交渉してくれた。
片や平井さんは米国人に負けないでかい体つきをしていて、ベラベラと米国英語を話す。「ゲーム屋でなく、俺は音楽会社出身だぞ」という意識があったのか、会話の途中で、「ヘイ、ロックンロール!」って、全く関係ないフレーズを入れたりしてね、もうノリノリ。
そんな様子を見ていて、まあこの2人なら米国人になめられずに何とかなりそうだから、「米国拠点は2人に任せてもいいかな」と思ったんだよね。経営トップを支える米国人幹部がみんな優秀だったから、平井さんとハウスの2人でも米国のビジネスは回るだろうとも考えた。少なくとも、部下になめられないレベルで英語をしゃべるしな。
そうしたら思った通り、2人ともちゃんと米国法人を経営してくれて、2人とも経営者としても成長した。SCEで久夛良木のあとに社長を務めた平井さんと、その次に社長になったハウスが米国拠点で台頭して、経営者として育ったのは、俺が英語をしゃべれなかったお陰なのかもしれないよ。出張時の通訳担当として俺と接点ができたことが、出世のきっかけになったんだからさ。
久夛良木がよく俺のことを、「マルさんは英語がしゃべれないからどうにもならない」とかバカにしたんだけど、「うるせえ、バカやろう」と反論していたんだよ。俺が、英語がダメなお陰で久夛良木はSCEにいた時、後に彼を支えることになる主要なスタッフを2人、つまり平井さんとハウスを育てたんだ、と。もし英語が話せていたらこの2人は今のような地位にいなかったかもしれない。
平井さんにSCE米国法人のトップをやってくれと頼んだのは、彼がまだ30代前半の頃のこと。SMEで課長の経験すらなかった時期だから、普通はビビッて辞退するよな。けれど、さっき言ったように(前編参照)、創業時の会社の人材は頭がいいことよりも度胸が必要なんだよ。
まさにSCE米国法人は創業期だったから、平井さんは平然とそのポジションを受けたんだろうね。そういう意味では、彼は創業時や乱世に強い人材なのかもしれない。
会社や事業には寿命がある
平井社長が経営者になるために、丸山さんは平井社長に何か具体的な教育を施しましたか。
丸山:当時は毎週、出張時に米国人スタッフに話さなくちゃいけないことを、事前に日本語で平井さんとハウスにレクチャーしていたんだよ。ニュアンスを間違えずに滞りなく通訳してもらうために。
そうすると2人は、SCEの中枢である東京本社の全体戦略や経営方針、考え方がものすごく細かく頭の中に入るわけ、きちんと通訳しなきゃいけないから。それは経営者として勉強になったと思うよ。
その後、当時のSCE米国法人のトップに平井さんが就いて、ハウスがナンバー3になった。そして平井さんがSCE社長をやった後はハウスがSCEの社長になり、今はSIE社長としての現在に至っている。
そういう意味では、確かに平井さんがソニー本体の社長に抜擢されるきっかけを、俺が作ったと思われるのは仕方がないことなのかもしれない。だけどソニーOBの中には、ソニー本体の社長に就くよう、俺が平井さんを後押ししたと勘違いしている人もいてさ。時には、「お前が平井を偉くしたんだから、彼に忠告したらどうだ」とか、苦情や文句を言ってくるわけ。
現状のソニーの経営に満足していないOBが多いということでしょうか。
さっき、「ソニーの社長」をやりたいだけの人がトップに就いていた時代が長かったからソニーは凋落したとか、優等生ばかりになったから保守的で新しいことをやらなくなってソニーはダメになったとか、そんな話をしたよね。だけどソニーが輝きを失った本当の理由は、別にもあると俺は思う。
それは会社や事業には寿命があるということだよ。
会社が出来たての頃は、若くて伸びも早い。けれど、いずれはピークを迎える。そしたら後は下がるだけ。会社には、人間と同じようにライフサイクルがある。あらゆるものがそうなんだから仕方ない。どんなに若い時に元気で勢いのある人間でも、長生きして100歳近くなればヨタヨタしてくる。
人間に寿命があることはみんなが理解している。そして、「会社は永続させなければならない」という言葉が、広く世の中に出回ってる。けれど、そんなことは無理な話なんだよ。
会社の看板が残って、確かに会社がそのまま生き続いていくように見えているけど、同じ事業のままでいつまでもやっていけないよ。そういうことを理解しない若いやつが多いから、新卒の時にピークを迎えている会社に入りたがるんだ。
だけどさ、入社した時にピークを迎えている会社は、自分たちが勤めている間にピークを過ぎて落ちていく。それだけ会社の寿命が意識されていないってことだろうね。
事業も産業も栄枯盛衰
丸山:会社の事業も、会社が属する産業も栄枯盛衰だし、環境が変わるのは避けられない。だからこそ、古くて儲からなくなった事業はさっさとやめて、次の事業を始めなければならない。
会社が元気に長生きするには、事業の中身を変えて存続させることが必要なんだ。自社内で変えられないならば、子会社を作って新しいことをやる。自分が在籍する企業で新しいことができないなら、そこを飛び出して新しいことをやるしかない。そうすることで、自分が在籍した会社のDNAが、別の会社で引き継がれていくかもしれない。
日経ビジネスも随分以前に、「会社の寿命は30年」と提唱しました。
丸山:ソニーがずっとエレキの星であり、革新を続けてほしいという気持ちは分かる。ソニーは戦後の日本の希望の星だったわけだから。ある程度は年を食った人たちは、「ソニーはエレキ事業で革新的な製品を生み出して、ずっと元気で輝いていてほしい」と思っているよね。
それは分かりやすく例えると、家族がみんな「大好きなお父さん、いつまでも元気でいてね」という程度の希望と同じだよ。もちろん、そうあってほしいだろうけど、お父さんだって年をとって、いずれは死んじゃうよ。
人も事業も会社も年はとる。「ソニー本流のエレキ事業を軽視している」って、ソニーOBは今の経営陣を非難しているけれど、エレキが本流だったソニーは寿命のピークを過ぎて、取り巻く世の中も変わったんだよ。確かにエレキで輝いていたソニーを知っている人にとっては今の現実は辛いよね。
ソニーのピークは、やはり大賀さんが社長をやってた時代だろうからね。
「出井さんはGEから本質を学ばなかった」
確かに人間にも企業にも寿命はあるのかもしれません。けれど、米ゼネラル・エレクトリック(GE)や日立製作所など、100年以上の社歴を持つ企業で、一度は「寿命」に直面したけれど、蘇り、業績を回復させている企業もあります。
丸山:昔のGEと今のGEでは中身は別物でしょ。一時は金融まで手を広げたけれど、また製造業に戻っている。GEの歴史には、家電会社として発足したGEがあり、その後に金融に注力しすぎてやけどをしたダメなGEがあり、家電を売っちゃって社会インフラに注力して製造業とITを融合させようとしている今のGEがいる。
社名はGEのままだけど事業は入れ替わっている。つまり時代ごとにGEは別モノなんだよ。そういえば出井さんがベンチマークしてたのはGEだったけれど、そういう本質的な部分は学ばなかったんじゃないかな。
創業者世代の事業がピークをむかえた大賀さんの社長時代が終わったあと、それまでのソニーをぶっ壊してでも新しいソニーを生み出そうとする人は誰もいなかったな。強引な久夛良木でさえそこまでできなかった。
過去のソニーを壊すような大胆で大きなビジョンを掲げる人材が、トップに選ばれる会社ではなくなった、ということもある。大賀さんが社長を辞めた頃、ソニーは既に5兆円くらいの売上高になって、守るべきものがたくさんあった。
既にあるものを守りながら新しいことに挑戦しなくちゃいけないのだろうけれど、どうしても企業は保守的になるよ。新しいビジョン持つ人なら、そんな窮屈な大企業病の会社から飛び出して、別の会社を作って自分でやるだろうし。大企業を変えるのは時間もかかる。すると残った人たちは保守的な官僚ばかりになるから、ますます変化はできなくなる。
「大賀さんが生きていたらエレキからエンタメに舵を切った」
丸山:企業の歴史が長くなって第何代と社長が続くと、自ずと社長のスケールは代々、小さくなっていく。先代社長が後継者にそういう人を選ぶから。そうならずに、既存の会社をぶっ壊すくらいの改革をしようとするビジョンをひっさげて社長に就任するのは、「どん底になって、もう失うものがないからどうにかしないと潰れる」という、どうにもならない時くらいだよ。
そういう時に颯爽と登場して改革ができた経営者は、「中興の祖」と呼ばれることになる。でも、普通の日本企業だったら、会社が順調なのに大胆な改革に乗りだせば反発を受けるよね。「うまくいっているのになぜ規定路線を壊すんだ」って抵抗勢力が勢いづく。とても自分のビジョン通りの改革なんてできないよ。結局、「前の社長の路線を引き継ぎます」みたいな、あほらしい社長就任会見のスピーチが出てくるわけだ。
大賀さんが長生きしていたら、「エレキのソニー」の寿命を感じて、エンタメ路線をむしろ強化したかも、な。既存の路線でソニーのピークが過ぎつつあることは分かっていたはずだから。
デザインにこだわりがあって、エレキ事業でも大賀さんの鼻は効いたけど、声楽家でもあった大賀さんの真骨頂はエンタテインメントとソフトの分野だよ。エレキ事業でCDを作ったとはいえ、それは音楽コンテンツと一体の話。コロンビア映画の買収や音楽会社の買収、ゲーム事業のプレステ立ち上げも、大賀さんが大きく関わって功績を遺した事業はエンタテインメントに関連するものが多い。
「“ソニーご本社さま”を吸収しちゃおうぜ」
ハードを熟知する久夛良木さんと、ソフトに強い丸山さんのコンビなら、ソニーグループの事業ポートフォリオを入れ替えて「新生ソニー」を作りだせる可能性があったのではないでしょうか。
丸山:たらればの話だけど、仮にSCEがソニーよりも大きな存在になって、ソニー本体を吸収する可能性があったとしたら、そうなっていたかもしれない。
実際に久夛良木とは酒を飲みながら、「SCEを大きくして、“ソニーご本社さま”を吸収しちゃおうぜ」って話してたから。そういう場には伊庭さんもいて、ニヤニヤ笑って聞いていたよ。本当にやるかどうか、できるかどうかは別として、そのくらいの気概を持ってSCEの経営やプレステの開発をやっていたってわけだ。
プレステ3(PS3)に搭載した半導体「セル」がうまくいっていれば、日本の半導体産業は盛り上がって、その後の半導体産業史が変わっていたのかもしれない。そんな威勢のいい話をしていたのは、プレステ2(PS2)を発売する直前だったかな。その時期には、次のPS3をどんなコンセプトや仕様にするか、考え始めていたからね。
「セルが成功したら、とんでもないことが起こるぞ」って話していたな。で、「そうなったらソニーなんて、吸収合併だよな。(ソニーの本社がある)品川じゃなくて、これからは(SCEの本社があった)青山の時代だ」なんて言っていたよ。そうなっていたら、まさしくソニーが既存の路線を壊して転生し、エンタメやソフト中心の経営にまっしぐらということになっていたんだろうな。
ところが、だ。人間っていうのは不思議なもので、そんなこと言っていた久夛良木が、いつしかソニーの社長を目指し始めちゃったんだよ。俺は「前に言っていたことと違うじゃない」って思ったよ。「SCEを大きくしてソニー本社を吸収して、そのトップに立ってやろう」って言っていたのに、SCEが本体を吸収する過程を飛び越して、ソニー本体の社長になりたいと思い始めたんだからさ。
あいつにもいろいろと人生の設計図があったと思うけど、俺からしたら、SCEに久夛良木がドシンとい続けて、立ち行かなくなったソニー本体がSCEに転がり込んでくるのを虎視眈々と狙っていてほしかったよね。
SCEの創業者で社長をやっていたんだから、“レガシーのソニー本体”なんて気にしないで、SCEを大きくすることを目指してほしかった。「『新世代のソニー』といったら、もう井深さんや盛田さんが創業者なのか、久夛良木が創業者なのか分からない」って言われるくらい大胆にやってほしかった。そんなチャンスが芽生えた時期でもあったんだ。
「もう、ソニーを楽にさせてあげて」
結局、ソニーは生まれ変わるタイミングを逃して、長い低迷が続いた、と。
丸山:元ソニーの辻野(晃一郎、ソニーでVAIOやデジタルテレビ、ホームビデオなどのカンパニープレジデントを歴任。ソニー退社後は、グーグル日本法人の社長を務めた)さんが、すごくきつい言い方していたの。「もう、ソニーという会社は投資回収が終わって、会社の歴史も高齢化している。この辺でソニーという会社の使命が終わったと日本人も理解して、ソニーを楽にさせてあげてもいいんじゃないか」っていう趣旨のエッセイを書いていたんだよね。
俺はね、それは正しい分析だと思ったの。俺も似たようなことをずっと思っていたから。「高級なおもちゃを作るという創業時からのソニーの使命は、大賀さんの時代で終わっていたんだな」って。それでよかったんじゃないかな。
ある程度歳をとった日本人が知っている輝かしいソニーも、大賀さんの時代で終わっていた。正確に言うと、会社はあるけど、中身の事業は終わっている。そんな会社は、創業時の使命もとっくに終わっているわな。
「大人が手にとってわくわくするようなものを作る」ことがソニーに一番期待されてた。そういうソニーの商品って、やはりプレステが最後だよね。ここから先、プレステみたいな凄いものは、ソニーからは出てこないと思う。だってプレステが誕生したのは、もう20年以上も前だぜ。それ以降、何も新しいものがない。新しいものやブランドを生み出せない一方で、VAIOを売っちゃって、世に知らしめたブランドという資産を切り離していけば、後はじり貧だよね。
AIBOの販売、開発をやめるソニーに俺は切れた
今、ブームになっているロボットやAIも、かつてはソニーが先駆けて開発し、市場に投入してきました。
丸山:これだけテレビやスマホなどのデジタル家電がコモディティー化する中で、ソニーが高級おもちゃ作りに活路を見いだすなら、やはりAIBOの路線だったと思うよ。ソニーがAIBOの販売も開発もやめると決めた時、俺は本当にブチっとソニー経営陣に対して切れたよ。AIBOの開発をやめてしまったのは本当にもったいなかったな。
エンタメ路線で生まれ変われるという希望がある中で、AIBOはエンタメとのシナジーが大きい製品だった。デジタル家電で中国や韓国勢が台頭しても、エレキ分野でソニーの競争力を維持できる分野はロボットだと、俺は確信していたんだよ。それをやめちゃうって、相当センスのない決断だよな。ハワードや中鉢(良治、元ソニー社長)さんは、トレンドが全く理解できていなかったってことだな。鼻が効かなかったってことだ。
AIBOの本質はAI(人工知能)と、それを駆動するためのメカトロニクス(メカトロ)にある。当時はまだAIなんて言葉は普通に使われていなかったけれど、AIは、つまるところソフトであり、今後のハードウエア製品の頭脳となるものだから、ここは強化すべきだった。
ロボットを駆動させるメカトロの技術も、デジタル家電みたいにすぐマネされるようなものではなく、すり合わせが必要だから。日本の電機産業は、この2つが重要だと気付いておくべきだったよね。同じことを今、グーグルなどの米国企業がやっちゃっているんだから。
いち早く、ソフトであるAIと、メカが連動するロボットに競争の軸を移しておけば優位に戦えたのに、コスト競争力で有利な中国と韓国が強い土俵を選んで戦っちゃった。ソニーがAIBOをやめるって発表したとき、「ああ、ソニーは本当に終わった」と心の底から思った。
だから俺は、何の未練もなくソニーグループを辞められた。で、持っていたソニーの株もその頃に全部売っちゃった。
一発逆転が可能なデジタル家電の世界って怖いんだよ。だからそこで戦い続けるなら相当な覚悟が必要なんだよ。これは、プレステが売れて「ソニーが任天堂に勝った」と騒がれた時期にも感じていたよ。
SCEとプレステの躍進について、当時は何度もインタビューされたけど、とても勝ち誇った気分で取材に応じられなかった。マスコミからは強気なコメントを求められていたんだけどさ。それまで長らくゲーム業界を席巻していた任天堂を、SCEのプレステがわずか1年くらいでひっくり返した。どう考えてもうまく行き過ぎなわけ。
冷静に考えれば、当時のSCEみたいな斬新な勢力が新しく現れたら、今度はSCEが任天堂みたいに攻められて、立場を逆転されることも起こり得る。「謙虚に次の手を打っていきます」と当時のインタビューでは繰り返し言っていたね。1996年か1997年頃のことだと記憶しているけど。
(下に続く)
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