日本企業で次期社長を狙うような大物役員にとって、DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進役はぜひ担いたい役割だという話を聞いたことがある。「多くの企業にとってDXは最重要課題のはずだから当然でしょ」と思う読者もいると思うが、そんなふうにピュアに考えるのはお人よしすぎる。そうではなくて「権力闘争」の渦中にある役員にとって、DX案件は「とてもおいしい」のだ。

 ただし大物役員にとってDXを「とてもおいしい」案件、つまり次期社長レースのための「ツール」にするには条件が1つある。自分が担当するDX案件を従来のIT案件から切り離すのだ。従来のITとは基幹系システム刷新などを指す。当然、基幹系刷新もDX推進に向けた重要な取り組みのはずだが、従来のIT案件はとりあえず担当しない。もっと生々しく言えば、IT部門とは別に「デジタル推進部」といった名称の組織を立ち上げ、その新組織を管掌するのだ。

 理由はこうだ。以前の「極言暴論」で、日本企業の役員にとってCIO(最高情報責任者)を務めるのは、貧乏くじを引くようなものであると書いた。話の前提として改めて指摘しておくが、日本企業、特に大企業にはCIOに相当する役員が2人いる場合が多い。1人はIT部門たたき上げのIT部長で、執行役員の肩書をもらった平の役員だ。で、もう1人がその上に君臨する常務クラスの役員。営業やマーケティング、財務会計など「もっと重要な」役割を担い、IT担当は付け足しのような兼務にすぎない。

 当然、大物役員は常務かそれ以上のクラスの役員である。大物役員にとってCIO、つまり基幹系など既存システムを担当する役員になるのは、おいしいどころではなく、災いの種を抱え込むようなものだ。まともに動いて当たり前の既存システムを担当したところで何の手柄にもならず、反対にシステム障害などが起こって社長の謝罪会見といった事態になれば、せっかくたぐり寄せつつあった社長の椅子が一気に遠のいてしまう。

関連記事 「CIOなんて貧乏くじだよ」、大企業の役員が真顔で語った不都合な真実

 一方、IT部門とは別にデジタル推進組織を立ち上げることで、基幹系刷新などの危ない案件に関わらないようにできれば、デジタルサービスなどの新規事業の立ち上げが主なミッションになり、そのDX案件はどれもこれも極めておいしいものばかりになる。何せ、デジタル技術を使った新サービスの創出こそ「DXの本丸」と社内では見なされており、現社長も「失敗を恐れずチャレンジせよ」と発破を掛けているはずだからだ。しかも実は、恐れなければいけない失敗も起こり得ない。

 なぜ、失敗が起こり得ないのかというと、何をもって成功とし、何をもって失敗とするかという定義や指標がないに等しいからだ。ITベンダーに丸投げでも構わないから、AI(人工知能)やIoT(インターネット・オブ・シングズ)などを使ったデジタルサービスのPoC(概念実証)でもやればよい。株主や投資家に対して「我が社のDX」として語れる何かを現社長に提供できれば、それで「成功」だ。そして、実際にそんなものはありはしなくても「失敗を恐れずチャレンジする気風も生まれてきた」とでも自画自賛しておけばよい。

関連記事 「失敗を恐れずデジタルに挑戦」という発言、お笑いネタになるワケ

IT部門とデジタル推進組織が協力できない本当の理由

 ここまでの説明で、次期社長を狙う大物役員にとって、IT部門を取り除いたうえでDXの推進役を担うことのおいしさについて理解してもらえたと思う。もちろん役員が次期社長の最有力候補なら、企業としてもこの役員にDXの推進役を担当させるのは、将来の社長交代に備えて重要なことだ。直近までDXの推進役であることで、新社長を株主や投資家、そしてマスコミに対して「デジタル時代の変革の旗手」として売り込めるからだ。

 誤解があるといけないのだが、大物役員が担うDXの範囲から従来のIT部門関連の案件を取り除くと言っても、基幹系などの既存システムの刷新は「DXにあらず」というわけではないからな。基幹系システムが老朽化しているならば、その刷新ももちろんDXの一環として取り組まねばならない。経済産業省の例の報告書で「2025年の崖」が喧伝(けんでん)されて以降、さすがに「基幹系刷新はDXにあらず」とするわけにはいかなくなっているからだ。

関連記事 経産省の衝撃レポート「2025年の崖」、基幹系システム瓦解の現実味

 とどのつまり、次期社長を狙う大物役員のほかに、DXを担当する役員がもう1人必要になる。DXのうち「従来のIT部門関連の案件」は別の役員が担当するわけだが、それはもちろんCIOである。ただし、冒頭で書いた2人のCIOのうち常務クラスのほうだ。で、この常務クラスが「CIOなんて貧乏くじだ」と思っていたなら、基幹系システム刷新などはスルーを決め込むはずだ。ただ口先では「全社のDX戦略に沿って、業務の効率化といった『守りのDX』を推進する」などと話すことだろう。

 何のことはない。この企業においてはDX戦略(あればの話だが)が分断されることになる。実は「DX戦略の分断」は日本の大企業のあちこちで見られる光景なのだ。ここまでは「次期社長を狙う大物役員にとってDXはとてもおいしい」という話の流れで書いてきたが、そんな特定のシチュエーションじゃなくても、この「DX戦略の分断」は起こり得る。例えば新設のデジタル推進組織と従来のIT部門が協力したくてもできないという、トホホな状況はよくあることなのである。

 実際に以前、大企業のIT部員から次のようなトホホな話を聞いた。この人はIT部門の中にあって、AIを使ったデジタルサービスの立ち上げを担っていた。実はその企業では、IT部門とは別にデジタルサービスの創出を担うデジタル推進組織が立ち上がったばかり。デジタル推進組織ができたのに、なぜIT部門がデジタルサービスの立ち上げを試みているのか。不思議に思ったので聞いてみると、そのIT部員が言うには「これまでIT部門がデジタルの取り組みも担っていたから」とのこと。

 何でも、デジタル推進組織を設置したにもかかわらず、これからもIT部門ではデジタルサービスの立ち上げの試みは続けるという。そこで「デジタル推進組織とどのように協力していくのか」と聞いたら、この人は「なかなか難しくて……」と言いよどんでしまった。よくよく聞いてみると、IT部門とデジタル推進組織では担当役員が違うのだという。もちろん担当役員とは執行役員IT部長クラスではなく、その上の常務クラスの役員だ。さらに言いよどんでいたが、どうも2人の役員は犬猿の仲らしい。

 もう大笑いである。せっかくDXを本格的に推進するために新組織をつくったのに、上に立つ役員の仲たがいで「DX戦略の分断」が生じたわけだ。そもそも、この企業にまともなDX戦略などなかったのだろう。それにしても組織が分かれ担当役員が異なると、それぞれが独自に活動し始めるのは、まことに日本企業らしい。さすがに話を聞かせてくれた人が気の毒で、その人の前で大笑いはしなかったが、あまりにトホホな話である。

この記事は会員登録(無料)で続きをご覧いただけます
残り3388文字 / 全文6244文字

【初割・2カ月無料】お申し込みで…

  • 専門記者によるオリジナルコンテンツが読み放題
  • 著名経営者や有識者による動画、ウェビナーが見放題
  • 日経ビジネス最新号12年分のバックナンバーが読み放題