まずは以下の引用文をお読み頂きたい。
「私達の抱える経済的諸問題は解決可能である。ほとんどの経済的諸問題には複数の解決法がある。しかしながら、これらすべての解決法は誰かが経済的なコストを負担することなしには実現しない。誰もコストの引き受け手になりたくはない。しかも私達の政治的なプロセスは社会階層の誰かにこのコストを強制することができない。誰もが他の誰かが問題解決に必要な経済的なコストを負って欲しいと望む。その結果、解決法はいずれも採用不可能になってしまう」
この文章を読んで、多くの方が「ああ、まさに今の日本のことだ」と感じないだろうか。しかし、この文章は1980年に発刊されて世界的なベストセラーになった「ゼロサム社会(The Zero-Sum Society)」の一節である。著者のレスター・C・サロー教授が言う「私達の経済諸問題」とは1970年代のアメリカを対象にしたものだ。
もちろん、ここで指摘されている問題状況は、当時のアメリカのみならず欧州や日本など民主主義的な政治システムを有するすべての諸国について時代を超えて共通するものだ。だから世界的なベストセラーにもなった。
民主政治は特定階層に負担を押し付けられない
サロー教授が30年前に指摘したこのような現代社会の問題状況に対して、2つの両極端のアプローチがあり得る。
1つは、所得とコストの分配問題を市場メカニズムに最大限委ねることだ。政府は自由で公正な競争ルールの制定と監督者としての役割は果たすが、分配に直接関与することを回避するアプローチだ。
アメリカでは「リバタリアン」と呼ばれる政治思想がそれを代表しており、彼らの原理的な主張は医療保険などの完全な民営化などにとどまらない。麻薬や妊娠中絶の問題についても政府の介入や規制を否定して、個人の自由(自己責任)に委ねることを主張する。1980年代のレーガン政権は、アメリカの保守系キリスト教徒の価値観を色濃く代表していたので、リバタリアンほど原理主義的にはなれなかった。「伝統的な価値観の保持と小さな政府思想の折衷」だったと言えるだろう。
「新自由主義」「市場原理主義」などと小泉純一郎内閣時代の施策をラベルの貼り付けで攻撃する方々がいるが、小泉政権はアメリカのリバタリアンの主張に比べれば極めて中道的だったと私には思える。
リバタリアン的アプローチと対極をなすもう1つの原理は、「無産階級による有産階級の収奪」「労働者階級による独裁(あるいは執政)」を唱えたマルクス主義的アプローチだろう。もちろん先進諸国ではそうしたアプローチはとうとう実現せず、ソ連邦は最後には崩壊し、中国社会主義経済も大きく変質した。
両極端の原理主義的なアプローチが現実的でないならば、両極端のどの辺に軸足を置くべきかが、政策原理をめぐる争点となる。そのように考えれば、菅首相のように英国のトニー・ブレア首相の真似をして「第3の道」などと言わずとも、「資本主義vs社会主義」の対立が終焉した時代に生きる私達の選択肢には程度の違いはあれ、元々「第3の道」しかないと言えるだろう。
サロー教授が指摘したように、我々の政治システムは社会の特定階層に負担を押し付けることはできないので、コストは国民が所得や消費に応じて広く負担するしかない。政治家の使命とは問題解決のビジョンを掲げ、そのコスト負担について国民の多数を説得することにある。
政権交代から1年余りが経ったが、残念なことに民主党政権の財政・経済政策の事実上の破綻は鮮明になるばかりだ。農家への戸別所得補償制度や子供手当などの財政的なバラマキ政策のみが先行してきた。その一方で2009年のマニフェストにも盛り込まれていた「年金制度を一元化し、消費税を財源とした最低保障年金を導入する」など抜本的な改革は、議論すら進んでいない。
歳出の組み換えと無駄の洗い出しや財政埋蔵金の掘り出しで十数兆円の予算を捻出するという民主党の構想は、財政学者らが事前に指摘していた通り「非現実的」だった。行政刷新会議は埋蔵金よりも大きな「埋蔵損」と呼ぶべき政府のバランスシートに埋もれた含み損に直面した。
財源手当てが不可能であることが判明したのだから、歳出プランも見直すべきである。ところがバラマキだけは先行させている。その結果、政府債務残高はとうとうGDP(国内総生産)の200%に達しようとしている。ここに至っては、農家戸別補償も子供手当も、もはや「選挙民の票を金で買う策」に堕落したと言わざるを得ない。
経済成長だけでは日本の財政は再建できない
いまだに「財政再建は経済成長率を引き上げることで増税なしでできる」と唱える政治家や政党がいるのが私には不思議だ。
簡単な検証をしてみよう。図は水平軸を名目GDP成長率、垂直軸を財政赤字のGDP比率とし、各年度の名目成長率と財政赤字比率を分布させたものだ(対象期間1981~2010年)。確かに成長率が上昇すると財政赤字が縮小する右肩上がりの傾向(近似線の方程式Xの係数0.5161が示す傾き)が見られる。しかしながら、近似線の一次方程式が示す通り、政府の歳入歳出の構造的な改革がない限り、名目GDP1%の上昇で、財政赤字比率は0.52%しか減少しない。
この現実を前提にする限り、年間の財政収支を名目成長率の上昇で均衡させるためには、名目成長率はなんと12%台となる必要がある。対象期間を1990~2010年に変更して計算しても、財政収支を均衡させる名目成長率は9%台が必要という結果になる。
労働人口(15~65歳の人口)が毎年約0.5%程度減少している日本の実質成長率は、好況期でも2%程度が巡航速度だ。これは1人当たり実質成長率としては先進諸国が収斂する平均的な成長率である。従ってデフレから脱却してインフレ率が仮に2%となっても、名目成長率は4%前後が想定できる上限だろう(名目成長率=実質成長率+インフレ率)。
9~12%などという名目成長率は先進国ではインフレが暴走しない限り起こり得ない。それとももしかして、経済成長で財政再建を主張する方々は、インフレ高進で過去の政府債務を実質棒引きすること(「インフレタックス」と呼ばれる)を考えているのだろうか。
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