bunnoichi’s diary

高専から大学編入した野郎の激ユル仙台日記(大フィクション)です

82本目の日記 〜我が苦役列車、その後〜

バイクを買った

バイクを買った。今月はこの話に尽きる。

二輪納車

9月半ばに教習所を出所卒業し、9月下旬に新前橋に帰り免許を取った。ということは、そう、バイクを買わなければ。

周囲の人に「二輪教習始めました」って報告すると、大抵「おー、何乗りたいん」と訊かれた。正直、乗りたいのがあるってよりは速く移動できる手頃な手段で二輪が欲しかった。でも色んな人からそう言われ「そうだなあ、取るなら考えなきゃだよなあ」と思い、色々見始めた。

街乗りメインでちょい遠出も出来そうなやつを探してると、SUZUKIのGIXXER 250にたどり着いた。色んなモトブログ見ると大して悪い噂なく、車両価格も安い。けど、グーバイクで見ると宮城県内あんま在庫ない。「まあ出会えたら良いなー」なんて思いつつ、他のバイクも色々見てた。


www.youtube.com


www.youtube.com

免許を取り、いい加減実店舗行って色々見ようと思いたち、「こういうのって店入るのに敷居感じちゃうんだよなー」と思いながら、ひとまずレッドバロンに入った。「え、Ninjaってこんなデカいの、ってか他のも割とデカくね、いきなり俺これ自信ねーなー」とか思いながら展示車を見てると、店のおっきなおじさんが「こんちは、今日はどうしたの」と気さくに話しかけてくれた。

免許取ったんで探してるんすよね〜などと駄弁る中でジクサー気になってるというと、「入ってきたてで店頭並べてないけど今あるよ」と言われた。

うぉううぉう。これはこれは。見せてもらう。

ヤバい、めちゃくちゃちょうどイイ。色は黒で、ジクサーSFだからなけなしのカウルが付いてる。跨がらせてもらっても、小柄ですごく扱いやすそう。エンジンも掛けてもらったけど、すげえ小気味良い。巷では「エンジン音が軟弱すぎる」って評判もあるけど、ワシはまだそんなにブゥンブゥンを求めていない。群馬のヤンキーのイメージのせいかもしれんけど。それに通学でも使う街乗りメインのつもりだから、静かでも良いかなと思ってる。

もはやこれで良い気もしたけど、流石に一発目に入った店の一発目のバイクだけで決めるのも癪だったから、商談中にだけさせてもらって、その日は店を出た。

後日、仙台圏では有名な二輪業者のハヤサカサイクルも訪れた。今乗ってる原チャリ、ホンダのJOGはハヤサカで買って、大学生協とも手を組んでて学生にも優しいイメージが強い。

その後色々考え、結局赤髭で買うことにした。仙台あと1年半しか居ないって考えると、ハヤサカだとうーむ、となってしまった。色々申請やら装備を揃え、10月2日、納車した。

約半月ぶりのバイク実車である。恐る恐る跨がり、エンジンを入れる。教習所なら慣らし運転させてもらえるけど、販売店は10mぐらい走ったら直ぐ公道だ。うーん、怖い、この。

「クラッチ握って、ギア入れて、ブレーキ緩めて半クラにして、うぉううぉう動き出したぁ」恐る恐るウインカーを出し、デカいバイパスへと出る。なんとかエンストも立ち転けもせずに外に出れた。

「あ、めっちゃ楽しいかも」と思えたのは、以外にも早く、走り出して1,2分ぐらいだった。原チャリと比べて速いし、ギアチェンをガコガコやるのも楽しいし、フルカウルでちょい前傾だから爽快感もあるし、なにより二段階右折しなくて良い。これは楽しいかも。

「流石に最初だから富谷ぐらいまでかなー」と思って仙台から北上していたが、気づいたら築館まで来ていた。自分でも驚く。このまま上り続けるとそのうち岩手だ。流石に帰りも考えたいので、東に方角を変え、登米の方へ走る。気づくともう日没だった。

ところで、三陸沿岸には三陸道という高速道路が通っている。この高速、震災復興の兼ね合いから、奥松島から青森まで無料区間になっており、登米もその区間内にある。ということで、納車初日だけんど、高速を走ることにした。

一気に時速90キロぐらいまで上げる。首がもっていかれる感覚があった。フルフェイスで90キロ100キロだからまあそうなんだけど、最初は結構グッともっていかれる印象が強くて、「仮に高速で群馬まで帰るなら結構体力要るなあこれ」って感じた。そんでもって、言うても250だから、エンジンがブウォンブウォンゆってる。なんか頑張らせてるなーって気がしてきたけど、なんやかんやで高速も楽しい。

ひたすら高速を南下し、石巻を超え、矢本で降りた。こっからはもう慣れた道である。鳴瀬を通り、野蒜へ下って手樽を経由し松島へ。そのままひたすら45号を通って仙台へ帰ってきた。

それから、時間があればバイクでどこかへ行っている。大崎、加美、気仙沼、仙台空港、この間なんて24時から松島まで行った。いやー、本当に楽しい。嫌なことをとりあえず忘れられる。

東北はもうすぐバイク乗れない寒さになる。それまでにもう1回ぐらいちょっと遠出したいなあ。

後輩ムズい

最近、後輩への指導がムズいと感じている。「優しいお兄さんキャラでいたい、怖がられたくない」という思いがある反面、本人のためという意味でも市民のためという意味でも「言うべきことは言わなくてはいけない、耳の痛い指摘もしなくてはならない」という思いも同じくらいにある。この塩梅が非常に難しい。

おまけに、心のバランス崩れてんのか、最近は「ここから言わなくちゃいけないの?」「え?これでいいと思ったの?」と思うことも増えてきた。

事例1。班内の子に「学生全体に対してA案とB案どっちがいいかアンケートとってみよう。文面考えたら見せて」とお願いした。文面が返ってきて、「イイね。でも『カクカクシカジカ』みたいな言い回ししたほうがもっと良いと思った!コミュ力高い〇〇なら書けるよね🥺」とFBをした。

そしたらその子は、ワシがニュアンスとして雑に書いた「カクカクシカジカ」をそのまま文面に盛り込んで全体に投げた。結構衝撃だった。全体に投げる文章としてその文面で良いと思ったのか、投げる前に疑う気持ちはなかったのか。加えて言うと、なぜ修正稿にワシのチェックを再度入れさせなかったのか。それから、アンケート期間終了後の報告もない。

全ては認識の共有を行わなかったワシに責任があるんだけど、こんなところから言わなくちゃならんのか。

事例2、事例3とあるが、割愛する。

後輩に対してどう言えばいいのか、どこまで信頼して良いのか、どっから任せるべきなのか、非常に難しい。中間管理職の悩みなのか。

ふと思うと、研究室の助教とワシという関係性を思い起こした。後輩に対して色々思ったり言ったりする度に、「なんだか助教の気持ちがすごいわかるなあ」と思うことが多い。こっから言わなきゃだめか、こっから指導しなきゃだめか、ここの考えがまだ甘い、自信無いのわかるけどこういう態度めっちゃイラつく、俺の指導法はどうなんだ、などなど。彼もこういう玉石混交の思いを抱えていたのかも知れない。ただその一方で、ワシは絶対にあの人みたいな態度は取らないと心に誓うこともあった。文字通りの”反面教師”。

そうこうしているうちに、「心理的安全性」という言葉を考えるようになった。長くなるので、この続きは次回へ。

仲間を増やす

「後輩ムズい」と題してグチグチ書いたけど、もちろん良いことも沢山ある。後輩の成長を喜べる立場にいるし、むしろ後輩、人によっては半年前まで高校生だった子なんかがメッチャ頑張ってんのをまざまざ見せつけられて「ああ、俺も頑張んなきゃなあ」と思わされたりもする。何より、「地域のために自分ができる何かをしたい」という思いを持った人たちとこうして活動をともに出来ていることは、自分の人生において大きな財産だ。

ここ2週間ぐらいで気づいたことがある。それは、「誰かとともに何かをやる」ということは即ち「いっしょに喜ぶ仲間を増やす行為」なんだということである。勿論これは人間的な対立がない環境ってのが前提にあるのかもしれないけれど。

この組織に入って2年半、色んな人と色んなことをしてきた。仙台市内の志を同じくした学生、社会人と新しい計画を立てたり、夜遅くまで作業をしたり、街頭に立って声張ったり、意見を闘わせたり、酒を呑み交わしたり。時には、ここに市民が加わったりもしてきた。

幸いなことに、これまでこの活動で密に接してきた人々は皆、素晴らしい人たちばかりだった。学生たちは皆懸命で、社会人は大きな背中を見せてくれている。

今年度、色んな子と話をさせてもらっている。その中で、「そうか、この一連の行為は喜べる仲間を増やす行為なんだ」ということに気付かされた。思い返しても、過去二年間、そんな仲間を作ってきたとはっきり言える。友達、っていうフレーズとはちょっと違う、仲間って言ったほうが収まりが良い。

今年もいよいよおもしろい局面に入ってきたぞ。

衆院選不在者投票

来る衆院選。住民票を移していないので、ワシは仙台でなく地元群馬の選挙人である。ってなわけで今回も帰れないから、不在者投票の用紙を地元の選管に請求した。

前回の不在者投票は22年の参院選で、あのときは郵送で地元の選管に送って、仙台の区役所で投票を行った思い出がある。請求書をセブンでコピーして署名して、茶封筒の表に「不在者投票請求書在中」みたいなの朱書きして。まあ面倒だった印象。

今回は調べたらオンラインで請求が出来るみたいで、マイナポータルからやったら5分程度で終わった。ああ楽。申請から3,4日?後の19日土曜には自宅にゆうパックで届いた。

少し時間が経ち、10月24日木曜夕方、区役所に行った。要件は勿論、投票である。この間、YouTubeでテレビ局の選挙関連動画を見たり、NHKのサイトを見たり、公党のHPをちらっと見たりしてた。

期日前投票の特設会場ではなく、選挙課の窓口で「不在者投票させぇ」と話す。説明を聞き、例の銀色の記名スペースで選挙区、比例、国民審査の紙を書く。「ああ、衆院選って2度目だなあ」なんて思った。

青、ピンク、緑の投票用紙をそれぞれの内封筒に入れ、それをさらに外封筒に入れ、役所の人に渡す。「じゃあこれ地元の選管に送りますんで、お疲れ様でした。」

おわり。

www.soumu.go.jp

折り合いをつける

10月に入った。この4ヶ月間、大学院、とりわけ研究室と完全に距離を取っていた。6月7日の金曜以来、あの研究室はおろか、あのビルに立ち入りすらしていない。

研究室の人間とも、教授と一通だけ来たMさんのメールを除いて、一切の連絡を取っていない。まあ研究室メンバー誰も連絡してこなかったしね。唯一、同期女子のOだけが8月前半に心配と支援の用意がある旨のLINEをくれたが、何を返していいか分からず、そのままになっている。後で改めて謝りたい。

8月上旬に教授から来たメールは、あの人のことだから寄り添うような内容を書いてくれているに違いないと思ってはいたが、現実に目を向けたくなかったのか、なんだか怖くて開けなかった。9月の27日、学生相談室で開いたが、やはりありがたい内容しか書いていなかった。H先生、開封すらしなかったことをどうかお赦しください。

完全に距離を取ったのが功を奏し、おかげさまで精神的疲弊は回復してきた。ほとんど元に戻っている。

この4ヶ月間、前半2ヶ月はうつ状態だった。けれども後半2ヶ月は、不安感が拭えないとはいえ、割と平穏な日々だった。

後半2ヶ月の間は、インターンに行ったり免許を取ってバイクを買ったり旧友に会ったりなど、様々なことをし、様々な人と話した。その中で、たとえ興味のない分野とはいえ、やはり大学院は修了してみたいという思いを漠然と抱くようになった。むしろ、その環境で自分が何を得るのか、自らを環境に飛び込ませよう(「投企」って言うの?)という思いを強くした。あの環境で活動する時間が減ったおかげもあるかもしれない。

と同時に、前半2ヶ月の適応障害疑いの状態について、何が私を圧迫していたかの解決なくしてあの研究室に安安と戻ることはできないという思いもあった。冷静に振り返る余裕も出てきたので、色々と原因を探ると、昨年12月5日、助教が私に対して行ったある行動を思い出した。具体的内容は記さない(当時の日記にチラッと書いてあるけど)。

当時は助教のその行為に対し、呆気にとられつつも「俺が全部悪い」と思って呑み込んでいたが、精神を病み、回復し冷静に顧みて、当時の呆気を通り越した怒りや憤りが沸々と湧き上がってきた。やはり、あの態度はないだろ。技術を教える立場を、あたかも人間的優位と勘違いしている。あれさあ、共同研究先とか嫁の義実家にもあんな態度とるんだろうか。とるんならもう俺が悪いで全面ひれ伏す。けどとらんよね、どうせ。甚だ噴飯ものだ。結局のところ、社会で生きたことが無いのだろう。30過ぎて子どもも居てあんな感じならもはや憐れみすら覚えるけど。

この”事件”を、9月に入ってから色んな人に話している。学内の友人は勿論、学院大、宮城女子大、筑波大の友人に話したし、企業経営者やインターンで出会ったベンチャー社員にも話した。最初は共感を求めて話していたが、味をしめ、もはや他人と仲良くなるための十八番になりつつある。

この話、ヒッジョ〜に”ウケ”が良い。みんな驚異や呆気、中には嫌悪や怒りを示す人もいた。「マジヤベえやつじゃんそいつw」「アカハラ一歩手前」などなど。反応を見るたびに、憤りを覚えた自分のこの感覚は、世間一般の倫理観・モラルに照らしておおよそ正常なんだと、ホッとする。

学生相談室のカウンセラーにこの話をしたところ、やはり同情を示してくれた。と同時に、「もう少し酷かったり繰り返すようならハラスメントとも言えるから、この助教の行動について教授に報告し、場合によっては指導教員から助教を外すことも相談してみたほうが良い」といった助言をくれた。

カウンセラーの先生の助言で、心が随分と楽になった。確かにこの事件の日、「こんな人にあと2年も師事するのやってらんねえ」という思いがあったが、卒論が忙しくなり、それなりに学術的な指導をされ卒業出来てしまったので、この思いに無意識に蓋をしていた感があった。

その無意識の思いを抱きつつ、指導教員と学生という関係であの無口な男と接していると、やはり不信感というか、威圧感というか、とっつきづらさというか、醸し出すものはある。(「無口なのは気にしないで」とか言うけど、お前それで良いと思ってんのか。だったらこっちだって卒論ちゃんとやってたつもりだったって返すけど。ウチのサークル代表のSを見ろよ。あいつがどんだけ神経張ってコミュニティの雰囲気づくり頑張ってっと思ってんだ。おまけに家族に隠れてヤニ吸いだしね。)

その鬱憤が、6月頭に爆発したのだろう。

とにかく、研究室復帰に関して9月に考えた一連のことと、この事件の話、受ける指導体制についてはよくよく相談したい旨を、10月3日付で教授にメールをした。

4ヶ月ぶりに大学のビルへ

その約1週間後の11日金曜、教授と面談を行った。約4ヶ月、134日ぶりにあのビルに入った。驚いたのは、登る階段、歩く廊下、通る場所すべてが、まるで昨日も歩いていたかのように思えたことだった。新鮮さや懐かしさというのは一切抱かず、むしろ、当たり前の日常をこなしているようにさえ感じた。忌まわしいあの居室と教授の部屋は同じフロアにあるため、唯一、研究室の人間に出くわしたくないなという思いこそあれど、6月中旬のうつ状態が嘘のように、”普段通りに”教授の部屋までたどり着くことが出来た。

教授室のドアを叩くと、先生は「ああ、どうぞどうぞ」と言って、あの笑顔で迎えてくれた。「失礼します、お久しぶりです」と申し上げ、椅子に腰を下ろした。

「体調どうですか、最近は」という問い掛けを合図に、この4ヶ月、とりわけ後半2ヶ月に考えたことを話した。進路に関すること、自分の研究内容のこと、そして最大のストレス源だと結論付けた助教のことなど。教授からは親身に聴いてくださり「研究内容や指導体制諸々の環境整備するのでまた連絡します」という返答をいただいた。

少し雑談をし、40分程度で教授室を出た。部屋を出る際、先生から「また何か思うとこがあったら何でも言ってください」と声をかけていただいた。「...本当に、ありがとうございます...」と声を絞るほかなかった。

もう、何も言わない良い子ちゃんを気取るのはやめた。元々、卒論のときから進みの悪さと責任感の無さを助教に言われ煙たがられていた感がある。今更「お休みいただきました、、、またお願いします、、、」などと諂うつもりはない。(責任感で言えばこっちも言いてえことあっけど。)

「倍返し」は出来ないが、クソ上司め、覚えていやがれ。

その他の日記

  • 9月28日土曜、急遽、10時までバイト。深夜、地獄のDiscord通話。
  • 29日日曜、バ後、休憩中のFさんと1時間おしゃべり。昔の音楽トークした。後、Sと軽く油そば食う。
  • 30日月曜、ほぼ家から出なかった。
  • 10月1日火曜、気分が落ちていた。夜、飯だけ食いに片平へ。徘徊してたら、マーブルロードでASとばったり会う。
  • 2日水曜、散髪の後、バイクを納車する。軽く走るつもりが、大崎、栗原、登米まで行っていた。石巻を周り、仙台に戻る。
  • 3日木曜、AのNさんと軽面談。NTTに電話。教授からメールが入っていたことに気づき、返信する。割と包み隠さず、ところどころ口語を用いて書いた。バイクで少し遠回りをして帰り、20時から会計大学院のM2と面談をする。
  • 4日金曜、学食で飯を食い、やる気の出なかった光ファの負債を少しずつこなす。バイトに行き、Iさんに納車報告。マックへ移動し、負債をかたす。
  • 5日土曜、バ後、定例会。Aの直近男事情を聞く。定例会後、女子は女子会に行き、ワシはSとサシ飲み。ピザラボで引っ掛け、Sが行くバーに行き、最後にAとAを呼び戻してスシローで寿司をキメる。24時頃解散し、バイクでそのまま松島へ走った。
  • 6日日曜、18時までバ。後、Kがいるスタバで読書なりなんなり。22時過ぎ、この日も松島まで走った。
  • 7日月曜、16時に起きる。強雨。片平で飯を食い、大人の会議に出る。なんだか疲れた。会議後、リーダー女子のS、CUでKさんにモツ鍋をごちそうになる。一ノ蔵を頂く。24時、女子と別れ、そのままKさんとアングラのバーへ。割と楽しかった。バーの女の子が1学年下だった。ディズニートークをしたりしてインスタ交換したら、共通の知り合いでAがいた。なんと、その女の子とAは高校同じクラスだったらしい。相当なインパクトを受けた後、将神蔵で大盛と瓶のアサヒを頂く。28時半、Kさんとタク宅。
  • 8日火曜、青葉山で飯を食い、中山・泉方面を走る。スタバで作業。
  • 9日水曜、昼頃、オンライン面談。夕方、バ。めっちゃ嬉しいことあった。退勤後、バイクでちょっと遠出する。松島まで行き、そこから大郷を経由し大和町へ回る。途中の星が綺麗だった。国4を南下し、仙台市街へ戻る。
  • 10日木曜、11時から12時まで座談会。一眠りし、青葉山で飯を食い、ツーリングに出る。北山トンネルを通り、大和、加美、大崎まで上り、涌谷、石巻、松島を回り産業道路を通り仙台市街へ戻る。途中、石巻インターから矢本まで高速を走る。約120km、4時間弱のコースだった。
  • 11日金曜、10時から12時まで、説明会。一眠りし、青葉山で飯を食う。授業一回も出てないけどBOOOKで履修登録をする。15時より、教授室で面談。15時半、出る。図書館で少し作業をし、16時、出、バ。店に居たら1年だけ光ファにいたCKとTAが来てくれた。彼女らにはこのこと話していなかったけど、ちょっと前に気づいたらしい。嬉しいね。珍しくKくんとバッティングする。退勤後、心理的安全性に関する本を買う。
  • 12日土曜、バの後、スタバ。夜、青葉城でMちゃんにこけしに関する電話をし、方向性について話す。
  • 13日日曜、バ。よさこいにミッキーが来てたのもあって過去イチ人が凄かった。5時間喋りっぱなし、声出しっぱなし。途中から喉のつっかえを感じるようになり、痰が絡み始めた。半分ヤケになり、珍しくチー牛大盛り、夜にはステーキを食った。
  • 14日月曜、びっくりするぐらい寝て過ごした。約4,5ヶ月ぶりに自炊をする。
  • 15日火曜、曇り予報だったが、晴れていた。11時半に家を出、松島方面へ。13時過ぎ、鳴瀬奥松島から乗り、三陸道を気仙沼まで走る。LINEを見たら色んな人から色んな催促LINE、事情聴取LINEが来ていた。少し、無視する。少し飯を食い、16時半前、三陸道に乗る。19時前、片平。学食にKくんが居たので、話しながら食う。20時頃、帰宅。
  • 16日水曜、Kさんとの面談に遅刻する。面談冒頭で例の賞の話をしたらめっちゃキャーキャー言ってくれた。バに出、水原製麺で食って、軽ツーリングへ。一番町を出て仙台港まで行き、東部道路を仙台空港まで下る。そっから愛島、長町を経由して帰宅した。深夜、翌日〆の課題をやろうと思うも、全然やる気が出ず。30時前に始め、32時頃に寝た。
  • 17日木曜、13時からAのNさんと面談。いいお話できた。16時からSさん、Kさん、Sと一番町で打合せ。18時半、出、片平でSと夕食。後、昨日と同じコースを走る。22時よりエンカレ来いや面談。かなりきつそうだった。夜、久々に色んなLINEを色んな人に送る。
  • 18日金曜、温かい日だった。夕方、青葉山で飯を食い、仙台港まで行き、仙台空港までツーリング。21時から新しく来たNちゃんとサンタさんの打合せ。22時からエンカレでMさんと面談。アツい話聴いた。23時から再びサンタ打合せ。24時から地獄のDiscord参戦。25時半、飛び出し、長町でラーメンと丼を食ってしまう。朝まで作業をし、31時過ぎ、寝る。
  • 19日土曜、昼過ぎに起き、夕方から光ファ会議。色々モノを言った。19時から、KさんとS、A、R、N、宮学の2人に加え、急遽呼び出したNちゃんとTMと焼き肉を食う。21時半頃からTのいるミードに行く。25時、出、萬寿山へ。26時半、帰宅。Sと愚痴吐き電話を1時間強し、寝る。
  • 20日日曜、昼過ぎに起きる。寒い。夕方に家を出、仙台駅近辺へ。牛丼を食ったあと、スタバでしばらく作業をする。途中、IY、UC、IMといろいろ電話で話す。23時過ぎ、片平を出、帰宅。しばらく休み、作業。また32時寝る。
  • 21日月曜、13時前、起床。風呂に入り、13時半頃、出る。片平着。Sと合流し、ラーメンを食う。そのまま古着屋巡り。アウターを買う。16時過ぎ、事務局。諸々の確認。17時より、MさんとACと募金ビン配置。18時半より、会議。21時前、終了。懇親会。出された酒が悪かったのか、初めて酒で頭痛したし、みんな悪い酔い方してた。24時より、ミード。26時半、出る。将神蔵。27時過ぎ、出、Kさんと28時前に帰宅。
  • 22日火曜、昼過ぎ起床。青葉山で少し作業。バイクを回収しに青葉城経由で片平へ歩く。途中、自動運転バスの実証実験やってて試乗した。ブレーキングがクソだった。まだ乗りたくはないな。自宅へ戻る。座談会に出、19時より長町のスタバでKさんと作業。23時過ぎ、びっくりドンキーをごちそうになる。24時過ぎ、帰宅。
  • 23日水曜、昼過ぎ起床。青葉山で少し作業をし、17時より久々のバイト。久々に夜から爆寝する。
  • 24日木曜、13時起床。風呂に入り、16時過ぎ、一旦パンを買い、出る。区役所にて不在者投票。17時過ぎ、片平。飯を食い、一眠りする。19時より、ドトールにて作業。
  • 25日金曜、昼前に起きる。学祭を尻目に、学生相談室で面談。近況報告をし、この日は早めに終了。青葉山で肉うどんを食う。たまたま居合わせた研究室のHくんが声をかけてくれた。研究室の人と丸5ヶ月ぶりに話した。向こうから声をかけてくれたのが、なんだか嬉しかった。一旦帰宅し、寝、バイト。修了し、一番町のマックで作業。バイクで少し回り、帰宅。
  • 26日土曜、バ。3h4h。久々に休憩がAさんと被る。エクレア?ごちそうになった。
  • 27日日曜、バ。休憩中にSくんを説教してたら説教し返された。Iさん途中までこっちの味方だったのに急にハシゴを外され、Jさんにはめっちゃ笑われた。
  • 28日月曜、昼過ぎに起きる。18時から企業イベ。19時半から一番町のサイゼでCとNと駄弁りながら作業。25時から久々に馬鹿力と踊り場を聞く、先週のだけど。
  • 29日火曜、昼過ぎ、起き、大学へ。いい加減、講義に目を向けねばという観念と目を向ける余裕が出始め、課題に手を付ける。14時過ぎ、急遽会議来れるかの連絡がある。先約があったけど、どうにかして都合をつける。17時、青葉山で飯を食い、18時から別団体の会議に出席する。19時からKさんと品揃えの悪い牛タン屋。22時前、帰宅し、Mちゃんと打合せ。結局、無駄話ばっか3時間もする。
  • 30日水曜、14時よりKさんと面談。いいじゃんいいじゃんをすごい言われる。嬉しい。夕方、バ。Sさんがピザ買いに来た。この日は珍しく遅くまで働く。夜、家系ラーメンを食い、マックで課題。半年か1年ぶりに∇を使った。深夜、後輩向けの資料を作り、30時に寝る。
  • 31日木曜、13時よりAのNさん、Sさんと面談。16時ごろ、三越でやってるディズニーのポップアップに行く。迷う。17時半、片平で夕食。19時前、ドトールで作業。22時過ぎ、バイク回収。愛子の方を回り帰る。
  • 1日金曜、13時半、青葉山で昼飯。14時より、仙台駅でMちゃんと落ち合い、スタバで打合せ。16時、Mちゃんと別れる。そのまま課題なり作業を進め、18時半より、Mちゃんと電話で打合せ。雑談込みで3時間ほど電話し、出る。夕飯を食い、愛子の方を回って帰宅。
  • 2日土曜、雨。朝髪切ってたら耳切った。血が止まらんので1時間遅らせる。バ。17時より、旭ヶ丘で会議。20時前、北の家族で懇親会。この辺から喉に違和感があった。22時過ぎ、2件目。24時、片平に1ヶ月強停めてた原チャリで帰宅。
  • 3日日曜、バ。働いてたら熱っぽくなってきた。休憩で初めてマトモにTさんと喋る。けど怠い。休憩から戻り、フラッフラで働く。再び休憩になり、熱を測ると37.8あった。帰れと言われ、帰る。明日も代わり見つけるからお前は有休取れと言われる。畜生、明日のバイトめっちゃ楽しみだったのに。
  • 4日月曜、一日寝て過ごす。平熱に戻り、喉の痛みだけが残る。夕方過ぎ、バイクで丸善まで行き、Mちゃんから薦められた本を買う。そのままフラフラしてたら、PARCOにはクリスマスツリーが立っていた。ツリーの足元に細野さんとのコラボがあしらわれていて、思わず写真を撮る。ツリーじゃなくって台座だけ写真撮ってたから怪しまれた気がする。行きつけの飯屋で飯を食う。買った本が思いの外おもしろく、朝5時まで読んでしまう。
  • 5日火曜、昼、青葉山。15時からMちゃんと事務局で確認作業。17時、終了。そのままMちゃんを連れてイタトマで軽く食う。食べたら出るつもりが、20時半前までずっと話し込んでいた。出、仙台駅で別れ、帰宅。朝5時まで、Sから来ていた資料のFBをする。
  • 6日水曜、昼、青葉山。帰宅。16時過ぎ、家を出、バ。飯を食い、帰宅。

この間聞いたアルバム

今日の1曲

"Noid" - Tyler, the Creator


www.youtube.com

10月28日、タイラー・ザ・クリエイターの新アルバム"Chromakopia"がリリースになる。その先行シングル。

www.rollingstone.com

pitchfork.com

"St. Chroma" - Tyler, the Creator feat. Daniel Caesar


www.youtube.com


www.youtube.com

"ライフスタイル" - WurtS


www.youtube.com

2年前からちょい追いかけてるWurtSが10月30日にニューアルバムをリリースした。

"許嫁っきゅん" - ano


www.youtube.com

許嫁っきゅん、読み方わからん。作曲は今回も真部脩一。真部脩一って声にクセある女性シンガーにめっちゃいい曲作るよね。まるえつ然り、齋藤里菜然り。

"音ノ国" - きゃりーぱみゅぱみゅ


www.youtube.com

3,4年前、けっこうこの曲聞いてたなあ。

"Flamingo" - Kero Kero Bonito


www.youtube.com

RTMサーフィンをしていたら発見したバンド。UKで、ボーカルの人が名古屋出身小樽育ちとかどっかに書いてあった。中途半端なリバーブとか入れずに残響カットしてんのすごい良い。歌詞も好き。

How many shrimps do you have to eat

Before you make your skin turn to pink

Eat too much and you'll get sick

Shrimps are pretty rich

"白い椅子" - 柴田聡子


www.youtube.com

今年の2月末にリリースした柴田聡子の最新アルバムから。当時このアルバム聴いたときは(疲れ果ててたのもあったけど...)それまでの柴田聡子像から離れててあんまり分からない印象を抱いてた。

今月あらためて聴いた。いやー、なんというか、すごいセンシティブなアルバムだと思った。これはあれだね、聴く度に発見があるアルバム。

特にこの白い椅子、頭からズレてて、ブラッキーで良いラインだよね。

"Reebok" - 柴田聡子


www.youtube.com

"Reebok (tofubeats Remix)" - 柴田聡子


www.youtube.com

"When You Wish Upon A Star" - Cliff Edwards


www.youtube.com

21日月曜、バーでのワシのレイトショー。

"Balla Notte" - Tatsuro Yamashita


www.youtube.com

21日月曜、バーでのワシのレイトショー2曲目。

"White Cristmas" - The Drifters


www.youtube.com

21日月曜、バーでのワシのレイトショーでやりそびれた曲。

"Born to Lose" - Ray Charles


www.youtube.com

"Careless Love" - Ray Charles


www.youtube.com

"Someday (You'll Want Me To Want You)" - Ray Charles


www.youtube.com

"Your Cheatin' Heart" - Ray Charles


www.youtube.com

"Untitled (How Does It Feel)" - D'Angelo


www.youtube.com


www.youtube.com

30日深夜、マックに居たら流れてきた。ここのマック、渋い曲流すんだよな。前はchet bakerとjill scottが流れてきた記憶がある。この曲の次はcommonが流れてきた。

"Life Is Sweeter" - Descendants Cast


www.youtube.com

"恋は桃色" - Sam Gendel & Haruomi Hosono


www.youtube.com

ホソノハウスカバープロジェクトの最終段。さすがに最後のフェードアウト雑じゃね?ってなった。頼むぞ、サム。

"人生の扉" - 竹内まりや


www.youtube.com

22日火曜、まだ真新しい青葉山公園で何度も聴いた。まだ20代、半分も終わってないけど、無性にこの曲を求め始めている。

なんだか、自分が大人になることを肯定していくれてるような気がする。この曲とともに格好良く歳を重ねたいなと思った。

明日へ向けて

ああ、だるぽよ。