現役高校教師がプライベートも充実させたくて、やりたいことやってみる。

仕事もプライベートも、どっちも充実させられる世界になってほしいから、自分がトライしてみて分かったことを、少しずつ書いていきます。

転機とか。①

忘れないうちに現在の自分を書き残すことで、現在のみなさんと、そして未来のみなさんや自分と共有していきたいと思います。一気に書けないので、小分けにします。お付き合いいただけると嬉しいです!

2024年が自分にとって転機になったワケ

1. 心境の大きな変化

2. 仕事に対する姿勢

  • スピード意識
  • 量とムダの意識
  • 職場の人間関係

3. 舞台俳優復帰

  • 自分の演劇ユニット旗揚げ
  • 他劇団でのゲスト出演

1. 心境の大きな変化①

僕はコロナ禍で親族を2人、失いました。

 

1人目は祖母。入所してた老健でクラスターが発生。祖母ももれなく罹り、さらに大腿骨も骨折したのに、病床逼迫で入院もできず、コロナで息を引き取りました。あの時はコロナで亡くなった人は骨になるまで隔離されていたから、最後に会ったのは炉から出て骸となってからでした。

 

僕たち親族の中で「祖母は亡くなった」という事実をその目で確認できた人間は(実の娘である僕の母を含め)誰一人いませんでした。だから骸を前に 「これがあなたのお祖母さんですよ」と言われても信じられるわけがない。みんな、「これ、違う人なんと違う?」と口々に言っていました。当然の反応だと思います。

 

2人目は叔父。すごく元気だったのに、ある日から咳が続き、開業医をいくつか回っても検査もそこそこに「風邪でしょう」の診断。PCR検査をしてもコロナでもインフルでもない。処方された薬を飲んでも一向に良くならない。

 

幾度もたらい回しにされ、遂に出た診察は「間質性肺炎」。しかも、かなり悪い状況でした。病床が逼迫している状況で、満足な治療も受けられず、入院からわずか2週間足らずで急死してしまいました。まだ、60代だったのに。

 

コロナさえなければ、救われた命でした。炉に入っていく叔父の棺、そして叔母と従姉妹の慟哭が、記憶から離れません。今思い出しても、悔しさが蘇ります。

 

そして、死は自分のすぐ隣にいつもあると強く実感しました。こうして「仕事ばかりになりたくない。仕事以外の愉しみをたくさん持ちたい。」と思うようになったことで、少しずつ自分の生き方について模索し始めることになります。【つづく】

 

ぶなぴー

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