「佐藤さん。もし3億円の宝くじがあたったら、どんな仕事を選びます?」 ソフトウェア会社の親しい営業マンが、私にたずねてきた。客先からの帰り道、一緒にローカルな電車に乗っているときだ。え、3億円当たったらどんなものを買うか、じゃなくて? 何だか質問がおかしくない? 思わず、そう聞き返した。しかし、聞き間違えではなかったらしい。彼はこう答えた。
「今は私、ソフトウェアの営業をしている訳ですが、学校を出る頃は、どんな仕事に就こうかいろいろ迷ったわけです。収入と、仕事の内容と、労働条件と、就業地と、いろんな条件を天秤にかけて、多少の成り行きもあって今の仕事になりました。で、もし3億円当たったら、(親兄弟に多少配っても)あとは、今の自分の生涯賃金の残りの分、あるわけですね。贅沢さえしなければ、食べる心配は無くなります。 でも、そのとき、毎日何もせずにだらだらしていたら、自分がダメになると思うんですね。そこで、あらためて仕事を選び直すとして、でも最大の制約条件である賃金の多寡を、もう考えなくてもいいんですから、だとしたら何がいいかな、なんて時々思うんです。」 今、食べる心配が無くなったら、どんな職業を選び直したいか。それは気軽に聞こえながら、ずいぶん本質的な問いだった。いや、それよりもっと心を打たれたのは、『毎日遊んでいたら自分がダメになる。だから働かなくちゃいけない』と考える、彼の市民的倫理の誠実さだった。この人はずいぶん信頼できる、まともな人だな。そう、思った。たしかに、働くことは、人間がちゃんと生きていくために必要なことだ。かつて、精神を健康に保つ秘訣をたずねられたフロイトは、「働くことと愛すること」と答えたという。 それでは、工場で、来る日も来る日も似たような仕事を、それもキツくてキレイでもない仕事を続けていく労働者にとって、働くことの意義は何だろうか。代償としての賃金だろうか。たしかに、それが最大の目的ではあろう。しかし、それだけで人間は仕事を続けるだろうか。人が働くのは、多少なりともそれが好きであり、かつ、それが自分の精神的満足につながるからである。仕事がなぜ満足につながるかのか。人間は(不思議なことに)「だれか他者に求められる」ことを必要としており、仕事はその製品やサービスなどの成果を通じて、だれかの求めにフィットすることを示すものだからだ。それが付加価値というものの源泉なのである。 ちょうど1年前、『生産管理とは何か』(「生産計画とスケジューリングの用語集」2006/5/07)で私は、“生産管理とは、『生産システム』の円滑な運用のために必要とされる間接業務の全てを指す”と書いた。これをもっとわかりやすいように敷衍しよう。それは、こうだ。「付加価値を生み出す直接作業を、サポートするための間接作業すべてが、生産管理である」、と。 付加価値を生み出す直接作業、とは何か。それは、部品や材料を加工し組み立てる作業だ。ならびに、製品を工場から消費者の元に運ぶ作業である。それ以外はすべて間接作業だ。治具をセットしたりバイトを研ぐのも間接作業、部品を倉庫から配膳するのも間接作業、機械設備の保全も間接作業。差立や生産指図をつくるのも、生産計画やスケジューリングをたてるのも、設計図を引くのも、すべて間接作業である。工場の管理職として朝礼で訓示を垂れたりするのは間接業務の最たるものだ。 こうした間接作業が不要だ、などと言っているのではない。バイトがなければ旋盤はひけない。部品が製造ラインにこなければ組立はできない。だが、こうした仕事はすべて、直接作業を「支える」ためにあるものだ。プレイヤーではなく、サポーターである。主役はあくまで製造部にいる労働者であって、あとの物流課や資材課はそれを下で支えている。その下にはさらに、生産管理課や生産技術課や設計課などの技術屋がいる。その下には管理職が、そして一番下の縁の下に、「工場長」がいるのだ。こうして、工場組織図のピラミッドとはまったく上下が逆の、逆三角形型のピラミッドが見えてくる。これが、生産システムというものの姿なのだ。 さて、それで。プレイヤーとして最上辺にいるはずの、製造課の労働者の働くヨロコビとして、いったい何が差し出されているのか。賃金だろうか。尊敬だろうか。正社員としての身分の安定だろうか? かれらが宝くじにあたったとき、それでも選び直す仕事だろうか? トヨタ生産方式を導入すると称して、脱コンベヤライン・一人屋台生産の方式が広まりはじめたとき、多くの生産管理者は「これで生産量に応じたフレキシブルな配員が可能になる」といって評価した。生産技術者は省スペースに安堵した。これらはお金に換算できることだ。もう少し労務管理よりの人間は、立ち仕事が腰痛や腕肩の故障を減らすことを喜んだ。これもまあ、お金にかかわる問題だ。 しかし、「これで働く人間のモチベーションアップにつながる」という面をトップに評価する人は、決して多くなかったように思う。なぜモチベーションアップか。それは、自分の責任範囲が一つの製品全体に及ぶようになるからだ。それが働く人間の喜びではないだろうか。ただし、これは組立工程だから言えることで、加工や成形工程となると、製品への関わりは部分的にとどまらざるを得ない。こうした作業区の直接工には、人間としての最低限のシビル・ミニマムとして、何が配慮されているか。それが生産管理の中心課題ではないのか。 「シビル・ミニマム」という言葉は、もう死語に近い。『パンのみに生きるにあらず』(「コンサルタントの日誌から」2002/2/08)にも書いたとおり、企業は利益目的の経済合理性がテーゼであるにもかかわらず、仕事に魅力がないと続かないという、非合理性を合わせ持っている。会社というもののもつ、根本的な矛盾である。フロイトの言う「働くことと愛すること」を、直接工がどう仕事で感じられるか。そのことを忘れた生産管理は、人間不在の管理論、根と肥料を忘れた農業のようなものだ。 え? あなたの会社では、すでに現場は全員、派遣になっている? 低コスト化のためにEMS(受託製造会社)に売却した? おかげで利益が上がって株価も上昇した、と。なるほど、おめでとう。すでにあなたの会社は根っこを失った「切り花」の状態だ。根を捨ててポータビリティを獲得したわけだ。美しく咲いている間に、資本市場というマーケットで、禿げ鷹ファンドに切り売りされる日も遠くないだろう。
by Tomoichi_Sato
| 2007-05-06 10:40
| サプライチェーン
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