先日、出先でスマホがないと気づいた。先ほど寄った友人宅に忘れた気がするが、すぐには引き返せない。また、間違いなくそこならいいが、どこかで落としていたら厄介だ。よし、友人に電話で聞こう。そう思って公衆電話を探せば、これが案外大変で、「確かあのあたり」と足を運んだ所はすべて空振りだった。
公衆電話減少のニュースは目にしていた。それでも一キロ四方内には最低一つはあるはず!と歩き回り、百貨店の入口に設置されているのをやっと見つける。私自身、使う必要に駆られたのは何年ぶりか。そう思えばこれだけ携帯電話が普及した最中でも設置が続く事実に頭が下がる。
ただいざ使おうとすれば、今度は財布に小銭が少ない。細々とした買い物は電子決済任せの生活習慣のせいだ。ならばと買い物をして小銭を作って戻ってきたが、かけた電話はなかなかつながらない。おかしいな、家にいるはずなのに、と首をひねるうち、ようやく受話器が上がり、「……もしもし」と警戒気味の友人の声が聞こえた。名乗って事情を話そうとした途端、「そう、スマホ忘れて行ったでしょ!」と電話の向こうの声が普段のトーンに戻った。
「連絡取ろうにもスマホはここだし、ディスプレイに『公衆電話』って書いてある電話はくるし。詐欺電話かと警戒しちゃった」
「なるほど。迷惑かけてごめん」
「でも、うちの番号をそらでかけられるぐらい覚えていてよかったね。あと、支払いも全部スマホ決済にしちゃってなくて。下手すれば、公衆電話を使う小銭も作れなかった可能性もあるわけでしょ」
確かに彼女の言う通り。なるべくスマホに依存せぬよう心掛けている気だったが、いざ手放す機会があると、暮らしの相当な部分をスマホに担わせていたと気づく。親しい同業者の中にはいまだ携帯電話を持たない人も、持ってもいわゆるガラケーに留まっている人もいる。彼らの生活から大いに学ぶべきなのかもとしみじみ考えるいい機会となった。=朝日新聞2024年12月18日掲載