SDGs、多様性(ダイバーシティ)、包摂(インクルーシブ)――。こうした言葉を見ない日はありません。これまで蔑ろにされてきた、あらゆる弱い立場、マイノリティの方たちが、声をあげる機会が増えてきたと実感しています。
同時に、現時点で感じているのは、「まだ、お互い、生きやすくなっていない」ということ。マイノリティの人たちの課題解決だけでなく、社会を形成する一人ひとりが、自分と異なる属性・思いを抱える人たちとの溝を、どうやって浅くし、違いをどう受容していくか。そこまでをセットにしないと、摩擦が広がるばかりだと思うのです。
現状のままでは「多様性なんて言葉のなかった頃のほうが、揉め事が少なかったのに」と嘆く人が増えかねません。決して「過去の方が良かった」のではなく、今は過渡期、道半ばです。あらゆる属性を持つ人が、この社会で共に生きていくためには、一人ひとりがどう行動していくのかを考えたい。それは同時に、自分自身の価値観、それは固定観念と言ってもいいかも知れませんが、それらとどう向き合っていくのか、ということだと思います。
そんなことを『君と宇宙を歩くために』を読みながら、感じていました。物語に登場するのは、勉強もバイトも続かない、ヤンキー高校生の小林くん。それから、小林くんのクラスに転校してきた、変わり者の宇野くん。宇野くんは、周囲から立て続けに話しかけられると固まってしまったり、たくさんのことを同時にできなかったりして、「普通のこと」が苦手。そのいっぽうで、空に輝く星のことについては詳しい一面も持っています。宇野くんは「自閉スペクトラム症(ASD)」ではないかと思うのですが、作品のなかでは(おそらくあえて)書かれていません。そこに作者の意図、思いを感じます。読者にとっては、こうした個性の存在を知り、理解することの第一歩になるように丁寧に描かれていると感じます。
文部科学省では今、インクルーシブ教育を進めています。障害や国籍、性別、経済状況などの違いに関わらず、すべての子どもが同じ環境で学び合う方針へと舵を切っています。授業中、なかには集中できずに歩いてしまう子もいて、そのたびに授業がストップしてしまうこともあるでしょう。でも、そうした状況になることも、僕は「学び」だと思っています。「腫れ物」に触るかのように、なるべく触れない、傷つけてはいけない、へたに関わると自分が傷つけられるから……、そんな構えでは、社会に出てからも分断を生むばかりです。
宇野くんだけではありません。ヤンキー高校生小林くんも、おそらく「境界知能」と呼ばれる、知的障害や発達障害などの診断名がつかない「グレーゾーン」であるように見えます。小林くんの状態こそが、社会に出て一番苦しむ子たちではないでしょうか。
小林くんは最初、勉強もやらないし、無気力に日々を過ごし、バイト先でも先輩に怒られ続け苛立ちをつのらせます。ところが、日々、苦手なことに懸命に向き合う宇野くんと出会って、変わっていきます。まずバイト先で、レジ打ちを間違ってしまったことを、店長さんに頭を下げて謝ります。そして、宇野くんが社会と折り合いをつけるためにしている、ある行動を、小林くんも取り入れます。そうすると、先輩は、今までの態度を改め、小林くんを助けるように変わっていく。人それぞれ、得手・不得手を知りつつ、役割をこなし、きちんと埋め合っていくようになるのです。
バイト先での仕事、勉強、友人関係。小林くんは、こうしてすべてのシーンにおいて、希有(けう)で、貴重な関係を築いていきます。そして宇野くんのすばらしい伴走者になっていきます。人生初のテスト勉強に果敢にチャレンジし、小林くんは無事にテスト期間を終えていく。本当の多様性って、自分の得意なことを、そのレベルなりに自己実現し、社会で生きていける世の中をつくることなのでは、と気づかされます。
内閣府や文科省などのデータによると、日本の子どもは諸外国と比べ、自己肯定感を抱く子の割合が著しく低いそうです。自己肯定感を抱くためには、自己実現、つまり、いかに自分で困難を乗り越えたかという積み重ねでしか得られないと思います。このところ、子どもを「褒めて伸ばす」風潮がありますが、褒められただけでは、その子は自分の限界を超えて成長できないとも思います。伸びる機会が奪われているのは、かわいそうです。自分で頑張れる子どもは、自分で問題意識を持って、それを自分で向き合い改善していける。でも、誰もがそんな子ばかりではありません。むしろ他人に指摘され、引っ張られて、教育されて伸びる子のほうが大多数なんじゃないでしょうか。
昔の小林くんは、わからないことが生じた時点で、思考をストップ。それが、宇野くんと出会った化学反応で変わります。自分で思考し、自分なりの答えにたどり着こうとする。能動的に、主体的に、「頑張れたんだ」って思えるようになるのです。
小林くんと宇野くんは、廃部寸前の天文部に入部します。夏休み、プラネタリウムに行きますが、イレギュラーなことが次々起こり、宇野くんはイライラ。小林くんは、そんな宇野くんにある提案をします。理想論かも知れませんが、かつて映画「ペイ・フォワード 可能の王国」(ミミ・レダー監督)を観たときのような、あたたかい世界が広がっていくのです。「ペイ・フォワード」は「自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡す」という内容でした。
みんな、それぞれ悩みや苦しみを抱えています。天文部の部長・美川先輩も、他人とどうコミュニケーションを取っていいかわからない。これも一つのハンディかも知れません。でも、そんなことを言ったら、「100%、何から何まで完璧な人」なんて、誰もいない。とかく、他者と比較してしまいがちですが、そういう考え方ではなく、自分もこの社会を構成しているパーツと思えるようになればいいな、と思います。まさに、宇野くんが魅了される「宇宙」と通じる気がしませんか。自分を俯瞰してみることで、なんて、ちっぽけな存在で、つまらないことでクヨクヨしていたのかと知るのです。
宇宙飛行士が、宇宙空間で活動する際に使う命綱のことを、「テザー」というそうです。これについて宇野くんは小林くんに説明します。「テザーがあると無重力空間でも船から離れません!」。繋がるということは、理解してくれる人がいること。その安心感を得られるということ。そして同時に、ちょっと切なくも感じてしまいます。それは、命綱でもあるけれど、同時に自分を縛る存在でもあるから。テザーがないと、教室にも入ることもできない、社会生活を送ることもできない……。
でも、そんな宇野くんも、巻を重ねるにつれ、だんだん変わっていきます。かつては転校を繰り返していた彼が、周囲と呼応し合って、刺激し合って、どんどん成長していくのです。誰かが自分のテザーでいてくれる。自分も誰かのテザーでありたい。言葉であてはめられた属性は時に相手を見る目をくもらせ、物事を複雑化させます。だからこそ作者は宇野くんを分類しないのではないでしょうか。
月は、太陽がいるから輝ける。同じように、君たちがいてくれるから、僕はこうやって今、仕事ができている。家族にそんなことを思います。相手に対する感謝の気持ちを忘れたくない。そんな気持ちを、この物語は呼び起こしてくれます。現在、第3巻まで刊行され、物語は続いていきます。
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伊与原新さんの小説『宙わたる教室』(文藝春秋)は、東京・新宿にある都立高校の定時制を舞台とした実話の物語。さまざまな事情を抱えた生徒たちが、理科教師・藤竹先生を顧問に科学部を創設し、学会で発表することを目標に「火星のクレーター」を再現する実験を始めます。物理的な障害だけではなく、社会的な障害に苦しむ生徒たちが、どんな状況に置かれても乗り越えていくさまが描かれています。これを原作にしたドラマが本当に素晴らしい。藤本タツキさんの漫画『ルックバック』(集英社)もぜひ。漫画創作の才能に自信を持つ藤野さんと、不登校で引きこもりの京本さん。2人の思いの変遷を丁寧に綴っています。(構成・加賀直樹)