故郷「吉ヶ原」1960年代の鉱山社宅群
お早うございます。 「鶴見陶苑」です。
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今日は久しぶりに故郷 “吉ヶ原” の柵原鉱山社宅群のご紹介です。
(旧) 岡山県久米郡柵原町吉ヶ原 →→ (現) 美咲町吉ヶ原
3地点で撮影された写真を元に説明します。
【撮影地点-A】
2/3 にアップしました写真です。 就職したあくる年帰省した時に撮影。
眼下に役職者社宅、片上鉄道を挟んで “木造6軒長屋” が立ち並んでいます。
左側に新設された “風呂” が見えます。
2つあった風呂が1つになりました。 確か昭和38~9年だったと思います。
【撮影地点-B】
この写真は柵原鉱山の閉山に伴い発行された “柵原鉱山顕彰誌” より転載
鉱山社宅の位置図を如実に表しています。
役職者は一般社員よりも山手側の大きな社宅になり、昇進と共に転居です。
社宅も木造長屋からブロック造2建ての団地になり時代の変遷を感じますね。
【撮影地点-C】
1962年 (S37)、中学2年生の時組み立てたグライダーを片上鉄道道床から飛ばしている写真です。
バックに旧・風呂-1が写っています。 従業員・家族用の大きなお風呂でした。
大きな建物には並の銭湯よりも大きな浴槽、左建物は更衣室、右側煙突下には石炭炊ボイラー、手前は風呂担当社員の社宅です。
同級生が居ましたのでよく遊びに行っていました。 寝転んでいると飼い猫にガブっと噛まれたこともありました。
「写真5枚目」
雲マーク内にブロック2階建て社宅があります。 藤原の山の手社宅 (急な山肌に建設されていて不自由な生活だったでしょうね) から多くの人たちが引っ越して来ました。
・2021/02/01 https://bonsainikki313.blog.fc2.com/blog-entry-743.html
雲マークの上白色部に何戸か重役用一戸建て社宅がありました。
東京本社から転勤してきた方の垢抜けした子女が居ましたね~
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「鶴見陶苑」の盆栽日記 (録)
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